どてらちゃん
どてらちゃんはやせっぽちだけど、ショートカットの似合う10歳の栗色の髪の女の子でした。
どてらちゃんは学校へ行くとき以外は、必ず赤地に白の花柄模様があしらわれたどてらを着ていました。
だから夏になると道ですれ違った知らない人から、そんなの着てて暑くないの、と聞かれてしまうことがよくありました。
けれどどてらちゃんは、
「トギジルさまの加護があるから、ちっとも暑くないんだぷゆ」
と答えるのでした。
トギジルさまというのは、どてらちゃんのお母さんがまだ元気で、みんなで団地に住んでいた頃に出会った精霊の名前です。
お母さんが米のとぎ汁を流しに捨てようとした時、お母さんの腰にまとわりついて遊んでいたどてらちゃんは、その汁に小さなキラキラした光が浮かんでいるのを見つけたのです。
「あっ、捨てちゃダメおかあさん!」
どてらちゃんは慌ててお母さんの手を止めて、そのとぎ汁を見つめました。
するととぎ汁の表面が波打って、またキラキラと光りました。やっぱり見間違いじゃないようです。
どてらちゃんはお母さんに頼んで、小さな取っ手の付いたスープボウルにそのとぎ汁を入れてもらいました。
テーブルへボウルを置き、どてらちゃんはとぎ汁を色々な角度から見つめます。そしてしまいには、ボウルを持ち上げてゆらゆらと波打たせたのでした。
「ぷゆゆ……そんなに揺らすでないぷゆ」
ボウルから声がしました。
「ぷゆゆ?」
首をかしげながらどてらちゃんがボウルを元に戻すと、そこにはまあるい眼鏡をかけた小太りのおじさんが浮かんでいたのでした。
しかもその頭はてっぺんの方が禿げ上がっていて、もみあげの少し上くらいまでしか髪の毛が残っていません。
「おっちゃん、誰。なんでそこにおる?」
すると、おっちゃん答えて、
「おっちゃん色々見えるぷゆ。」
どてらちゃんびっくり。
「わー、答えた。なんで?」
なんでって?おっちゃんは続けて答えた。おっちゃんは、お米が大好きだったらしい。好きすぎて食事はお米しか食べず、食べる度に感謝の気持ちを伝えていたそうだ。そんな事を続けているうちに、感謝の気持ちを伝えると、お米を大事に研ぐお母さん達の顔が見えるようになった。それは、同じく、お米に感謝し食べるお母さんしか現れない。今日も、そんなお母さんの顔を見ていたところ、急にゆらゆら揺らされ、うっかり顔を現しちゃったそうだ。
どてらちゃんは、おじさんの話を聞きながら、ボウルの中をじっと見つめました。
「お米が好きすぎて、お顔を出しちゃったんだ……」
その言葉の意味はよくわからなかったけれど、どてらちゃんはなんだか嬉しくなって、ボウルにそっと手を添えました。
とぎ汁の表面がふわりと揺れて、光がきらきらと踊ります。
「ねえ、おじちゃん。ボク、お米だいすき。おじちゃんと、ずっとおはなししたい」
どてらちゃんがおじさんの顔を真っすぐに見つめると、器の中でぷくりと浮かんでいたお腹が、汁の中に沈みました。
そして眼鏡の奥の目が細まり、声が響きます。
「ふむ……よきかな。我はとぎ汁の精霊、トギジルと申す。おぬしは、我と契約を結ぶ覚悟があるか?」
どてらちゃんは首をかしげました。
「けいやくってなに?」
トギジルさまは、少しだけ笑って言いました。
「簡単に言うと……我とおぬしが友達になる、ということだな」
「ともだち……! なるなる!」
「では、契約の言葉を授けよう。『ぷゆゆ』――これは、我とおぬしをつなぐ、聖なる言葉である」
「ぷゆゆ!」
どてらちゃんは、改めてその言葉を口にしました。
トギジルさまも、
「ぷゆゆ」
そう唱えてから、満足そうにうなずきます。
その瞬間、器の中の光が徐々に広がり、おじさんの体がサラダボウルとゆっくり溶け合っていきました。
光はどんどん明るくなり、そのうちどてらちゃんは目を開けていられなくなりました。
どれだけの時間が過ぎたでしょう。
「おい、もう目を開けてよいぞ」
トギジルさまの言葉に、どてらちゃんがそっと目を開くと、目の前にはボウルと一つになったおじさんの姿がありました。
まるでお風呂に浸かるように、サラダボウルの縁に手を掛けてくつろぐおじさん。
ボウルの中は、とぎ汁で満たされています。
器の底の辺りからは、毛むくじゃらの太い足が二本にょきっと伸びていて、しっかりと立っていました。
それは、どてらちゃんにしか見えない“精霊の姿”でした。
「おじちゃんが入れ物といっしょになっちゃったぷゆ……」
「こらっ! おじちゃんではない。トギジルさまと呼びなさい」
「ぷゆゆ……トギジル……さま」
「そう。忘れるでないぞ」
「うん、忘れないぷゆ! トギジルさまはボクの友達だもん」
トギジルさまは、静かにうなずきました。
「その言葉、しかと受け取ったぞよ。おぬしの信仰、我が加護と共にあらんことを」
しばらくして、器の中からぼそりと声が漏れました。
「……ふぅ、契約ってのは意外と重労働やな。うわ、肩まわりがバッキバキや」
それはトギジルさまの独り言でした。
どてらちゃんは、ボウルをのぞきこみながら笑いました。
「トギジルさま、ちょっとおじちゃんみたいだぷゆ」
「おじちゃんではない。精霊である。……まあ、ちょっとくらいおじさんしてもええがな」
「ぷゆゆ。ちょっとだけだよ?」
そうして今度は、二人で声を上げて笑いました。
◇ ◇ ◇ ◇
その日の午後。
トギジルさまに「飲んでみるがよい」と言われ、どてらちゃんは初めてとぎ汁を口にしました。
なんだか苦そうな気がして、ちょっとだけ目をつぶって飲んでみると――
「……あれ?」
まろやかな口当たりと共に口の中に広がったのは、ほんのり甘くて、お米の匂いがふわっと鼻に抜けるような、やさしい味でした。
冷たいのに、飲んだあと胸の奥がぽかぽかしてくる。まるで、お腹の中に“ありがとう”が広がっていくみたいです。
「ぷゆゆ……おいしいぷゆ」
どてらちゃんは自然と笑顔になっていました。
「痛っ!」
しばらくして、キッチンからお母さんの悲鳴のような声が聞こえました。
どてらちゃんがキッチンの方を見ると、冷蔵庫から野菜を取り出そうとしたお母さんが、中腰のままで動けなくなっていました。
どうやら、ぎっくり腰のようです。
「あいたたた……」
そう言いながら腰をさすっていて、一向に動く気配がありません。
「大丈夫、おかあさん!」
慌てて駆け寄ったどてらちゃんは、お母さんの顔を覗き込みました。
お母さんは苦痛に顔をゆがめ、額にはうっすらと汗がにじんでいます。
でもまだ六歳のどてらちゃんは、おろおろするばかりでどうにも出来ません。
「トギジルさま、どうしたらいいぷゆ……」
どてらちゃんは泣きそうな顔をトギジルさまに向けました。
「ふむ。痛がっておる所を、そっとさすってやるがいい」
トギジルさまに言われた通り、どてらちゃんは腰の辺りに手を添えました。
瞬間――どてらちゃんの掌から、ふわりと柔らかな光が出るのが見えました。
それは湯気のように淡くて、でも確かに“あたたかい”光。
お母さんの腰のあたりから、何かがゆっくりと立ちのぼっていくようでした。
どてらちゃんが光を目で追っていると、
「……あれ? 痛く、ない。なんで? さっきまで動けないくらい痛かったのに……」
不思議そうに首をかしげながら、お母さんが体を起こしました。
何だか分からないけれど、もう大丈夫なようです。
どてらちゃんはホッと胸をなでおろして、テーブルに戻りました。
するとあぐらをかいて座っていたトギジルさまが、囁くように言います。
「この汁を愛する者には、ちいさな幸せが与えられるんだぷゆ」
それを聞いたどてらちゃんは、ぱあっと顔を輝かせました。
「ぷゆゆ! もしかして、トギジルさまが治してくれたんだぷゆ?」
「うむ、とぎ汁に宿る奇跡の力じゃ」
トギジルさまは得意げにうなずきました。
「まあ今のはほんの一部にすぎぬが……おぬしに言っても分からんか」
「キセキ! キセキすごい!」
どてらちゃんは大喜び。目をきらきらさせながら、両手でボウルを抱きしめるようにして言いました。
「お汁の力、すごおおおい! じゃあこれからボク、ずっとお汁を飲むぷゆ! ずっとずっと」
「ほお、よい心がけじゃな」
トギジルさまは器の中でくつろぎながら、満足そうに微笑みました。
◇ ◇ ◇ ◇
その日から、どてらちゃんはとぎ汁を“神聖な飲み物”として飲み続けるようになりました。
朝も、昼も、夜も。
そして、語尾に「ぷゆゆ」をつけるようになったのです。
それは、トギジルさまと交わした最初の契約の言葉。
どてらちゃんにとって、世界とつながるための、いちばん大切な言葉でした。
「トギジルさまがいるから、ボクは大丈夫ぷゆ」
『信じる信じる力と非常用リュック』
「ただいまぷゆー!」
ある日の午後。
どてらちゃんは、小学校で先生から渡されたプリントを、両手で大事そうに抱えて帰ってきました。
それを居間のテーブルの上に置くと、カバンを置きに部屋へと向かいます。
ちょうどそこへ、洗濯物を取り込みに行っていた撫子が戻ってきました。
「おーどてらー、帰ったのかー? おかえりー」
部屋の方へ一声かけてから、テーブルに腰を下ろします。
「ん? 何だこれ」
テーブルの上に洗濯物を広げようとした撫子は、首をかしげました。
そこには『家庭の防災チェックリスト』と書かれた一枚のパンフレットがありました。
防災用としてリュックに入れて常備しておくべきもののリストのようです。懐中電灯、水、非常食などが並んでいます。
しかも、ちゃんと小学生にも分かるようにイラストまでついています。
「へえ、分かりやすいじゃん」
撫子はパンフレットをめくりながら感心しました。
パンフレットにはもう一枚紙が挟まれていて、『おうちの方へ』と書かれています。
そこには『秋の防災週間です。お子さんと一緒に、防災グッズの準備とチェックをしてみて下さい』と書かれていました。
多分これは、今日の宿題のひとつなのでしょう。
「そういや、うちはまだ準備してねぇな」
撫子がパンフレットを読み終えた頃、どてらちゃんが部屋から戻ってきました。
手には、押し入れから引っ張り出してきたリュックを抱えています。
「撫子ちゃん、これに入れるぷゆ!」
「ん? ああ、防災グッズな。偉いじゃんどてら、すぐに宿題やるなんて」
撫子はどてらの頭をなでなでしました。
「じゃあ一緒にやっか!」
「うん、やるぷゆ!」
二人はテーブルの上にパンフレットを広げて、項目をひとつずつ確認しながら、懐中電灯や乾電池、非常食をリュックに詰めていきました。
どてらちゃんは、撫子が缶詰を入れるたびに「それはお腹のぷゆゆを守るやつぷゆ!」と嬉しそうに言います。
しばらくして、どてらちゃんがふいに席を立ちました。
撫子は「トイレかな」と思って気にせず作業を続けていましたが、数分後、どてらちゃんが両手で何かを抱えて戻ってきました。
それは、冷蔵庫の“ぷゆゆ棚”から取り出したペットボトル。
中には白く濁った液体――とぎ汁が入っています。
「これも入れるぷゆ!」
ラベルには、どてらちゃんの丸っこい字でこう書かれていました。
• 「トギジルさま1号」
• 「ぷゆゆ予備」
• 「非常用ぷゆ汁」
撫子はすでに結構な大きさに膨れたリュックの中をのぞいて、眉をひそめました。
「……これ、全部入れるん?」
「うん、とぎ汁大事! これがあれば災害が来ても、トギジルさまが守ってくれるぷゆ! だからいっぱい必要ぷゆ」
撫子はしばらく黙っていました。
そして、三本のうちの一本だけを横ポケットに差し込みました。
「……まあ、一本くらいならええか」
その声は、どてらちゃんには聞こえませんでした。
でもボトルの中のとぎ汁が、ほんの少しだけ嬉しそうに輝きました。
撫子はリュックのファスナーを閉めながら、ふと空を見上げました。
窓の外には、雲の切れ間から差し込む光が一筋。
「……トギジルさま、ねぇ」
その言葉は、誰にも聞かれないように、そっとこぼれました。
了
* * * * *
ごめんなさい。リレーじゃなくてショートの連作になってしまっている・・・
後半のラスト辺りだけ、AIのアイデアを採用した形のまま未修正。少しだけ加筆されるかもです。