ここがどこか教えて!
気がつくと僕は暗闇の部屋にいた。
体を起こし音を立てると、静かな空間に響きそこが部屋の中だとわかる。
ここはどこだろう?
床を触りあたりを確かめながら移動してみる。
少し移動すると手に硬い何かがあたった。硬い何かはカラカラと転がる音を立るとしばらくして音がやんだ。
「ふぅ」
得体のしれない何かに触れて少し身構えていた僕は、息を吐き出し転がって行ったそれを手探りで探し始める。
指先にあたる。硬い。冷たい。金属だろうか?
触ってみる。細長い。筒状の棒。スイッチのような突起がある。
手に持ってみる。重い。
スイッチをつけると棒の先がひかり、僕のそばの床を照らした。懐中電灯だったようだ。
明かりをみると安心する反面、まだ照らされていない暗闇が余計に怖くなってくる。
まずは今向いている正面を照らしてみよう。
白い光で照らされた先には、冷ややかな鉄の扉があった。
所々錆び付いており、かなり年季の入ったものであることが窺える。
此処がどこか、わかる手がかりが見つかるかもしれない。
僕がノブに手をかけて扉を押すと、ギギィ、と軋んだ音を立てて、扉は開いた。
と、微かな異臭が、僕の鼻を擽る。
形容はできないが、かなり特徴的な匂いだ。
懐中電灯を握り直し、僕はおずおずと一歩を踏み出した。
縁起でも無く、頭に浮かんだミステリ小説の死体の発見シーンの記憶を打ち消し、匂いがする方に懐中電灯の光を当てる。
果たしてそこには───巨大なチーズの塊があった。
「ふっ。」
思わず口から笑い声が出る。
三歳児くらいの大きさのあるチーズが、そこに放置されていた。
いったいこんなの、誰が食べるんだ。
けれど、こんな巨大なチーズの塊を出しっぱなしで出かけるほどのうっかりさんもいまい。
何処かに人がいるかもしれない。
僕は、向かって左側に懐中電灯を向けた。
そこには机が置いてあった。
ライトに照らされた机の上で何かがもぞっと動く。手のひらに乗りそうなサイズで、毛がもふもふとしている。
長い尻尾をふりふりと動かすそいつはチーズの欠片を抱えていた。
ネズミだ。チーズを大事そうに抱え、後ろ足で器用に立ってこっちを見ている。
「......」
何をするわけでもなくそのネズミをじっと見ていると、ネズミは後ろ足で立ったまま机の上をぐるぐると歩き出した。その歩く姿は動物が頑張って立って歩いているような雰囲気ではなく、まるで人間が歩いているように背筋が伸びている。
「えっ」と思わず声を漏らす。なぜか少し背筋が寒くなるのを感じた。
ネズミは歩いていた身体を止めるとくるりとこちらを向き、僕の顔を眺めてきた。
そして、ネズミは人の言葉を喋り出した。
「おい」
あまりに理解の及ばない出来事に僕は固まってしまった。
ネズミというのは言葉を話す生き物だったろうか…
思い返してみようとしたがそもそも自分はここで目が覚めるまでの記憶がないじゃないか。
最初から異常事態ではあるがこの状況を異常と感じている僕の正常とは一体どこにあるのだろう。
「あんちゃん聞いてんのかぃ?」
目の前の異常の象徴がまた口を開いて僕は我に返った。
「そいつを下ろしてくれよ、まぶしいじゃないか」
「…ああ、すまない」
ネズミに注意されてそれに従うというのはなんとも滑稽としか言えない姿だが僕はおとなしく懐中電灯の光をそらした。
一周回って冷静になったといったところだろうか、今の僕にとって初めて会話のできる相手と関係を悪くするのは得策ではないと考えたのだ。
「つかぬことを聞くがここが何処かわかるかい?」
どんなことでもいいから情報を得なければと僕はネズミに質問をした。
「何処かと聞かれたら俺の餌場としか言えねぇなぁ
食いもんがあるからくすねに来てるだけだからよぉ」
盗みに来ているということは他に主がいるのか?
そう考える僕の耳にかすかな鈴の音が聞こえてきていた。
そのかすかに聴こえる鈴の音は、今までに聴いたどんな音よりも心地よく、美しかった。
思わずフラフラと誘われるように、僕はその鈴の音が鳴る方向へと歩き出していた。
「おい、行くな! あれは罠だ!」
そんな僕を止めるように、大声でネズミが叫んだ。ハッと我に返る。
「行ったら、あんちゃん。ソイツになっちまうぜ」
ネズミは僕の手の中に握られている、懐中電灯を指差した。
「ソイツはただの懐中電灯じゃない。懐『チュウ』電灯だ。俺のもと仲間さ」
懐『チュウ』電灯?
…ねずみ?
鈴の音の聞こえる方に言ったらこの懐『チュウ』電灯になるってこと?
じゃあ、多分僕と同じようにここに来て、そのときはねずみくんが居なくて、一人きりで、鈴の音について言って、懐『チュウ』電灯になってしまった人がいるんだろうな。
お悔やみ申し上げます。
安らかにお眠りお下さい。
「…ねえ、ねずみさん。君たちの餌って何?」
「えっと、そこら辺に生えている草とか、跡あそこの木になる林檎。ここの中ではこんくらいだ。」
草、林檎。
外かもしれないけど、風を感じない。
自然特有の匂いもない。
だとしたら、ここは、自然に見立てて作った場所?
いつもネズミが住んでいるのなら、僕達が住んでいる部屋の1,5倍でもあったら、ネズミにはわからないだろう。
それに、ネズミは暗くても平気だから。
ここは、ネズミ用なのか、人間用なのか。
現時点では、ネズミ用と考えるのが妥当。
だけど、懐『チュウ』電灯になった人がいるというところから考えると、前からここに人間が来ていたということになる。
ここはどこで、誰用で、何のために作ったんだろう。
そんなことを考えると怖くなってくる。
ここの暗い空間で目が覚めたことから、普通ではないことで恐怖心があった。
だが、その後にあった喋るネズミに今握っている懐『チュウ』電灯。僕が持っている常識外のことが起こったことですぐには頭がついていっていなかったらしい。
ここはどこで、誰用で、何のために作ったんだろう。
それを考えたことで、得体の知れない怖さで身体中の血が引いていくのがわかった。
「なあっ、ここからの出口はないのか?」
さっきまでより早口で言葉をだす。
するとネズミは「ああ、あるにはあるんだがな」と言葉を濁らせながら、ピョイと机から降りるとタタタッと床を走っていく。
それに続いて最初に目が覚めた部屋に戻り、そのまま突き当りの壁まで歩くと、「ここだ」とネズミが止まった。
ネズミの方に目線を落とし、懐『チュウ』電灯を向けるとそこには小さな扉ががあった。
「まあ、ほら、この通りネズミ用のサイズだからな。お前は出られないだろう?」
ネズミは前足を器用に使って扉を開けると、スーと床に光の線が入ってきた。
そして、ネズミが扉を全開にすると、淡白い光が足元を少しだけ照らした。
ーーー確かに出られない。
太陽のような、オレンジと黄色が混ざったような光ではない。
LEDだろうか?
しかし、足元を少しだけ照らしている光の為、それも定かではなかった。
思い返せばこの部屋のことを自分はよく知らない。
いや、正確には知れば知るほどなぞが深まるばかりだ。
そこで、僕はまず目の前の不思議で親切なネズミのことを知ることにした。
「ありがとう、ネズミ君。ところで君はどうして人の言葉をしゃべれるのかい?」
僕がそう尋ねると、ネズミは苦虫を潰したように顔を歪めた。
そんな表情ができるなんて、随分と人間臭い奴だと思った。
ネズミの表情筋って意外とよくできてるんだな、なんて的外れなことを考える。
ネズミは扉を乱暴に閉じたかと思うと、その場に座り込んだ。
「…言っても信じねえ」
彼はそう言ってそっぽを向いてしまった。
聞いてはいけないことだったのだろうか。
申し訳ないとは思いつつも、そんなふうに言われてしまうと余計に気になってしまうのが人のサガである。
「ネズミが喋ってるのを受け入れてるのに、今更信じられないことなんてないよ」
するとネズミは小さな耳をピクっと動かして、恐る恐るこちらに首だけ向けてきた。
「それもそうか」
渋々といった様子だが、納得はしてくれたらしい。いやに物分かりがいい。
ネズミは体も僕の方に向けてから、僕の目をじっと見据え、口を開いた。
「あんちゃんと一緒さ」
ふぅと一息つくと言葉を続けた。
「俺はもともと――。......チュウー」
「何だい? かわいい鳴き声を出して」
「チュッ! ......チューチューッ......」
さっきまで人の言葉を喋っていたネズミは、チューチューと鳴きながらパタパタと手を振っているようにみえる。
「チュー! チュー!」
ネズミは慌てているようで僕に向かって必死に鳴き声をあげてくる。
「もしかして、喋れなくなったのか......?」
するとネズミはコクコクと頷いた。