Fate/advent vasileio
若草の萌える平原にはおよそ似つかわしくない石造りの高楼は、天を衝くほどの高さを誇っていたが今や壁はひび割れ風吹けば軋みを唸らせ長らく人の手が入っていない様子だった。
見れば岩や丘のように思える起伏もよくよく観察するとかつては建造物であったことが伺える。長年雨に打たれ草木に侵食され荒廃してもなお原型を留めていられるのは高度な建設技術が用いられたからに違いない。
それに気づくとこの平原全体が過去の遺構が散在する廃墟であることも見て取れるだろう。
かつては都市だった。ヒトの繁栄の象徴だった。極まった文明のあらわれだった。
だが、今や名も刻まれず打ち捨てられた墓標となっている。
広がる風景はどこまでも長閑なのに吹く風はどこか寂しく冷えた肌触り。乾燥した空気の中“彼”は一条の涙を零した。
父と仰ぐ神、あるいは世界そのものと契約し幾千年に渡る紀元を興した救世主。人を愛し、人を救い、それゆえ人に殺された純粋すぎた子羊。
はるかな昔、人類が文明を振りかざしていたころには全人類の三割以上に崇め奉られ二千年以上に渡って信仰を集めた聖人の中の聖人。
だがしかし、今となっては“彼”の名を唱えるものは誰一人としていなかった。
次に起きた時、敬虔にして清純な善き人たちに迎えられこの地上にあらゆる苦しみから解放された王国を築くはずだったのに。
現実には“彼”が望んだ祝福はなく、また“彼”を使命に駆り立てるだけの劇的な地獄も顕現しておらず、ただただ滅んだという単純な事実だけが眼前に横たわっている。
サタンが先に地上に降りていてあたりを火の海にしてしまっていた方が、どれだけ楽だったか分からない。嘆き、苦しみ、悲しむ人々がいれば、無惨に死に絶えた人々がいたならば“彼”は全霊をかけて憐れな人々を救おうと奔走しただろうに。それならばまだ受け入れられた。
ここには何も無い。
父の声も、誘惑する蛇も、救いを懇願する人々も。
もはや“彼”の心は折れかけていた。次から次に溢れる涙を滔々と流し荒涼とした空を仰いでなぜ見捨てたのか、と誰に向けるわけでもなく糾弾する。
そして、最後の奇跡のために“彼”は最後の契約を交わした。
聖なるかな
聖なるかな
聖なるかな
罪ある目には見えねども御慈しみの満ちたれる神の栄えぞ類いなき
我が身は盃ならん
「ここは……」
人理保障機関、フィニス・カルデアに所属するマスター、藤丸立香と
そのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトが降り立ったのは、
見渡す限りの廃墟。生活の痕跡はあれど、人の気配は無い。
「私達、カルデアにいた筈なのに」
「レイシフトも無しに、こんな……先輩ッ!?」
何かの気配を察知し、マシュは反射的に立香の前に立ちはだかり、巨大な盾を翳した。
遅れて盾に弾かれる金属音。銃弾だ。
「誰!?」
「その盾の少女はサーヴァントだな。であれば、君はそのマスターと言う事になる」
銃口を向けたまま、ゆらりと現れる黒いロングコートに無精髭の男。
その瞳は黒曜のように澄んだ漆黒を湛える。
「ならば……殺す」
男は顔色一つ変えずに引き金を引く。
クラス:シールダーのデミ・サーヴァントであるマシュの盾はその尽くを防ぐ。
「待って! あなたは誰なの!? どうしてここにいるの!?
と言うか、ここは何処なの!?」
「答える必要は無い。僕自身、その答えを持ち合わせていないからね」
状況を把握できないでいる立香に対し、男は至って事務的に、抑揚も無く答える。
男も立香とマシュと同じく、この場所に迷い込んだようだ。
「しかし……硬いな。舞弥でもいれば、あのサーヴァントの死角から
マスターを狙撃させる所だが……」
マシュの守りを抜かない限り、マスターである立香の命には届かない。
「仕方無い。出番だ、セイバー」
男は契約を交わしたサーヴァントを召喚する。
金髪碧眼、甲冑を身に纏った男装の麗人。その手には刀身の無い剣を握る。
「!? サーヴァントを召喚した……?」
「あの人も魔術師……!?」
「問おう。汝らは私の敵か?」
「違います! 私たちには戦う意志はありません!」
「……ああ言っているが。どうするのだ、衛宮切嗣。戦意を持たぬ者に剣を振るうは……」
「問答は無用だ。僕がやれと言っているんだ、セイバー」
「……承知」
男――衛宮切嗣――との関係は良好とは言い難い様子のセイバーは、
数瞬目を閉じ、己の中の葛藤を諌めつつ、立香とマシュへと視線を向ける。
「済まない、名も知らぬサーヴァント。その盾には些かの見覚えもあるが、
サーヴァントの記憶とは遷ろうもの。今の私はマスターの命に従う影法師に過ぎない」
不可視の剣閃が、マシュを強襲した。
開かれた戦端を余所に、1騎のサーヴァントが現界していた。
「何故、俺が?」
男の言葉は、本来自分が“召喚されるはずのない存在である”ということを示していた。
「これは、聖杯戦争なのか? それにこの霊基出力は……」
今回の召喚における自分の在り方を即座に理解した男だが、解せないことはある。
「俺のマスターは何処にいるんだ?」
傍らに落ちていた玩具を拾い上げる。
「……ここが日本だとすれば、そういうこともあり得るかもしれんな」
玩具の埃を払い、建造物の柱だったものの上に置き手を合わせる。
こんなことになった元凶がなんであるか、知る由もない。 だが、救いを求める声があり、それを救えなかったことに対して悔しく感じていた。
「本来召喚などされる筈のない身だが、こうして現界した以上は何か理由があるに違いない」
サーヴァント ライダー。 男の名は“■■■■■■”
いつの間にか停車してあった“■■■■■■”に跨ると何処かへと走り去って行った。
轟、と視えない剣が振り下ろされる。華奢な細腕からは想像できない剛剣は盾で防いだはずなのに滝の濁流がそのままぶつかったような衝撃をマシュの全身に叩きつけた。
二合、三合、と刃と盾を交え早くも少女の体が悲鳴を上げるように軋むのをマスターである立香は魔力供給ライン越しにフィードバックされる感覚で察していた。
一見豪放に放たれる剣戟は、しかし無駄のない所作から繰り出されその迅さは尋常の人間では捉えることはできない。卓越というには余りある剣技に敵対してしまった少女たちは底冷えするような恐怖を懐く。
カルデアは彼女を知っている。男装の麗人、剣の英霊に相応しい技量、加えて不可視の剣に体躯に似合わぬ剛力。
間違いなくアルトリア・ペンドラゴン。騎士王と讃えられたブリテンの守護者。伝説のアーサー王。知る限り最優にして最強のセイバーだ。
仲間として轡を並べている間はこの上なく頼もしかった彼女だが、敵に回せばこれほどまでに末恐ろしい存在になるとは。
マシュがこれまでセイバーの剣を辛うじて受け止めていられていたのも彼女の剣筋を見て覚えていたからに他ならない。そうでなければ最初の一閃で斬り伏せられていたことだろう。
これ以上はマシュが危ない。今はまだ耐えているものの、一撃で岩をも容易く粉砕する剣戟を浴び続ければ守りに長けた彼女といえども持ち崩しかねない。
焦燥をあらわにした立香は走り出しセイバーの前に身を踊らせマシュを庇うようにして腕を広げた。
「アルトリア・ペンドラゴン!貴女が騎士の範たる王であるのなら、この戦いの大義を示すべきだ!なぜ、こんな無体な剣を振るうの?」
立香の知る彼女ならば無力な者をいきなり殺したりはしないはずだ。実際、あの無精髭の男──キリツグ、と呼んでいたか──には戦うか否かを問うていたではないか。
目論見通り、いささか怪訝な表情を浮かべながらではあるがセイバーは振りかぶっていた剣を下ろし後退しながら話を聞こうとする素振りを見せてくれた。
少しでもセイバーの気を逸らし、そこに活路をみいだすしかない。不意打ちか説得か。卑怯などとは言っていられない。正攻法で彼女を下すのはまず不可能である。
「────貴女は」
戸惑いながらもセイバーは言葉を紡ぐ。
「ここが戦場と分かっていて私の前に出たのか。大義など知れたこと。これは────聖杯戦争だからだ」
「ふッ! はッ!! やああああッ!!」
セイバー――騎士王アルトリア・ペンドラゴンの流麗にして豪胆なる
剣技の連続攻撃により、徐々に押し込まれていくマシュ。攻めに転じる事が出来ない。
防戦一方だ。そして、それもいつまで保つか分からない。やがては突破される。
「くっ……!」
「マシュ……!」
「王手、だな」
切嗣は銃弾をリロードする。セイバーがマシュの守りを抜いた瞬間、
立香に魔術師殺しの礼装を施した「起源弾」を撃ち込む。
魔術師の体内に走る魔術回路を暴走させ、殺害。
よしんば死を免れてもほぼ確実に再起不能に追い込むと言う恐ろしき性質を持つ。
「まずい……!」
立香も切嗣の思惑に感づいていた。
マスターが倒れればサーヴァントへの魔力供給が絶たれ、即座に無力化する。
そうなれば、2人揃ってここで終わりだ。
「冗談じゃない……! こんな何処かも知れないところで……!!」
絶体絶命。と、そこへ。
「――斬撃(シュナイデンッ!!)」
マシュの盾とセイバーの剣が拮抗している所へ、三日月型の斬撃波が
空より飛来する。
「!? チッ!」
マシュを押し退け、セイバーは斬撃波を叩き落さんと不可視の剣を振るう。
互いが衝突した瞬間、眩い閃光が迸り、衝撃波が巻き起こる。
すべてが白い闇へと呑み込まれていく。
「何だ、何が起こった……」
「……こっちへ!」
幼き少女の声が聞こえたかと思うと、未だ視界の晴れないマシュの手を取る。
「先輩!!」
咄嗟に背後にいる立香の手を握り、マシュはこの場からの離脱を図った。
「伏兵がいたのか……」
閃光と土煙が収まると、そこにはマシュと立香の姿は既に無く、
残されたのは切嗣とセイバーのみであった。
「これで振り出しに戻ったわけか。まあいい。少し辺りを探索する事にしよう」
戦い終えて労いの言葉をかける事もなく、切嗣は煙草を燻らせ、
セイバーを置き去りにして歩いていく。
重い沈黙は敵を仕留め損ねたセイバーに対する物言わぬ罵倒のようにも感じられた。
「……くっ……!」
(さっきの声……まさかな)
マシュと立香を救った少女らしき声。それは……
「ふぅ、危機一髪。大丈夫でしたか、先輩?」
「うん、ありがとうマシュ。ところで、あなたは……?」
「私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
マシュと立香は驚き顔を見合わせる。その名は彼女たちもよく知るものだが、いささか様子が変わっているようだ。
「イリヤ……カレイドステッキはどこに行ったの?それに服も変わっていないし」
たまらず立香が問う。魔法少女への転身もしていないし、いつもうるさいアレも姿を消していた。帯びる雰囲気もどこか達観しておりいつかカルデアと共に戦った彼女とはどこか違う。
「……?貴女、リンのお友達?それより危ないところだったわね」
どうやらイリヤの方は立香たちのことを知らないようだった。“こちら”のイリヤは初対面であるらしい。雪のように白い髪の毛をさらりと舞わせながらあたりを見回しもう敵がいないことを確認すると話を続ける。
「さっきの男はキリ……衛宮切嗣。魔術師殺しって言われてるような危険な男よ。本当は私が仕留める予定だったの。貴女たちさえ現れなければ計画通りに事が進んでいたのだけれど」
もとは支柱だったのだろう、真っ直ぐ伸びているが役目を終えて横たわるそれに腰掛けため息をついてみせる。ついでにジトりとした刺々しい視線を向けながら。
察するに、イリヤは衛宮切嗣なる男を倒す算段があったのだろう。だが、そこにイレギュラーに過ぎる要素、カルデアが現れてしまった。用意した手順がおじゃんになれば不機嫌になるのも致し方ないことだ。
とはいえ。
「あの……では、なぜ私たちを助けていただいたのでしょうか」
疑問がマシュの口をついた。不意に出没した不確定要素、それも計画を破綻させるような因子なら現れた時点で撤退すべきだったし、助ける理由もない。しかも、放っておけばセイバーを損耗させ漁夫の利を得られたかもしれなかったのだ。
それをわざわざ姿を晒し危険を犯してまで立香とマシュを救出するとは、いったいどういう目論見あってのことか。まさか単なる善意だけで二人を連れ出したわけではあるまい。
「さあ。ただ顔を見た時に使えるかもって思っただけよ」
質問にわずかに口端を緩め改めて値踏みすらように立香とマシュを頭の天辺からつま先まで眺め回す。居心地が悪そうな、こまったような表情を浮かべる彼女たちに向かってやにわに表情を和らげた。
「だってそうじゃない?何の備えもなく無策のまま丸腰でサーヴァントの前に現れるだなんて愚かなんて言葉じゃ足りないわ。この子たち利用できるかもって、思っちゃうでしょう?」
アルトリア、そしてイリヤ。
藤丸立香とマシュは過去に彼女らと出会っている。正確には、彼女らと同じ似姿をした
サーヴァントと。
サーヴァントとは、人類史にその名を残した英霊の在りし日の姿である。
魔術師の莫大なる魔力を媒介として召喚されるが、
その度に付与される人格や記憶に差異が生まれるため、ほぼ別人であると言える。
立香とイリヤ、両者の認識に齟齬が生じているのはそのせいだ。
(ここにいるのは、私の知ってるイリヤじゃない。さらに違う人生を辿った別人なんだ。
あの衛宮切嗣と一緒にいたアルトリアも……)
「? 何よ、人の顔をジロジロ見ちゃって……」
立香の視線に、怪訝な表情を浮かべるイリヤ。
「あ、ごめん。ちょっと考え事をしてて……」
「ところでイリヤ……さん。ここが何処なのか、ご存知でしょうか?
私も先輩も、気がついたら突然この場所に迷い込んでいて」
「私も大体同じよ。私も、あなたたちも、キリツグも。
元いた世界も、時代も違ってる。共通しているのはサーヴァントを従えた魔術師、
と言うこの一点だけ。
そして、何処かの誰かが『聖杯戦争』を仕向けている」
「聖杯戦争……」
それは、万能の願望器「聖杯」を巡り、自らが使役する英霊を召喚した魔術師達が
最後のひとりになるまで殺し合う、生き残りを賭けた争い。
ヒトの歴史上、幾度となく勃発し、血で血を洗う凄惨なる死闘が繰り広げられたと言う。
しかし、此度の聖杯戦争はかつてイリヤが参加したものとは異なっている。
誰が主催者なのかも、開催されたこの場所が何処なのかも、
どれだけのマスターとサーヴァントが参加しているのかも、全ての情報が不鮮明なのだ。
「もしかすると、聖杯戦争と呼べるものですら無いのかもね。もっと別の何か」
「そうだとしたら、私たちはどうすればいいのでしょう、先輩。
私達はただカルデアに帰りたいだけなのに。殺し合いだなんて……」
立香が所属するフィニス・カルデアは、人理焼却を企てた存在の野望を食い止め、
人類史を正しき流れに戻すために数多の特異点を巡る
「グランドオーダー」の旅の途中であった。聖杯戦争ならぬ、聖杯探索。
それが彼女らの使命だった。
「ふーん。ますます変な人たちね。魔術師とサーヴァントのくせに」
己が望みを叶えるためには、生き残るためには、戦う他に道は無いのだろうか。
マシュの憂える気持ちは立香も同じだった。
これまで幾多の修羅場をくぐり抜けては来たが、だからといって命のやり取りに慣れたわけではない。できることなら誰も傷つけることなくこの状況を打開したい。
幸い、光明は一条ある。
「イリヤ。利用するでも何でもいい。力を貸して」
マシュたちを窮地から救い出してくれたイリヤスフィール。彼女も自らを迷い人と言いつつも、立香たちより事態を把握しているはずだ。それに、魔術は彼女の方が明らかに熟達している。
イリヤと一緒ならこの異常な場所が何なのかを解明し元の世界に戻る方法を見つけ出せるかもしれない。
立香は縋るように自分よりも小さな少女に向かって頭を下げた。マシュも続いて「お願いします!」と拝を深くして助力を乞う。
「いいわよ」
イリヤの返答はごくあっさりしていた。そもそもそのつもりで彼女たちを助けたのである。
この無防備なマスターとサーヴァントの二人は御しやすく手駒には丁度良いだろう。彼女たちが自分の手から離れていこうとするまでは利用しても構わない、と決めたのだ。
マスターの方が非人間的なまでにお人好しなどこかのだれかさんに雰囲気が似ていたからなどという感傷は氷の理性で否定しながら。
答えを聞いた立香とマシュは顔を輝かせて二人でイリヤの手を取った。
「ありがとう、イリヤ!一緒にがんばろう!」
「及ばずながら私も全力でイリヤさんをお手伝いします!」
「ええ、そう。よかったわ。一人より二人、二人より三人いれば問題の解決は早いはずよ。ニホンじゃそういうの、三人寄ればナントカの知恵っていうんでしょ?」
苦笑しながらイリヤは二人の手を握り返す。裏表のない性分なんだろう。早くも全幅の信頼を置かれてしまったようで嬉しいような前途に不安を感じるような複雑な気分を感じていた。
「それで、ええと」とイリヤ。話すことがあったがまだ二人の名前は聞いていない。盾を持っている方はマシュ、と呼ばれているのを聞いたが。
「私は藤丸立香。こっちはマシュ・キリエライト。よろしくね」
察した立香が改まって自己紹介する。にこにこ満面の笑顔で名乗るのはいいが、それはそれで調子が狂う。戦いの渦中にあるというのに、緊張感がなさすぎではないだろうか。
「リツカとマシュ。さっきの口ぶりからすると、貴女たちは別に聖杯が欲しいわけじゃないみたいね?」
「はい。私たちカルデアは特異点を生み出す元凶である聖杯を回収、或いは破壊する事が目的でした。
ですので、聖杯で自らの願いを叶える……と考えた事は無かったのです」
「ますます変なの。わたしの周りにはそんな考えの人はいなかった。
我先に聖杯を手に入れる事を考えて、他人を蹴落とすのも辞さない人ばかりだったし、
わたしもそれが当たり前だと思ってた」
価値観の違い。イリヤには考えもつかなかった。
聖杯戦争に勝つためだけにアインツベルンによって生み出されたホムンクルス。
故に外の世界の常識も知らず、それ以外の生き方を知らずにいた。
「イリヤさん……」
そんなイリヤに、マシュはかつての自分を見出だしていた。
カルデアの前所長マリスビリー・アニムスフィアにより、デミ・サーヴァントの実験体として
外界と隔絶された日々を送っていた自分自身と。
藤丸立香と出会い、契約を結ぶまでのマシュは色彩の無い、
モノクロの世界に生きていたのだ。
「戦わずに済む生き方も、あるのではないでしょうか。
もし、この状況を引き起こしているのが聖杯であるとすれば」
「聖杯の在処が分かれば、この戦いを終わらせる事が出来るかも知れない」
「……本気で言ってる? そんな事、出来るわけ……」
「もちろん! 私たちは、今までそうやって旅して来たんだもん。今度だって、そうするまでの事よ!」
愚かしいまでの明るさ。こんな人間とは今まで出会った事が無い。
戦わずして、殺さずして、聖杯を手に入れる。そんな夢想めいた話が実現できるのか否か。
イリヤ自身、確かめてみたくもあった。
「いいわ。本当にそんな事が出来るなら、やってみればいいじゃない。
わたしが見届けてあげる」
「ありがとう、イリヤ!」
「ホント、調子狂っちゃうなあ……」
こうしてイリヤ、立香、マシュは行動を共にする事になった。しかし……
「ぐああああッ……」
イリヤや立香たちがいる地点から離れた場所。
魔力弾を放つ火縄銃で敵マスターの脳天を撃ち抜く、
ドイツ軍の軍服を纒い、外套を翻す黒髪の少女。
爛々と輝く瞳は、映る全てを焼き尽くす紅蓮の炎を湛えていた。
「うああああっ……」
マスターを失い、サーヴァントも霧散していく。
「ふん、歯応えの無い。鷹狩りの方がまだ興が乗ると言うものよ」
新たな参戦者。その名は、魔人アーチャー。
アーチャーの一方的な勝利を見届け背後からどこからともなく黒い外套に身を包んだ男が現れる。
讃える気があるのかないのか乾いた音の拍手をしながら、何がおかしいのかだらしなく口許を緩めニヤつきながらアーチャーのもとへと歩み寄った。
「流石の一言。聞きに勝る容赦なき戦ぶりですな。アサシン程度の小者ではいささか役者不足のようで」
歳の頃はまだ不惑に届かない程だろうが、背筋や足取りはピンとしているくせにローブの隙間から覗く地肌は屍者のように血色悪く蒼白だった。
落窪んだ眼窩にはぎらついた陰湿な暉が灯っており、アーチャーが燃え盛る火焔の苛烈さならば男のそれは深海に揺蕩う光海月のような妖しさを秘めていた。
男を一瞥すると視界に入れるのも不愉快といった様子でアーチャーはすぐに廃墟広がる地平に目を向け面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「世辞は要らん。用向きあらば早う申せ」
「仰せのままに」
冷たく短い言葉に男は恭しくもわざとらしく頭を垂れ、続けた。
「新たに別のサーヴァントとそのマスターを確認した次第、お伝えに参りました。クラスは判別致しかねますものの、盾を武装とする英霊であることは分かっております。おそらくは、宝具も盾ではないかと」
「それだけか」
苛立ちを隠すことも無く話を切り上げようとするアーチャー。よほどローブの男が気に入らないらしく、嫌悪もあらわに眉間に皺を寄せ端正な顔を歪ませる。
「まさか。そのサーヴァントに斥候を向けようかと存じます。そのような些事に御身を煩わせるのも何かと思いまして、先の戦いで捕らえました狗を放ち様子を伺うのはいかがと具申いたします」
「左様いたせ」
男の話に僅かな興味を憶えてはいたが、それよりも同じ空気を吸わねばならない不快感が勝りさっさと終わらせようと一言で放ちアーチャーはそれきり霊体化して姿を消してしまった。
「は。では早速」
誰もいない虚空に向けて再び芝居がかった仕草で一礼する。男はアーチャーに告げた通り指を鳴らして狗と呼んだモノを呼び起こした。
それは今の今まで男の傍らに立っていた。不動、そしてその巨きさゆえに岩にしか思えなかったモノであるが、息を吹き返したソレは紛れもなく人の形をしている。
その者はバーサーカーのクラスを宛てがわれていた。彼はイリヤスフィールが召喚したはずのサーヴァントだった。
「―――■■■!!」
しかし今、彼の声帯は意味ある言葉を紡げず、ただ獣の声に似た音を発するのみだ。
彼の理性はとうの昔に失われており、
この世に現界するための最低限度の意思疎通しか出来ない。
「行け、バーサーカー。敵の戦力を探れ。必要とあれば殺しても構わん」
「……■、■■■、■■■■!!」
命令を受け、狂戦士が動き出す。
向かう先は敵対マスターとサーヴァントの在る所。
「……」
遠ざかる狂戦士の背中を見据えながら、男はフードの奥で昏く笑みを浮かべた。
「どう? イリヤちゃん。何か分かった?」
一方、瓦礫の上に座って周囲の様子を眺めていたイリヤに立香が駆け寄り
声を掛ける。
「いいえ。特に何も。でもそろそろわたしたちも動かないとマズいと思うんだけど、
どうかしらリツカ」
「うん。そうだね、まずはこの場から離れないと。
いつ他のサーヴァントが来るかも分からないし。マシュ、行ける?」
「問題ありません、先輩。いつでもいけます!」
方針が決まったところで3人は行動を開始した。
廃墟の中は障害物が多く身を隠しやすい反面、
それは相手にとっても同様であり、不意打ちの危険もある。
特に、あの衛宮切嗣は魔術師殺しの異名を取るほどの凄腕である。
こちらの位置がバレれば間違いなく狙われるだろう。
幸いにして周囲に敵影は無く、比較的安全に移動出来ていた。
だが、そんな時に限って、事は起こるものである。
「!?」
突如として轟音が鳴り響く。
音源はすぐ傍ら、崩れ落ちた壁の向こう側。
「なに、いまの音……ッ」
咄嵯に身を屈めながら顔を上げ音の出所を探ると、
その先には黄金色の甲冑を身に纏う槍兵の姿があった。
「―――ランサーのサーヴァント……」
呟き、警戒を強める。
手に携えた長大な槍。目を引くのは、無駄な肉を一切削ぎ落としたかのような痩躯に
透き通るような白い肌と風に靡く髪。
人ではない。あれは英雄だと、ひと目見ただけで理解出来た。
「カルナさ~ん! お腹空いたっス~!!」
カルナ――と呼ばれた槍兵の傍らには運動不足が祟ってか
少しだけ息を荒げた眼鏡の少女がいた。
大仰に肩を上下させながら、開口一番に空腹を訴える。
「ゲームも無い! ネットも無い! おやつも無い! 何なんスかここは!
地獄かっ! 私を餓死させる気っすかぁあっ!」
「安心しろ。ジナコの蓄えがあれば一月はなにも食べずとも生きていける。それより」
痩身のサーヴァントがマスターの前に手を翳し歩みを止める。その表情は限りなく無だが、立香たちを射抜く視線はそれだけで人ひとり斃すことなど訳ないような殺気が滲む鋭さだった。
「な、なんスかいきなり……あっ」
栄養たっぷりなボディを指摘され腹を立てる前に行く手を遮られ目を丸くする。彼女にとっては唐突な事だったのだろう。一拍の遅れを置いてようやく三人の姿に気づき、フリーズしたようにその場に立ち尽くす。
「問うまでもあるまいが貴様らも聖杯戦争に参じた魔術師だな」
不意の遭遇に硬直した主に代わって言葉を投げかけるのはランサーだった。
「なら、どうするのかしら。名のある英霊にしてはレディを前にしていきなり殺気立つなんて無粋じゃない?」
答えたのはイリヤ。立香とマシュは一目でランサーの真名を看破してしまっている。施しの英霊と呼ばれる彼もカルデアに呼ばれたことのあるサーヴァントだ。その能力も詳らかに把握している。
それだけに、もし彼が敵であったならと身構えてしまい彼女たちもあちらのマスターのように緊張で身動きがとれずにいた。
「非礼は後で謝らせてもらおう。まずは話を聞け、魔術師」
腰に手をおいて悠然とする少女に貴人の風格を感じランサーは軽く目礼を送って一応の礼を払う。その後を続けるのは自分ではないと判断した彼はマスターの肩に手を置いて話を彼女に任せた。
「…………エッ!?あっ、こ、ここでボクに振る!?無理無理無理、登場してから十行も進んでない感じじゃないスか!!カルナさん早い、早いよ!?」
「む。ここに来てからすでに一週間は過ごしたはずだ。気構えはできているものと思っていたが。出直すか?」
「そういうことじゃなくって〜!」
だが、マスターの方はまったく心の準備が出来ていないようだった。恐怖と緊張でいっぱいいっぱいになって涙目になりながらランサーの脇腹あたりを小突いたりして混乱した様子を無様に晒している。
「そ、それでお話というのは?」
まるで骨のない相手に呆れたようにイリヤはため息を吐き、脅威ではなさそうと感じたマシュが慌てるマスターへ遠慮がちに続きを促す。
「そのぅ、戦いとかヤメにしないかなぁ、なんて…………ほら、うつわ欲しさに殺し合いとか馬鹿らしいじゃないッスか?」
ランサーのマスター――ジナコ・カリギリ――は、
とても弱々しい声でそんなことを言い出した。
「私は戦わないで済むなら、それに越した事は無いけど…」
立香はちらりとランサーの様子を伺う。
彼の顔には相変わらず表情と呼べるものが浮かんでいないが、
この英霊は例えどんな理由があったとしても自らの信念に従い戦うことを選ぶに違いない。それが彼にとって何より重要なことだからだ。けれど。
「マスターがそれを望むのであれば」
ランサーは無表情のままあっさりとその意見を受け入れた。
「えっ? いいの?」
あまりに意外な反応に思わず聞き返してしまう。
てっきり一悶着あるものだと考えていたのだが……。
「オレはジナコのサーヴァントだ。彼女が望むならそれを叶えるだけに過ぎない」
そう言って槍兵は主の願いを聞き届けるべく口を開く。
「なら、決まりだね」
立香はホッとしたように胸を撫で下ろす。
正直なところ、こんなにも簡単に話がまとまるとは思っていなかったのだ。
「これで私達が遭遇したのはセイバー、ランサー、そしてシールダーか。
他のクラスのサーヴァントとマスターには会わなかった?」
「いや、今のところ見てはいない」
イリヤの言葉にランサーは首を振る。
その返答を聞いた彼女は「ふむ」と考え込む仕草をしてみせた。
「わたしの知っている聖杯戦争なら、
7騎のサーヴァントに7人のマスターがついているはず。
セイバー、アーチャー、ランサー、キャスター、アサシン、ライダー、
そして、バーサーカー。
でも、既にマシュと言うイレギュラーがいるわけだから、必ずしもその通りとは限らない」
「待て」
ランサーがイリヤの言葉を遮った。
それはほんの僅かな沈黙だったが、その一瞬にランサーの纏っていた空気が
変わったような気がした。
「……何か来るぞ。サーヴァントだ。それも非常に高い魔力の」
ランサーの視線の先を追うと、森の奥からこちらへ向かってくる人影がある。
「あれは、まさか……!?」
その姿を見た瞬間、マシュの顔色が変わる。
「あの巨躯―――間違いありません。アレは」
「そんな……」
「イリヤ?」
「そんな事って……」
彼女の反応は、尋常ではなかった。
「バーサー……カー」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーッ!!!!」
地面を揺らすような咆哮。人や動物が喉から絞り出せる怒号ではない。雷鳴もかくやと言うような、まるで噴火か瀑布の如き轟き。大音声と呼ぶにはあまりに生易しい振動が一帯を震わせる。
立香たちが耳に手を覆い鼓膜を破るのも容易い爆音に耐えていると、バーサーカーはやおら膝を折り踏み締める地を抉らせて中空に身を踊らせた。
小山ほどもある規格外の身体を重力に逆らい軽やかに宙を舞わせ、手にする斧剣を最も近くに見える獲物のイリヤに真っ直ぐ振り下ろす。
イリヤはただ目を見開き待つことしかできない。剣が速すぎる、というのも一因だが何よりも自分のしもべが何の躊躇いもなく自分を襲うという事実が理解出来ずにいた。
主に向けて無造作に振るわれる一斬は、しかし必殺の一撃でもある。
盛り上がる肉体から察せられる剛力は言うに及ばず、脳天を潰さんとする狙いの正確さ、そこを辿る剣筋の隙の無さは比類なき技量があることを物語っていた。
それでも狂気に堕ちて理性を失い錆びた太刀筋だというのだから、バーサーカーが本来いかに優れた遣い手であったかが窺えよう。数多の神話の中にあり最高の英雄と謳われた彼の腕前は人の域を逸脱し神々のそれすらも超越している。
だが、神域に達する武芸の達者はこの場にもう一人いた。
常人ならば残像すら目に映さぬ閃きを見抜いたランサーは一足でイリヤのもとに跳躍し、岩をそのままくり貫いたような荒削りの斧剣が頭蓋を砕く寸前に彼女の服の襟首を掴んで放り投げ、自身も巻き込まれないよう身を翻す。
刹那の攻防は終わらず、バーサーカーは返す太刀で突然の闖入者に刃を向け得物を繰り出し、吹き荒ぶ嵐よりも激しい死域を作り出した。
しかし、ランサーは退かない。二つ、三つ、と触れれば確実に死をもたらす暴風を既の所で避けながら声を張り上げる。
「お前たちは娘とジナコを連れて逃げろ。オレが引きつける」
マシュが投げられたイリヤを受け止め、立香はカルナを置いていくことに逡巡しながらも頷いた。ここ一番という場で生き残りをかけた判断については、彼女たちは歴戦のつわものに引けを取らない。
己がサーヴァントが躊躇いなく自分を殺そうとした衝撃から立ち直れず呆然としているイリヤを腕の中に抱いたままマシュは踵を返して退避を始め追従するように立香も後を追うが、ただひとりジナコだけが動こうとしなかった。
柱らしきものに置かれた玩具。
そして、玩具が元あった場所のほんの数歩先。
男が見落とした、或いは気にもとめなかった痕跡。
長方形の“それ”を拾い上げた跡。
——それは、男の召喚される数刻前。
「うーん、ロンドンじゃないな……これ、日本の本みたいだしやっぱここ日本なのかな」
彼は何らかの魔術でその“図鑑”を読んでいた。
「会ってみたいなぁ……■■■■■■! すごいたくさんいるんだなぁ。 ここが日本なら1人くらいは会えるかな」
まるで神話の一節を読むように、或いは英雄譚を読むように。 彼は一冊の図鑑を読みながら数々の英雄へと想いを馳せる。
「あっ、さっきの玩具! そっか、アレで変身するのか。 一緒に拾っとくんだったかな」と、一際大きな独り言を口にした。
そうして一通り読み終えると何事かを思案しながら先程の玩具を思い浮かべた。
——悪いのはともかく、どうせなら全員会いたいな。
そんなことを思いながら何事かを呟きつつ元来た道を引き返してゆく。
「おっかしいなー、確かこの辺だったよな」
ようやく辿り着いたが目当てのものは落ちていない。
だが、代わりに興味深いものを見つける。
「轍? さっきは無かった筈だけど……」
そして気付く。
——!?
目を輝かせながら轍の伸びる方へと駆け出し、100メートルも走らぬうちに歩き出した。
息を切らせ立ち止まる。
彼は、昨日地下講堂で行われた会議により偶然知った聖杯戦争について調べている最中にここに迷い込んだ。
本来であれば、このことについて“教授”に訪ねてみるつもりだったのだが……思わぬ形でサーヴァントの召喚を成し遂げた彼の右手には確かに紋様が浮かんでいた。
——ぜぇ、はぁ……
整わぬ呼吸に興奮による動悸が上乗せされる。
——これが令呪か!
「カッコイイなあ」
右手の紋様をさすりながら何事かを呟くと、酷くがっかりした様子で座り込む。
「そっか、使うと消えちゃうんだ。 勿体無いから使わないようにしよう!」
そう決意した次の瞬間、爆発めいた咆哮に耳を塞ぐことになる。
——ッ!
丁度、轍とは逆の方向。
爆心地は目視できる距離にあった。
ジナコにはランサーを、カルナを置いて逃げることなど考えられなかった。それは絆が芽生えたとか大切な存在であるとか、その程度の話ではない。
この凡そほぼすべての生命が絶えた地にあって他に頼るものなどないからだ。
食糧の確保はもちろん、身の回りの安全を確認するのも、今日の寝床を探すのも、益体のない不平不満を受け止めてくれるのも、すべてサーヴァントの役目と生命維持機能の一切をランサーに押し付けていたのである。
ゆえに、ランサーが死す時は自らが死ぬと同義。彼亡きあとの事など一切考えられず、思考停止に追いやられていたに過ぎない。そんな逡巡がこの土壇場においていかに致命的なミスであったかなど想像に及んでいない。
その時だ。
「待った待った待ったーーー!」
ランサーがバーサーカーの次なる攻撃に備え間合いを取った瞬間、誰もがこれ以上の混乱を予期しないところへバタバタと走り寄る人影があった。
しかも、その人物はこともあろうにこの窮地には似つかわしくない満面の笑みを浮かべ、まるで旧友を見かけたから話しかけに行く、とでも言うようなラフ加減で、あまつさえ手さえ振っていたのだ。
「誰!?」
異口同音にその場の全員が降って湧いたように現れた怪しさ全開の少年に注視し、誰何の声を上げる。
さしものバーサーカーでさえ、無警戒に寄ってくる彼を標的であるか判断しかね硬直してしまっていた。
「主役は遅れてくるものでしょ。カタいこと言わずにここは僕に任せてよ」
何者か問われると彼は何故か照れたようにはにかみ、ランサーとバーサーカーの間に割って入るような位置で立ち止まると肩を大きく上下させて息を整える。
目の前に来れば巨人の注意を引くのは確定的だ。不意を突かれたが、敵と認識するや否や少年に白濁した目を向ける。
果たして、ランサーに向けられていた闘志は突如現れた男子に宛てられなく手にした斧剣を手繰り面前の闖入者に閃かせた。
それにはランサーの反応も遅れた。地を蹴って走るが間に合うか分からない。立香とマシュは悲鳴に近い声で逃げろと叫び、忘我の渦中にあるイリヤとジナコですら目を見開いた。
「だって僕は信じてるからね。こんな時主役のヒーローなら絶対に救ってくれる、って」
しかし、少年は確信を得た微笑を湛え振り下ろされる具現化された死を正面から見据える。
果たして、爆音と共にそれは来た。
戦場に訪れたそれはまるで“嵐”のようだった。
「トオォッ!」
裂帛の雄叫びと共に放たれた蹴りが少年の眼前に迫った死を粉砕する。
弾け飛んだ斧剣が地に刺さり、英霊ヘラクレスが言葉にならぬ叫びを上げる。
ヘラクレスから視線を外すことなく、少年を守護するべく地に降り立った“嵐”が首に巻かれた赤いマフラーを靡かせながら背中で問う。
「君が俺のマスターだな?」
◆
クラス:ライダー
真名:■■ライダー■■■■
マスター:フラット・エスカルドス
性別:男
身長・体重:不詳
属性:秩序・善
備考:召喚を可能にした前提条件が複雑な為、パラメーターは軒並みあてにならない。
今回の霊基は神話、口伝、伝承など『曖昧なもの』としての英雄譚を触媒という『根拠』で実在を補強して『召喚を押し通している』という再定義により半ば強引に『■■ライダーは存在する』を押し通すという、真っ当な魔術師から見たらペテンやイカサマに近い理屈でサーヴァント召喚に至っている。
ただし、フラット自身が『2021年に出版された図鑑』を用いた為『1971年〜2021年の■■ライダー』、その中でもとりわけ情報量の多かったライダーの全てを複合した『■■ライダー■■■■の■■■格の複合サーヴァント』という無茶苦茶な霊基(これはフラットの意向に加えて霊基を安定させる為にライダーの情報を足しまくった結果)での現界を果たしている。
メイン人格は『■■■』をベースとするも、『■■■■■』でもあり『■■■■』『■■■■』『■■■■』でもある。
つまり、厳密には真名は『■■ライダー■■■■』とするべき存在であり、サーヴァントとしての実態は群体であり軍勢。
つまり、おいそれとは使えないが複数のライダーを同時展開可能。
既存のサーヴァントで例えるなら王の軍勢を持つ百貌のハサン。
数いる■■ライダーの中にはライダーのクラス以外の適性を持つものもいるが、あくまで■■ライダーなので召喚される場合は必ずライダーのクラスで召喚される。
ただし、スキルによって有利不利を改変可能なライダーもいる(例えば■■ライダー■■■■や■■にはムーンキャンサー特攻が付いたり、■■ライダー■■■■■や■■ライダー■■■■ならパッシブスキルとしてクラス相性がキャスターやセイバーのものになったりする)。
その場にいた誰もが思い思いの衝撃を抱く。
突如出現した“異形の戦士”は電光石火、ランサーであるカルナを凌駕する疾さをもって少年を救い出した。
イリヤもまた、奇襲とはいえバーサーカーの一撃を弾き飛ばした“異形の戦士”に驚嘆していた。
マシュもイリヤ同様バーサーカーの一撃に拮抗しうる蹴撃への驚き。 それ以上に、このサーヴァントに絶対的な信頼をもってバーサーカーの前に躍り出た筈のマスターと目される少年が“今、この場で初めて”この異形に出会ったであろうことに。
マスター2人は別の驚きだった。
——え、そういうのアリなの?
——ナシでしょ、色んな意味で駄目だと思うんだけど
そして——
「はい、俺がマスターです!! ライダーさんですよね!? 今蹴っ飛ばしたのはヘラクレスかな? 狂化されてるのもあるけど……すっごいぞこれ! 想像以上ですよ!」
「マスター……」
「あ、大丈夫。 わかってます! 真名は秘密なんですよね? ヒーローの正体は秘密って決まってるもんなあ」
「その子を連れて下がっていてくれ」
ライダーの隙の無い構えに攻めあぐねたバーサーカーは距離をとり地面から先程弾き飛ばされた斧剣を引き抜く。
「オレの主人が世話になった。 感謝する」
傍らに立つランサーがバーサーカーへと槍を向ける。
ランサーとライダー、2騎を相手取って尚、バーサーカーは圧倒的な威圧感を持っている。 決して有利な状況ではない。
こちらはマスターを守って戦う一方、あちらには守るものが無い。
だが、そのことがフラットにとって引っかかった。
——バーサーカーのマスターはどこに?
「——干渉開始〔ゲームセレクト〕。 ……からの観測完了〔ゲームオーバー〕」
そうフラットが小さく呟く。
『ライダーさん、確かテレパシー使えたりしましたよね』
『む、そうか。 君が魔術師であるならこれは念話というものか』
『流石、よくご存知で。 実はバーサーカーの契約に穴があると言いますか……もしかしたら正規の契約ではないのかもしれません』
『では、彼は洗脳されているような状態とでも言うのか?』
『その解釈で大丈夫です。 ライダーさんに術式を付与すれば、指定した部分に攻撃することでそれに干渉出来るかもしれません』
2人はバーサーカーから意識を外さず会話した。
『任せてくれ。君の指示に従おう』
声に出さず思考のみで少年マスターの求めに応じ黙して首肯する。
しかし、疑問は尽きない。聖杯の知識供与にこの地の異常を説明する事項は存在せず、何のためにライダーが呼ばれ、何をすべきかの指標も示されていない。誰が敵で誰が味方か、その区別すらままならないのだ。
状況は不鮮明。かつ、魔術のことは門外漢だ。ならば、ここはマスターを名乗る彼を信じてこの拳を振るうのみ。
なにより、我が身に希望を託す仔らを背にして救いを待つ彼らの声をなぜ無碍に出来ようか。
「◼◼◼◼◼ーーー!!!」
ライダーの懐疑が晴れるのを待たず憚ることなく咆哮で憤りを曝したバーサーカーを前に時がないことを一同は悟る。
唐突に巌の如き巨人は弾かれたように飛び出し斧剣を並ぶサーヴァントたちに叩きつけるようにして振り下ろした。その軌跡は依然として鋭く、それでいて荒れ狂う暴風。掠めただけでも霊基ごと挽肉にしてしまうのは間違いがない。
「来い」
だが、ライダーは臆することはない。戦力比は明白。退路はあれど逃げ切れる災厄ではない。しかして、触れれば死。それがなんだと言う。その程度の修羅場、死地のうちには入らぬ。
ライダーとランサーは言葉を交わすことなく阿吽の呼吸で互いに左右へ開くように跳躍しバーサーカーの突進を躱した。
二人の英霊は着地するやいなや、やはり同時に迫り正拳と槍をがら空きになっている大入道の脇腹に見舞い、果たして会心の一撃は一分の狂い無く腹側に突き刺さる。
はずだった。
渾身の突きは予想外に分厚い肉壁に阻まれ身体のうちにめり込ませることは適わない。完全にバーサーカーの隙を突いたことは確かであったが、巨人の肌は甚だ慮外の強固さで鎧か盾で覆っているようだった。
「■■■■■■■ーーーッ!!」
ダメージを受けるどころかバーサーカーの剣勢はますます増していて、まとわりつくライダーとランサーの頭蓋を砕こうと闇雲かつ的確に得物を振り回す。台風のような剣戟には二英霊も最初こそ見切って身を逸し続けていたが堪らず間合いの外に退いた。
「アレは不死身のようだ。尋常の手では殺せないと見たが」
目を眇めライダーに視線を寄越してランサーは言外に宝具による決着を仄めかし、仮面の英雄は首を横に振り否と応える。
「構わん。効かずとも攻撃し続けよう。活路はある」
嵐と共にやって来たクラス:ライダーのサーヴァントとそのマスター。
ランサーと共闘し、バーサーカーとの意思疎通を図る。
一方その頃、単独で行動していた衛宮切嗣とセイバーの前に現れた人物。
それは……
「言峰…綺礼…!!」
かつて切嗣と同じく第四次聖杯戦争の参加者だった男。
代行者にして八極拳の達人。
聖杯戦争の終局にて、切嗣と幾度となく熾烈な闘いを繰り広げ、そして……
しかし、切嗣が知る彼とは些か印象が違っていた。
見た目から推察して10年ほど年齢を重ねたような風貌。
「よもや、貴様と再び相見える日が来るとはな」
「……」
切嗣は無言で銃を抜く。
「このふざけた状況は一体何だ? 貴様の仕業なのか?」
「ふむ……では、順を追って語ろう。先ずはこの世界についてだが―――」
「御託はいい。質問にだけ答えろ」
綺礼はつまらなさそうに肩をすくめる。
「ここはお前達が知る世界とは異なる並行世界。既にお前は出会った筈だ。
サーヴァントを伴うマスターと」
「…………」
切嗣はその言葉を聞いて思い当たる節があった。
確かに一組、それに該当する者達がいる。
藤丸立香とマシュ・キリエライト。
そして今、切嗣の目の前に立っている「切嗣が知らない言峰綺礼」。
並行世界。
馬鹿げた話ではあるが、今のこの状況を鑑みれば納得できない事でもない。
「つまり、僕たちはそれぞれ別々の世界からここに飛ばされてきたという訳か……」
「ほう、理解が早いではないか。
そうだ、我々は本来、異なる時間軸に存在する人間なのだ」
「そんな事はどうでもいい。僕は何故こんな所に呼び出されたか聞いているんだ。
聖杯か、それとも別の誰かの差し金か」
切嗣の言葉に対し、綺礼は静かに首を横に振る。
「残念ながら私は何も知らん。私自身も気が付いた時にはこのような場所に居たのでね」
嘘か本当か分からない。
少なくとも、この男は何かを知っている訳ではないようだ。
知っていたとしてもそれを明かす義理も無い。
ならば次に考えるべきなのはどうやってここから脱出するのか。
現状、他に出口らしきものは見当たらない。
そもそも脱出できるかどうかすら怪しいのだが。
いや、それ以前に――この男の言う事が真実だとしたら、
一体誰が何の為に呼び出したというのだ? 謎はまだ深まるばかりである。
一方、とある研究所で…
?「怪獣のデータは順調に集まったようだな…」
謎の人物が巨大なポッドの中に液体と一緒に入った怪獣を眺めてそう呟く。
怪獣は身体中にコードのような何かに繋がれて眠っていた。
瞳を閉ざし、動かぬその貌は御伽噺の眠り姫を彷彿とさせる。
整った目鼻立ちからなる美貌は無骨なデザインの研究所内でなく多くの人がひしめく都市部であれば世の男達が放っておくまい。
これが人間の体を成していれば宝の持ち腐れと多くの者が嘆いたろう。
『これが人間の姿をしていれば』の話だが。
その顔は、胴体は黒い体毛に覆われていた。額から胴体にかけては黒一色に染められていた。
開いた口から覗く鋭い牙は虎の、獣の如く角ばった五指から伸びる爪は人のもの。
多種多様なその部位を生やすソレは人としては落第などという範疇では最早ない。
ならば、これこそまさしく怪なる獣。怪獣。
おぞましき獣を前に、確かに男は嗤っていた。
「―――さぁ、準備は終わりだ。行け、キャスター。」
紅い輝きが視界を覆う。
召喚された当初よりマスターの指示を聞かないじゃじゃ馬のサーヴァントを御するために収集したデータは十分。ならば後は戦場にてその暴威をお披露目といこう。
指示を聞かず自身に襲い掛かるキャスターを抑えるため、そして戦場に送り出すまでで使った令呪は二画。
その分は役に立てよキャスター、と呟き令呪にて戦場に転送される怪獣を見る。
完全に姿を失うその寸前、ぎらついた猪の眼光とマスターの男の視線は確かに結ばれていた。
◆
クラス:キャスター
真名:饕餮(とうてつ)
マスター:???(後続の方に任せます。ご自由に決めてください。)
性別:?
身長・体重:不詳
属性:混沌・悪
備考:中国の道教神話に登場する怪物にして邪神四凶の一角。その性格は獰猛。「饕」は財産を、「餮」は食物を貪ることを意味し、その名の通り「あらゆるものを食らう、貪欲を象徴する魔物」として知られる。
「群をつくる人々を避け、単独で味方のない者を襲う」「強い者には媚びて平身低頭だが弱者には容赦なく襲いかかり、身ぐるみ剥いだ上で食べてしまう」など狡猾でもある。その悪辣さは留まらず、同種である魔の物すら喰らったことから魔除けとしても伝わっている。
武器は己の牙。人の理の慮外に位置する魔を喰らったという逸話よりサーヴァント相手にも通用する神秘を得た。
――藤丸立香とマシュ・キリエライトが所属する
人理継続保障機関フィニス・カルデアでは
突如として消息を絶った立香とマシュの両名の捜索を最優先事項とし、
全職員が全力を挙げてその行方を追っていた。だが、未だ二人の足取りは掴めていない。
「……」
管制室の一角で、一人の男がモニターを見つめている。
男の名はロマニ・アーキマン。
カルデアにおける医療部門のトップであり、過酷な聖杯探索の旅に身を投じる
立香たちを陰ながらサポートしていた。
「気を張るのは分かるが、あまり根を詰めすぎないようにね」
そんな彼の肩に手をおき、声をかけたのはレオナルド・ダ・ヴィンチだった。
カルデアに召喚されたサーヴァント第3号。加えて、ロマニが信頼を置く同僚だ。
「……うん。分かってるよ」
そう言ってロマニは力なく微笑んだ。
彼はこの数日、ほとんど寝ずに二人の行方を捜すために奔走していた。
無論、他のスタッフもそれは同じだ。
「彼女と契約を結んだサーヴァント達は今もカルデアに健在だ。
で、あれば、契約のパスも繋がっている。
少なくともマスターくんは生きていると言う事になる。そうだろう?」
「……ああ、そうだね」
ロマニの言葉には覇気がない。無理もない。
彼はこれまでずっと立香たちを支えてきたのだ。
そんな彼女がいなくなってしまった。
今頃、彼女とマシュの身に何が起こっているのかと思うだけで不安になる。
「マスターくん達が消えた瞬間、何が起こったのか……
そこに、事態の解決の鍵があるかもしれない」
「うん……」
ロマニは視線を落としたまま答えた。
「特異点から帰還した後、何らかの理由で藤丸くんとマシュだけが切り取られたように
消えてしまった……。
でも、それならそれでおかしいことがある。何故、彼女達だけなんだろう?
それにあの時、僕は確かに聞いたんだ。何者かの声を……」
「声?」
「汝、人の望みの喜びを知り我等はその知慧を祝福しよう……
あれは何だったんだろうか……。
まるで、僕たちが観測した事のない存在が語りかけてきたような気がして
ならないんだ……」
ロマニは唇を強く噛む。
今まで数多くの難局を乗り越えてきたが、今回の件はもっと根本的な何かが違う。
だからといって何もしないわけにもいかない。
「君は休み給え、ロマニ。その間は、私が受け持つよ」
当初は数百人単位で運営が成されていた組織であったカルデアも今やその大部分が死亡、もしくは冷凍睡眠が施され、ごく僅かな人材の過労に過労を重ねてなんとか成り立っている有様だ。
そんな彼らを一纏めにし、他スタッフと比べ物にならない程の労力でなんとか組織を一枚岩のまま持たせている裏方における立役者こそがロマニ・アーキマンである。
当然、藤丸立香及びマシュ・キリエライト両名の捜索に於いても指揮を担当し、様々なアプローチを基に二十余のスタッフに徹を飛ばしていた。しかし、所詮は凡人。
到底人間一人のキャパシティを越えているそれを身体の負担を無視して続行したツケが回ってきたのだ。
「……そうだね。でも、もう少しここに残ってみるよ。まだできることがあるかもしれないからさ」
何一つ状況を好転させられない悔しさに顔を歪めながら答えるロマニ。既に足元も覚束ない状態だというのに、その言葉はどこか力強く感じられる。
まともに立てない程度の疲労などで止まるわけにはいかない、ただでさえ過去類を見ない異常事態の真っ只中だというのだ、それがどうして止まることができようか。
「まったく、君も強情だね」
仕方ない、といった風に肩を竦めて返事を返すダ・ヴィンチとそれに笑い返すロマニ。
こちらで試せる手は全て打ったが、まだ何か彼女らのために何かできることがあるかもしれない、と二人が再び方法を模索しようとした、その時のこと。
捜索を続けていたスタッフの一人から声が上がった。