【初心者歓迎】夢大陸
二十歳の頃バイクで北海道にツーリングに出かけた。
所持金は50,000円。札幌駅に着く。ソープでも行きたいが、ぐっと堪える。ラーメンを食べシェラフに潜り込む。
コーンが歯に詰まってなかなか取れない。
もう3時半か!なかなか寝付けない。とりあえずタバコをふかした。
再びシュラフに潜り込む。
明日の道程をシュミレーションしているうちにいつしか寝てしまった。
目が覚めた。朝日が眩しい。
6時半か!
3時間しか寝てない!俺はナポレオンか!
と叫ぶのをやめて日本最北端に向かっていた。
国道231号を北上する。左手には日本海、右手にはどこまでも続く原野。
「最高だ…」
ヘルメットの中で独り言が漏れる。昨日、札幌の駅前でコーンを気にしていた自分がいかに矮小だったか。
途中の道の駅で、同じく最北端を目指すという年季の入ったリッターバイクのライダーに声をかけられた。
「兄ちゃん、その装備じゃ稚内の夜は凍えるぞ」と笑われ、缶コーヒーを一本奢ってもらう。 5万円の軍資金からすれば、この一本の差し入れすら涙が出るほどありがたい。
しかし、羽幌を過ぎたあたりで急に雲行きが怪しくなった。北海道の洗礼、土砂降りの雨だ。視界は遮られ、体温が奪われる。
「ソープ行かなくて正解だったな…」
雨は激しさを増し、シールドを叩く水滴で視界はほとんどゼロになった。路肩にバイクを止めようか迷ったその時、先ほどコーヒーを奢ってくれたリッターバイクが、凄まじい水しぶきを上げて俺の横に並んだ。
「おい、兄ちゃん!この先にライダーハウスがある。ついてきな」
ヘルメット越しでも聞こえる野太い声。俺は必死に食らいついた。テールランプだけを頼りに、突き進む。
指先の感覚が消えかけ、震えが止まらなくなった頃、ようやく古びた木造の建物が見えてきた。
建物の軒先にバイクを突っ込み、エンジンを切った。静寂の中で雨音だけが激しく響く。
「…助かった」
「へっ、ひどいツラだ。早く中に入れ。風邪引かれたら寝覚めが悪い」
ライダーの男は、ずぶ濡れのグローブを叩きつけながら、慣れた手つきで宿の主と交渉を済ませてくれた。どうやらここは、知る人ぞ知る古いライダーハウスらしい。
案内されたのは、コンクリート打ちっぱなしの簡素な脱衣所と、奥にある小さなシャワー室だった。
「先に入れよ。ガタガタ震えやがって」
男に背中を叩かれ、俺はよろよろとシャワー室へ向かった。
冷え切った指先でようやく蛇口をひねる。熱い湯が肩に当たった瞬間、思わず「ああっ…」と声が漏れた。凍りついた体温が、じわじわと溶けていく。最北の地を目指す過酷さと、独りで走る孤独が、湯気と一緒に消えていくような気がした。
その時、ガタッと戸が開く音がした。
「おい、いつまで占領してんだ。俺も冷えてんだよ」
目を開けると、そこには湯気の中に立つ、あのライダーの男がいた。
「えっ、あ、すみません!」
慌てて隅に寄ろうとしたが、畳一畳分ほどのスペースしかない。
男は俺の狼狽など気にする様子もなく、狭いシャワー室に平然と踏み込んできた。
間近で見るその肉体に、俺は息を呑んだ。
厚い胸板、丸太のような腕、そして至る所に刻まれた古傷。それは単にジムで鍛えた見せかけの筋肉ではなく、数々の死線を越えてきたベテランの傭兵を彷彿とさせる、実戦的な威圧感に満ちていた。
「…そのまま浴びてろ」
男は俺の手からシャワーをひったくると、高い位置から俺の頭ごとお湯をぶっかけた。
「ほら、耳の裏までしっかり温めろ。北海道の雨は、芯まで冷やしやがるからな」
密室空間に、石鹸の香りと熱気がこもる。
男の肩が、俺の肩に触れる。その肌は驚くほど熱く、まるでエンジンのような鼓動を感じさせた。戦場を知り尽くした兵士のようなその体躯が迫ってくると逃げ場のない高揚感が胸を突く。
「お前、さっきの道、よく付いてきたな」
男が不敵に笑い、俺の背中を軽く叩いた。その掌の厚みが、俺の震えを無理やり抑え込む。
俺は一瞬ドキッとしたがすぐに冷静になり
「あ、ありがとうございます、、道をついていったり覚えたりするのは得意なので。」
男はそれを聞いてニカっと笑い、
「そうか、それはいいことだ。お前、ツアーのガイドにでもなれるんじゃねぇか?」
そう言った後男は「ホラ、いくぞ。」といい俺を無理やりシャワー室から引っ張り出した。
「え、あ、はい。でもどこいくんすか?俺旅に戻りたいんですけど…」
突然のことに戸惑う俺を、男は全裸のまま脱衣所の奥にある重い木扉の前まで引きずっていった。
「旅に戻る?この雨だぞ。死にたいのか」
男は扉を開け放った。
男が俺を連れて行ったのは、さらに奥にあるサウナのような熱気に満ちた小部屋だった。
「いいか、北を目指すなら、まず自分の限界値や潜在能力を知れ。ガタガタ震えてるうちは、バイクに『乗らされてる』だけだ」
男は壁際に俺を座らせると、自分も目の前にどっしりと胡坐をかいた。
男は、サウナの熱気で赤くなった顔で俺をじっと見据えた。
「いいか。バイクは鉄の塊だ。だが、それを動かすのは血の通った肉体だ。身体が冷え切れば判断が鈍る。判断が鈍れば、死ぬ」
男の低い声が、狭い部屋に反動する。全裸で向き合うことで、隠し事のできない剥き出しの言葉が、ダイレクトに俺の脳内に刺さる。
「お前、さっきの雨、怖かったか?」
俺は正直に頷いた。
「…死ぬかと思いました」
「その恐怖を忘れるな。だが、恐怖に飲まれるな。身体を熱く保て。心は冷徹に、身体は熱くな」
汗が額から流れ落ちるころ、男がぽつりと言った。
「雨の日のサウナは嫌いじゃないんだ。
外が冷たいほど、中が生きてる感じがする。」
俺は頷きながら、目を閉じた。
蒸気の向こうで、雨が世界を洗い流している気がした。
やがて外に出て、雨の中の外気浴。
冷たい雫が火照った肌に落ちた瞬間、言葉にならない声が喉から漏れる。
「……ああ、これだ」
男が小さく笑った。
「旅、いい顔してますよ」
その一言が、なぜか胸に残った。
名前も知らないままの他人なのに、
この雨とサウナと北海道が、俺たちを一瞬だけ同じ場所に立たせていた。
そしてその夜、俺はまだ知らなかった。
この出会いが、旅の行き先を少しだけ変えることを
男のその言葉は、まるでエンジンの点火プラグが火花を散らしたかのように、俺の胸の奥を熱くさせた。雨音と蒸気、そして男の強烈な存在感。二十歳の俺にとって、それは未知の領域への招待状だった。
二人の男が全裸のまま、雨に打たれながら立ち尽くす。
男は雨に濡れた顔を拭うこともせず、一点を見据えて言った。
「俺は明日、さらに北の『名もなき廃道』を抜ける。地図には載ってねぇ、獣道に近いルートだ。そこを越えなきゃ見えない景色がある」
俺は息を呑んだ。5万円の軍資金、ボロい装備。自分には無謀だと分かっている。
「ついてくるか? それとも、国道をなぞって安全に稚内へ行くか?」
男は全裸のまま、その丸太のような腕を俺の肩に置いた。剥き出しの肌から、男の覚悟が伝染してくる。