私は吸血鬼
はっと気が付くと視界いっぱいに星空が広がっていた。
自分が寝転がっていることに気が付いて起き上がろうとしたけど身体が妙に重い。頭もずきずきと痛む。とにかく、全身を酷い倦怠感が覆っていてこのまま横になっていたい……という気持ちの方が強かったけど、とにかく仕方がないので起き上がる事にした。
「う……いたた……」
全身がギシギシ鳴った。
どうやらここは公園で、私はベンチに寝ていた……ようだ。
ようだ、というのはどうにも頭に靄がかかったように記憶がはっきりしないから。そもそも今いる公園にも見覚えがない。一体どこなの? ここは?
静かにパニクっていると、カツカツという誰かがこっちへと向かってくる足音が耳にかすかに届いたのでそっちの方へ助けを求めるように顔を向ける。と、ひょろりと背の高い、全身黒ずくめの人が。
何故だか目が離せなくて見ていると私の目の前まできて、その人はこう言った。
「起きたか。実験は成功だったようだ」
「実験?」
「良かったな、お前あのままじゃ死ぬところだったんだぞ」
「え?」
「お前は吸血鬼になったんだ、だから助かった」
「……は?」
ちょっと言ってる意味がわからない。絶対にやばい人じゃんっ
「お前とりあえずこれ飲んどけ」
ポイッと男がなにかを投げてきたのをおもわず反射で手に取る。手の中を見るとビニールに入った赤い液体だった。
なにこれキモい。あれだ血液パックってやつだ。
「えっと、折角ですけど私こんなもの飲めません」
私は血液パックを男につき返した。それを片手に受け取って男は口をへの字に曲げている。
「人の好意を……お前は吸血鬼になったんだぞ。これを飲まなくて何で腹を満たそうって言うんだ」
「その吸血鬼になったって、そもそもどういう事なんですか? 私は正真正銘、人間ですけど? 人間の中学生!」
「それはついさっきまでの話だ。言っただろう? お前は死にかけていて、それを助けるために吸血鬼にした」
「はああ~?」
やっぱり何を言っているのかさっぱりだ。
そもそも死にかけた人間を助けるなら素人のやるべきことは『救急車を呼ぶ』だろう。
やっぱりこの人、ヤバい人なんじゃないだろうか。私はちらりと男の顔を見る。大きな帽子のつばにほとんど隠れているけど、シャープな顔のラインは美形を想像させた。
「そこまで言うなら証拠を見せてやるよ」
男が溜息を吐いてコートの内側から取り出した物を見せてきた。
それは頭からおびただしい量の血を流して倒れている女の子の写真で……その女の子は紛れもなく私だった。
「その写真の少女は、紛れもなくお前だ」
え。なんで私、血を流して倒れてるの。交通事故? 誰かに殴られた? なんで、なんで?
さまざまな疑問の渦の中、急に私は今までに感じた事がないほどの強烈な空腹感を覚えた。
「とりあえず、これを飲むんだ」
そう言って男は血液パックを開くと。強引に私の顔をつかんで、中の赤い液体を飲ませた。
なにするんだ! って、なにこれ……美味しい。何とも言えない良い味が口の中に広がる。
「お前に組み込んだ吸血鬼……コウモリなどの遺伝子が、それを美味いと感じさせている」
血液パックを飲み干すと、強烈な空腹感は消えていた。と同時に今度は眠気が襲ってくる。
「この写真は、俺が作った『未来予測装置』から送られてきた。記念すべき第一枚目だ」
「行ってみたら、写真のままお前が倒れてるんだからな。俺の発明はたいしたものだよ」
あなたは一体、何なの。私をどうするつもり? 強い眠気の中、何とか私はそう尋ねる。
「どうもしないさ。そして俺は、天才科学者だ」
自分で天才とか、馬鹿じゃないの……。私は、深い眠りの中に落ちていった。
「はっ!」
なーんだ夢か! あーよかった。
「……はぁ」
なーんて、そんな都合の良い話な訳ないよね。だってここ、どう考えてもアブない感じのラボだもの。
「……目覚めたか」
ツカツカと、件の黒ずくめの男が私に近づく。
「! あなたは……」
そうだ、確か自分で天才科学者とか名乗っていた不審者だ。
「誰が不審者だ。命の恩人だというのに」
「え!? うそ……声に出てた?」
これだよ。と言わんばかりにネックレスのブローチを翳す。
「それ以外にも血液パックが気持ち悪いだの、ヤバい人だの、好き勝手言ってくれやがって」
「やめてよ!」
ブローチを奪い取ろうとするも、難なく躱される。
「これも発明品だ。少しは信用する気になったか?」
いや、これにもきっとトリックが……。
「トリック、なんてものはない」
「?!」
(果たしてこれが適切なのかはわからないが)口を塞ぐ。これ以上思考を読まれるのはまずいか。
「お前は吸血鬼になったんだよ。ほれ」
男は懐から手鏡を取り出し、私の顔の方へと向けた。
「な、な、何よこれ!」
そこに映る私の顔と髪は真っ白に、そして瞳は緋色に変色していたのだった。
ただ、口の中に広がる鉄の味だけは鮮明に覚えている。それは血の味。
「あぁ、私……」
本当に吸血鬼に、なっちゃったんだな。奈落の底にでも突き落とされたかのような絶望感。
『大切なものは失って初めて気づく』とはよく言うけど、平々凡々でも人間の生活は恵まれていたんだろう。血を啜る以外に栄養を補給する手立てがないというのは不便だし、日が昇れば外を出歩けないというのも、同じく不便だ。デメリットしかないこの身体をどう受け入れろというのか。
「メリットはあるぞ」
にゅっと顔を出す科学者。
「うわっ! どっから」
神出鬼没な男だ。さっき部屋を出ていったんじゃないのか。
「不満タラタラだったからな。戻ってきてやったぞ。それより、その身体、慣れれば人間の身体より快適だ」
「……あなたに何が」
わかるのよ。その言葉を発する前に、不敵に笑い話を遮る科学者。
「わかるさ。俺だって元人間の吸血鬼なんだからな」
「…………は?」
今なんてった?
「もう一度、言うぞ」
「わかるさ。俺だって元人間の吸血鬼なんだからな」
ブローチをチャラチャラと振りながら、科学者が話す。
「しかも、吸血鬼になったキッカケもお前と同じだ。俺も、死にかけたんだ」
「お前と違う部分は、誰が俺を吸血鬼にしたのかは知らないって事だな」
そう言うと、私が眠っていたソファの近くにあった椅子に、科学者は座った。
「お前も感じているはずだ。以前よりも、身体能力と治癒能力が向上している事を」
身体能力と治癒能力が向上……?
言われてみると確かに、頭痛を含めた全身の痛みがキレイさっぱりと消えている。
手をぎゅっと握りしめた感覚も、以前よりも力強くなったように感じる。
「俺の場合は、それに加えて、思考能力までも上がったらしい」
「おかげで、こんなのも作ったりできるようになったよ」
そう言うと、科学者はポケットから何かを取り出した。