空に咲け! マジカル・アンジュ!

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1人目

 空に咲く花はあまりに綺麗だった。
 のどかな景色に身を包み、川の堤防に寝転ぶ少女――市川はるか。
 彼女はどこにでもいるような何の変哲もない中学生だった。未曾有の感染症が流行る前、小学生の頃は近所の友達とゲームをしたり、雑談をしたりしていた。けれど、自粛の相次ぐ中、そういった交流はめっきり減っていった。そうすると気が滅入るというものだ。はるかは気分転換がてら、こうして寝転ぶのだった。いつもはそうしてしばらくすると帰路につくのだが、この日ばかりは違った。
「ミャオ」
 一匹の黒猫が、はるかの耳元に近寄った。はるかはゆっくりと起き上がり、
「おーどうしたの? ん?」
 黒猫の顎を撫でる。ゴロゴロという声を、心地よさげに発する。刹那、その猫は気まぐれに川の方へと駆けていく。
「あ! 危ないよ!?」
 それを追いかけるはるか。黒猫を捕まえるが、その拍子に川の中へと落ちる。
「魔法少女になって、世界を救ってほしい」
 落ちる水中で不思議な声を聴くはるか。

2人目

不思議な声を聴くとともに、さらに不思議な事が起こっている事に気づく。
水の中なのに、息をする事ができるのだ。ボンヤリしていた視界も、ハッキリしていく。
「そのマスクのおかげだよ」

何が起こっているのかわからず、慌てているはるかを安心させるような優しい声が響く。
「そのマスクを付けていれば、君は魚よりも速く泳げる。鳥よりも速く飛ぶ事ができる」
「そして、この僕。猫よりも速く走る事もできるよ」

パクパクと口を動かして話している黒猫の遠く後ろのほうで、何かが動いた。と同時に。
今までに聴いた事がないような、不気味で恐ろしいおたけびがその何かから発せられた。
「さっそく、一番最初の敵がおいでなすったようだね」

黒猫が呪文のような何かを唱えると、綺麗に装飾がほどこされた杖が目の前に現れた。
「さあ、このマジカルなステッキを使うんだ! マジカルアンジュ!」
どう使うの! っていうか、その呼び方は何なの! もう魔法少女になるしかないのか!

敵がもの凄い速さで向かってくる。はるかは、ステッキを強く握りしめた。

3人目

 ――刹那。そのステッキは煌煌と光り出した。人はそれを魔法と言うのだろう。
『さぁ、君の力を見せてみろ!』
 発破を掛けるように、脳に直接語りかける謎の黒猫。最初の敵、怪獣マグロスターがその光に飲み込まれる。はるかは状況を飲み込みきれていない。まだ夢でも見ているような、そんな気分だった。そもそも猫が喋るなんて時点で現実的にはありえない。ありえない、としつつもはるかの中で『現実』として受け入れようとしはじめている。不思議な感覚である。
「グゥアア」
 ところで魔法とやらは効いているようだ。
「ねぇ、黒猫ちゃん?」
 普通なら戸惑う。けれど、何故だろう。この禍々しい雰囲気を纏った怪獣を倒すには、彼に頼らなければならない。はるかはそういう気持ちに駆られた。
『ミッシェル。それが僕の名前さ』
 ミッシェルはあくまで笑顔で、紳士的に、優しく語りかける。しかしその目の奥は全く表情を変えておらず、冷たいものだった。まるで眼前の少女を品定めするような、そんな目だった。しかし、はるかはそれに気づかない。
「ミッシェル……これって……トドメ、刺して良いのかな?」
 はるかの心には迷いがあった。『必要悪』、しかし彼らも『生きている』わけで。
『トドメなんて。彼らの心を浄化し救済するのさ。マジカル・アンジェの能力で』
「救済……?」
『そうさ。救うんだよ。彼らを! さぁ、「心に浮かんだ呪文」を唱えるんだ! そうすればきっと浄化できる』
 しばし目を閉じて思考するはるか。怪獣はうめき声を上げている。心の中に躍動する言葉に耳を傾ける。

「……アンジュ……リングアンジュ……」

 心の中の言葉は強くなり、そしてそれが頂点に達した時。

「ヒーリング・アンジュ!」
 その言葉を発した時。光は怪獣を完全に覆い、そして怪獣は『成仏』したように見えた。
「…………」
 はるかはそれをただ眺めていた。ミッシェルはパチパチと手を叩き。
『お見事! マジカル・アンジュ! 見てよ』
 ミッシェルは川のゴミを指差す。
『この怪獣は川のゴミが怨念になったものなんだよ。この川はまだ綺麗な方だけど、塵も積もればなんとやら、だからね。けれど、君のおかげで浄化出来たんだ』
 続けざまに語るミッシェル。はるかは呆然としていたが、我に帰ると興奮した様子で。
「わ、私……救ったの?」
『あぁ、そうだとも!』

4人目

「……ふふっ。そっか、私が……」
 緊張の糸が緩んだはるかは、そこで意識を失った。


 目を醒ますと見知らぬ天井が、はるかの目に飛び込む。
「知らない天井だ……」
 ベッドから起き上がり、辺りを見回す。
 家具が殆どない殺風景な部屋だ。
「私……なんでこんな所に?」
 ここがどこなのか調べるために、はるかは部屋のドアを開ける。
 するとそこには黒髪の美青年がいた。
 美青年の青い瞳がはるかを捉える。
「やぁ、気分はどうだい?」
「えっ、あっ、はいっ! だ、大丈夫ですっ!!」
「そうかい? それにしては顔が赤いようだけど?」
「そそそそそそんなこと無いですっ! そ、それよりあなたは誰なんですかっ!?」
「あぁ、この姿では初めてだったね――僕はミッシェル。改めてよろしく、マジカル・アンジュ」
 そう言うとミッシェルは手を差し伸べてきた。

5人目

「は、はい」
 その手を取り、握手を交わす二人。
「先に言っておくとね、マジカル・アンジュ」
 不満そうに眉を顰めるはるか。
「ん? どうしたんだい?」
「あ、あのね? 普段は『はるか』って呼んでほしいの。まだ魔法少女っていう自覚が、あんまりなくてさ」
 ミッシェルはしばし逡巡したが。
「……わかった。なら『はるか』。僕が言おうとしたのはまさにそれ。君はこれから魔法少女として活動していくんだ。そしてそのことは決して誰にも知られてはならない」
「誰にも……?」
 ミッシェルは釘を差すようにはるかに顔を近づける。とっさにはるかは顔を逸らすが、ミッシェルははるかの両頬に手を添え、正面を向けさせる。
「『誰にも』だ。君の正体が知られると、日本がパニックになる。漫画やアニメの世界における『お約束』だね。ごく一部だけどそういった類の研究をする組織や団体もあるし、そんなのに絡まれたら……」
「わ、わかった。わかったから」
 はるかはミッシェルを両手で制してやや後ろに下がる。ミッシェルはニッコリと笑う。しかし目の奥はやはり、笑ってなかった。
「今夜はここに泊まっていくといい」
 はるかは少し反応が遅れたが、慌てて。
「え!? いやでも、家に帰らなきゃ……」
 ミッシェルは部屋を後にしながら。
「大丈夫。ここでの一日は向こうの一秒にも満たないから」
「一秒にも満たない!?」
「そう。正確には向こうの0.037653秒が、こちらの一日。つまりこちらの27日でようやく向こうで1秒すぎる。だからその点は心配しなくていいよ。それじゃあ」
 パタン。扉の閉まる音は、静寂に響いた。
「……」
 何から何まで現実離れしている。はるかはしばし呆然としていた。

 ――とある地下室。培養槽がいくつも存在するおどろおどろしい雰囲気を纏っている。そこに我が物顔で着座する男が一人。
「首尾はどうだ」
 ごますりをしながら恭しく着座する男に近寄る下男。
「ええそりゃもう。上々ですとも。最初の実験は成功です。あとはこの『秘薬』を強化すれば……」
「そうか。ならば良い」