ある作家に訪れた不思議な出来事
「その、とっても美味しそうですね」
突然、笑顔でそんな頓珍漢な言葉を投げかけられた。
(食べ物なんて持っていないのに、一体何を言ってるんだ?)
こんなやつ、本当は無視するに限るのだが...
「な・・・なにがですか?」 私はその言葉の意味が知りたくなり、そう返すと。
そいつは笑顔のまま、私が胸に抱えているものを指差していた。
「それ、すっごい良い匂いがします。よかったら譲っていただけませんか?」
...丹精込めて書き上げた原稿の入った、茶封筒だった。
「・・・はぁ?」 思わず、言葉が漏れた。
「その原稿用紙とインクの匂い、堪らないです」
うっとりとした顔でそう言われたので、私は慌てて原稿の入った茶封筒を背中に隠した。
「こっ……これは駄目です! 今から持ち込みに行く大事な原稿なので……!」
これは私が何年も温めてきた構想がやっと形になった原稿なのだ。それを丁寧に説明すると、そいつはしょんぼりした顔をした。
「そんなに大切なものなら仕方ありません。諦めます」
意外とあっさり引いたので、逆に好奇心が湧いてしまった。
「あの……うちに来れば没原稿がいっぱいありますけど……」
うちにくれば、没原稿がいっぱいありますよ。
というその女の言葉を聞きながら、
こころのなかでは
でも、いま以上に芳しい原稿とインクの内容はないのだろうなということを思う。
インクとか原稿というのは、
時が経つに連れて、その香りも薄れてくる。
彼女が。もっているその原稿からただよってくるかぐわしきインクと原稿はまさに
いま書き上げたばかりの出来立てほやほや原稿だからだろう。、。
この、女の言う提案を飲むべきかしばし迷う。
不気味な目の前の人物は、ジーッと私の茶封筒を眺めていた。おそらく、提案について吟味しているところだろう。
私は何となく、相手へした提案を後悔していた。その気持ちは返事を待つ無言の間、どんどん積もっていく。
(悪いけど、やっぱり家に来て欲しくはないな…)
頭にそうよぎった時、私は決意した。
「あのやっぱり、なんでも」
「では」
勇気を持った言葉は、人物の発した前置きに遮られる。
「後ほどお邪魔させて頂いても?」
「えっと…」
間合いを間違えた。
提案の棄却がしづらくなってしまった。
そうだ、いいことを思いついたぞ。
「交換条件だ。1億円と引き換えでどうだ。」
「1億円、ですか?流石に馬鹿にしすぎでは?」
よし、これで断る口実ができた。
「金がないなら駄目だな。消えな、この糞女。」
「20万円でどうです?」
値切り交渉を始めやがった!!
「話にならねえな。1億円。びた一文まからねえ。」
すると次の瞬間、俺の右腕が切断された。
女の手にはホームセンターで売ってそうな手斧が握られていた。
「いいからさっさと原稿をよこせっつってんだよ!」
「このアバズレがあああぁぁぁっっっ!!!」