しりとりの形式で物語作るスレ
しずかな朝の光が、レースのカーテンを通り抜けて台所の床に柔らかい模様を落としていた。
電子レンジの小さなモーター音が、まだ寝ぼけ眼の空気を震わせている。
美沙はトースターのレバーを押し下げ、立ち上がる白い湯気を目で追った。パンが焼けるのを待つわずかな時間、彼女は椅子に腰掛け、テーブルの上に散らばったプリントや新聞を整えた。夫が残していった書きかけのメモ、子どもが昨夜解けずに放り出した算数のドリル。そこには家族の日常の痕跡が、少し乱れたまま積み重なっており
「り? ええっと……りんご!」
ノートを開いて、目に飛び込んできた文字に勢いで答えてみた。けれど、
「あほか! 普通にしりとりするんじゃなくて、物語の続きを書かなきゃダメでしょ」
美月はあきれ顔で全否定してきた。
夕暮れの図書室は人もまばらで、部屋の隅で戯れる僕たちの事なんて誰も気にしていない。
机の上に手渡されたばかりのノートを改めて広げる。
このノートは、僕と美月で交互に小説を書きあっている交換日記のようなものだ。
「っていうか、一応句点までは書いてくれないと、かなり難しい気がするんだけど」
「どうだっていいでしょそんなの。ほら、早く書いて」
「えぇ〜…」
僕は彼女に言われ渋々消しゴムを手に取りゴシゴシと文字を消し、仕切り直した。
り…の後はどうしようか…
「…ていうかさ、何でこんな変な形式でやってるんだよ?普通に交互に書けば良いじゃないか」
僕がそう尋ねると、彼女はこう答えた。
「タコ助のくせに、いっちょ前に私に意見する気?」
美月は頬を膨らませて僕の顔を覗き込む。怒っていても垂れ目の狸顔だからあまり怖くはない。
「だってアンタに何のルールもなしで書かせたら、それこそ明後日の方向へ話が逸れちゃうじゃない!」
「うぐっ……」
「だからわざと文の途中までにしたのよ、明後日に行けないように」
美月のあまりに的確な突っ込みに、僕は二の句が継げなかった。
「ほら、早く書いて!」
ぐぬぬぬぬ……なんだかすごく悔しい。こうなったら意地でも明後日の方向へ話を展開してやる!
………………
ルマンドを食べながら、刑事は尋ねた。
「それが彼女との最後の会話か?」「…はい。その後、実はまたルールを間違えて…そしたらあの子、僕めがけてカッターを突き立ててきたんです。」
刑事の手元で、ルマンドの欠片が紙の上に落ちた。彼はそれを払おうともせず、鋭い目をこちらに向ける。
「……カッターを?」
「はい。あの子、本気でした。まるで僕を本気で殺すように…」
ニヤッと刑事は笑いながら、こう言った。
「カッターで殺されそうになったから、正当防衛だと主張するのか?」
「だから、そう言っているじゃないですか」
「だがな。カッターには、彼女の指紋はなく、お前の指紋しかなかったんだぞ。この鑑定をどう説明するつもりだ」
「誰が見ても正当防衛では?防御創もなければ、薬を盛られた痕跡もない。争った時の靴跡も現場には残されている。指紋が無いのは奪い取った時にこすられて消えてしまったからという事で説明が付く」
理不尽に疑われたことにより、むしろ逆に頭が冷めてきていた。まるで弁護士にでもなったみたいに淡々と矛盾点を指摘していく。
「クソッ……なかなか、やるじゃねえか。だがな、お前は殺意は全くなかったのか?」
「ええ……殺意は、ありませんでした。ただ、なんとかして、その場を乗り切ろうと必死でしたよ」
冷静に刑事に言い返していた。
「そうか……なら、聞くが、彼女を刺した後に、あんたをみた奴が居て、そいつがあんたの顔が笑ってたと主張している。それに、その時撮ったと見られる写真もあるぞ」
「ゾッとするようなこと書かないでよね! なんで私がアンタに殺されなきゃならないのよ!」
「いや、だからこれは創作の話でさ……」
苦笑いする僕を、美月はキッと睨んでくる。流石に悪ふざけが過ぎたようだ。
「はーい、もう一度最初からやりなおーし」
美月は手元に転がっていた消しゴムを拾い上げ、僕の空いている方の手に握らせてくる。
一度は握るのを拒否してみたけれど、今度は真っすぐに僕の瞳を見つめながら握らされてしまった。
「いや、ちょっと待ってよ。この謎展開を、美月のアイデアでどう転がすか見たいかも」
「もういい、なんだかつまんな。私もう行こーっと」「えぇ、そんな」
もう飽きてしまったのか、不機嫌そうにノートを畳んだ美月はそそくさとその場を離れた。
「(何なんだよ…あいつから提案して来たくせに。)」
僕は彼女に不満を抱きながら椅子から降り立った。
ただならぬ予感が襲った。
「いやいや創作の話を考えただけだ。現実に起こるわけが……」
僕は、悪寒に近いものを感じて、身体が震えずにはいられなかった。
まだ、近くに美月がいないか、恐る恐る周囲を確認していた。
単なる思い過ごしならいいんだけれど。
窓から身を乗り出して校門の方も確認する。外はもう暗くなり始めていた。
この図書室は2階の端で、真下がちょうど昇降口になっている。そして左手に少し行ったところが正門だ。そこから田んぼに挟まれた一本道を少し行くと、右手に墓地がある。その先は住宅街に繋がっているが、墓地までは暗い街灯がぽつりぽつりとあるだけで、かなり物騒なのだ。
そして視認できる範囲に、美月の姿は無かった。ということは、もうすでに校門を出たのかもしれない。
図書室から飛び出し、美月の後を追う。
「うわっ、危ないぞ!女の子が!!」「…は?」
大声がする方を向いた矢先、僕の目に入ったのは美月と……美月に急スピードで接近する車だった。
「美月!!!」
ヘッドライトの白い光が、美月の細い身体を照らし出す。振り返った彼女の顔は一瞬、驚きと困惑の表情を浮かべ、それから何かを言おうと唇が動いた。
しかしその刹那。
ドンッ!
鼓膜を震わせる鈍い衝撃音。車のボンネットに跳ね上げられた美月の身体が、重力に従って弧を描き、アスファルトに叩きつけられた。
倒れた美月に近づき、状態を確認するために、近づくと、頭からは出血しており、呼吸はしていなかった。
「嘘だろ!?なあ、嘘だと言ってくれよ!!」
僕は、現実を受け入れることができず、泣き崩れていた。
「絶対に、許さない。必ず、犯人を見つけ出して復讐してやる」
『ループする』「…え?」
『この世界はまた繰り返すよ。そしてまた彼女は危険に晒されるだろう』「はぁ…?」
耳元で響かれた声は、誰だか上手く判別できず、鼓膜の奥に直接囁きかけるような不気味な透明さを持っていた。
しかし、その瞬間…視界がぐらりと揺らいだ。地面が溶けるように波打ち、頭の中で耳障りなノイズが弾ける。
『…じゃあ、頑張って。また再び…ね。』
◇◇◇
「…ハッ!」「あのさぁ何してんの?早く続き書いてよ」
目の前に、さっき死んだはずの彼女がそこにいた。
「ここは……図書室か?」
書いたあの内容がふと脳裏によぎる。
美月が死んで、僕が逮捕されたというあの内容だ。
(あの美月が僕に殺された展開…あれだけ何故か、僕は妙に書けてたんだよな。)
もしかすると、あれはもう一つの世界線だったのか?
「ねぇ、何ボサっとして…」「美月」
僕は真剣な眼差しで美月に目を向ける。
「君に話したいことがある。いいかな」
[何? 意見は却下だからね」
そう言うと彼女はプイと横を向いてしまった。
「いや、大事な話なんだ。真面目に聞いてくれ――」
僕が言い終わる前に、彼女は立ち上がった。
驚いて彼女の顔を見上げると、口元に不敵な笑みが浮かんでいる。
「大丈夫ダヨ。ワカッテルカラ」
独り言のように口からこぼれる声は、彼女の物では無いような禍々しさを帯びていた。
「展開ヲ変エマショ。今度ハアナタノ番」
言うが早いか、彼女が後ろに隠していた右手を振る。そこには白いカッターが握られていた。
シュッと首元に刺激を感じ――
「ジョークみてぇな展開はもう終わりにしようぜ」
「…!?」
僕の首筋に触れかけていた刃先が、突如として弾かれるように止まった。
冷たい金属の気配が空気の中に溶け、代わりに低く響く声が図書室を支配する。
「……誰だ?」
僕は反射的に声をあげる。
美月…いや、美月の形をした“何か”が、ピクリと肩を震わせ、唇を吊り上げた。
「……ナンデ。オマエ、ココニ……」
視線を向けた先、本棚の影から現れたのは一人の男。
制服の襟をだらしなく開き、手にはぼろぼろの原稿用紙を握りしめている。
ループを繰り返したことによる時空の歪みの影響か、本棚の影から現れたのは、もう一人の僕だった。
「どうしてなんだ?僕が二人いる!?」
「俺は、お前であってお前ではない」
「どういうことだよ!?」
「直にわかるさ、直にな……」
もう一人の僕は、美月みたいな何かに近づいていく。