恋の行方
その朝は白井晴にとって憂鬱であった。
嫌いな授業があるわけでも、猛暑でも極寒でもないというのに、足取りがまるで弾まない。
理由は簡単なことだ。昨日、晴は友達と夜遅くまでビデオ通話をしていた。会話は白熱し、どういう成り行きか「明日、晴は好きな人に告白する」ということになったのだ。
実のところ、晴は告白に乗り気ではなかった。
「出来る限り今の距離感を保っていたい」。
「失敗して悪目立ちしたくない」。
そんな腹づもりでいたのだが……ノリという物には抗えなかった。
「オッケー、やるよ! もし告白しなかったら焼肉おごるったるからな」
……という訳で、晴は自分の発言に首を絞められた格好になった。
失意の中教室に入ると、隣の席の"あの人"が目に入った。
荒巻蓮——。クラス1の秀才だとか、陸部のエースだとか、バレンタイン・ホワイトデーの"覇者"だとか、その異名は枚挙しきれない。
蓮に恋人がいるという噂は聞いたことがない。なら告白上等じゃないかとも思ったが、余計に困難である。それは蓮の孤高っぷりを高めたに過ぎない。
「おはよう」
そんな事を考えてると、蓮があいさつをした。
「お、おはようっ!」
晴は想い人に急に声をかけられ、上擦った声で返事をすることしかできなかった。
どくどくと鼓動する心臓が痛いくらいだ。
片想い特有の、甘酸っぱい味で口腔内が満たされる。
とにかくぎこちない動作で何とか席についた晴は、必死に告白プランを考えてみた。
今日は水曜日。
蓮は陸上部の活動で少なくとも18時30分までは学校に残っているはずだから、持ち時間は残り10時間程度。
たった10時間、しかもノープラン。
いったいどうすればいいんだ。
晴は余程険しい顔をしていたのだろうか。
珍しく、挨拶以外で蓮から晴に話しかけた。
「そんなに真剣に、何を考えてるんだ?」
蓮の物憂げな瞳が、晴を映し出す。
(貴方のことを考えてました、なんて言えないよ…。)
けれど何か返答しなければ不審に思われてしまう。
晴は喉の奥に張り付いてしまいそうな言葉を、何とか吐き出した。
「え、あーいや……友達のこと、かな?」
荒巻蓮の問いに白井晴がはにかんで答えた。
どこか恥ずかしげなその笑みに、蓮の胸が大きく弾んだ。
勇気を出して話しかけて良かった、と思った。
荒巻蓮にとって、白井晴は不思議な人だった。
どこの部活にも所属しないいわゆる帰宅部員で、取り立てて成績のいい科目もない。
だが何故だかずっと見ていたくなるような魅力があった。
晴のそんな魅力に気づいているのはどうやらクラスの中でも自分だけのようであった。
そんな晴と隣の席になれた瞬間は、快哉を叫びたくなるほどだった。
荒巻蓮の目下の悩みは、せっかく隣の席になれたというのに晴との距離が一向に縮まらないことだった。
まるで晴がこちらとの距離を縮めたがっていないかのような壁を感じていた。
「友達?」
「えーと昨日、ビデオ通話してたら友達に無茶ぶりされちゃって……」
晴の気まずそうな口ぶりに蓮は嫌な予感がした。
無茶ぶりとはもしや誰々に偽の告白をしろといったような、この年代によくある悪ふざけのことだろうか。
「無茶ぶり…。女子が好きな悪ふざけ、か?」
心配と失望が入り混じったような彼の反応で、晴はようやく、失態を演じてしまってことに気づく。
(友達に無茶ぶりされた、なんて言い方の所為で、悪ふざけと思われちゃった…)
もし仮に勇気を振り絞って蓮に告白したとしても、このままでは晴の本当の想いは伝わらず仕舞いになってしまう。
それどころか、今の距離を保つことすら難しいだろう。
どうにかして誤解を解かなければ…。
「いや、そんなのじゃなくて、えと…。あの、課題…。友達に、写していいかって頼まれちゃっただけ!」
宿題写させて問題は、男子同士でもよくある事だろう。
たどたどしかったものの、なんとか言い訳を考えることができて晴はほっと胸を撫で下ろす。
「そ、そうか。早とちりして、ごめん。」
その言葉が終わると同時に、HR開始のチャイムが鳴り響いた。
もう少しだけ勇気があったら、会話の流れで上手に告白できてたかもしれないのにな。
ビターチョコレートよりほろ苦い後悔を、近い未来への緊張と共にどうにか飲み下す晴であった。
HRはまったく集中できなかった。
なにせ、さっき告白のチャンスを逃しただけではなく、難易度をあげてしまったからだ。
(どうしよう……)
告白せずに焼肉をおごるって選択肢はあるけど選びたくはない。
まだ時間はたっぷりあるのだし本心がしっかりと伝わる告白を考えなくては。
「きりーつ」
号令の声で意識が現実に戻される。
晴は慌てて立ち上がった。
いつもどおり挨拶を済ませて一時間目の準備をする。
一時間目はわりと好きな国語だ。
だけど今日は授業を真剣に聞くつもりはない。
急いで準備をしてまた告白のタイミングについて考える。
考えても思いつかないので、少女漫画からアイデアをもらうことにした。
少女漫画でよくみる告白のタイミングは昼休みと放課後だ。
(なら、残るチャンスは二回ってこと?)
昼休みまでにどう伝えるかを考えることにした。
ルーズリーフに『昼休み』『放課後』と記入する。
(うーん……)
晴は悩みながらチラッと蓮の方を見た。
すると目が合ってしまった。
晴と目が合った。
国語の授業が始まった時から二、三回晴の方をチラ見していたから何かしらのタイミングで目が合うことは
なんら不自然でも無いのだが、思わず目を伏せてしまった。
「あの、朝話した課題のやつ」
晴が話しかけてきた。
「その課題さ、俺もまだ出来て無いんだけど、この授業の後、見せてくれない?」
蓮は、何でも今直ぐにでも見せます、と言いたいところだったが、
「あぁ、いいよ」
と言うのに留めておいた。