スマホを探していたはずが…
「あいつらはいっちまった」
男はそう呟くと、コーヒーを一気に飲み干した。
古びた喫茶店にはレトロ な音楽が流れている。
「マスター、お勘定」
男は思い立ったように席を立つ。
喫茶店のマスターは、でっぷりした腹をさすりながら奥から出てきた。
「もういいのかい?もっとゆっくりしていけばいいのに」
洋子が出て行ったのは5年前の暑い夏の盛りだった。
幼かった娘は大きくなっただろうか?
やんちゃで勝ち気なところが、洋子によく似ていた。
娘の名前は優子。
優しくなってくれるといい。
そう願ってつけた名前だが今はどうしているのだろう。
サワサワと柳が揺れる、二葉通り。
あの日、洋子と優子と別れた場所だったな。
男はそんなことを考えながら喫茶店を出る。
ミャーミャーと子猫のギンが甘えてきた。
胸ポケットから小さく顔を出す。
ギンは探偵田中事務所の看板猫である。
軽く頭を撫でてあげながら、男は帰路についた。
男の名は田中剛(たなかつよし)、周囲から「ゴリさん」の愛称でしたわれている。
別に猿顔というわけではないのだが…本人は不服だが、染み付いてしまったものは仕方がない。
本日依頼された事件は、青草商店街の小さな時計店「ちくたく」で起こった。
「大変、大変!」血相を変えて事務所の扉を開いたのは時計店店主の栗田俊彦(くりたとしひこ)。
田中はため息をつき、それに応える。「今度はなんだ?」
田中は栗田の依頼が大嫌いだ。いつもこんな調子でちっぽけな依頼を頼んでくるのだ。今回も栗田のスマホを探すはめになった。
「いつも大袈裟なんだよ、お前は。最後に使ったのはいつだ?」
いや、その前に自分のスマホに電話をかけてはみたんだよな? そう栗田に尋ねると。
「い、いや! まだかけてないですよ! 最後に使ったのは、昨日です……!」
慌てるのはわかるけど、まずは電話をかけてみろよ。意外と家の中とかかもしれないぞ。
そう提案すると、栗田はしょんぼりした顔で下を向いた。
「自分の番号、わからないんですよ……」
自分の番号ぐらい、ちゃんと覚えておけよ! ってか家族に頼めばすぐ解決じゃないか。
「それが、私以外、みんな旅行に行ってまして。私ひとり、留守番をしてまして……」
「番号がわかるものは無いですし……。携帯電話……スマホも仕事で使いますし……」
「どうにもならなくなって、お願いに来た次第です。はい……」
栗田はあいかわらず、しょんぼりした顔で下を向いている。
「ゴリさん! 私の携帯電話に、電話をかけてください! お願いします……!」
仕方ないな……。田中は、栗田のスマホに電話をかけてみる事にした。
数秒のコール音のあと、電話がつながった。声の主は、若い女性のようだった。
「もしもし、この電話の持ち主さんですか?」
と聞かれたため田中はそうだと言った。すると女性が「なら今からそちらに持って行きます。」と来てくれると言うのだ。
とりあえず栗田の時計店の場所を伝えて女性を待つ事にした。
女性は15分後に来た。
「すみませんこのスマホの持ち主さんですか?」
と時計店に入って来た。
「ああ、このスマホです。ありがとうございます。」
栗田が泣きそうな顔で女性にお礼を言っていた。
ちなみにスマホは先程女性が公園のベンチに落ちているのを見つけたらしい。
そして女性は帰って行った。
「栗田、もうスマホを無くすなよ。」
と田中が注意した。
今回厄介な事にならなくてよかったと田中は思っていたが………
「え。おかしい、ですか……?」
不思議そうな顔で尋ねる栗田に対して、田中は「ああ」と答える。
彼女がスマホを拾ったっていう、二葉通りの公園からここまで、お前の足なら何分かかる?
「私ももう、年ですからねぇ……。普通に歩いて、1時間はかかるでしょうか」
そう。そして、30代の。かつ歩幅の広い俺が歩いたとして、それでも30分はかかる。
公園で電話に出た、と言う彼女の足で、この時計店に着くまでに15分はあり得ない。
「彼女は走ってきたんじゃないですかね……」
この炎天下だぞ。走ってきたのなら、汗の量はあんなもんじゃないはずだ。
「なら、車で来たんですよ! きっと……!」
いや、それも違うだろう。彼女は、シワになりやすい素材のスカートをはいていた。
車を利用して来たのなら、多少なりともシワができているはずだ。なのに、全く無かった。
彼女はウソをついている。栗田、気をつけろ。スマホに何かされたかもしれないぞ。
その時。田中のスマホに、見知らぬ番号からの電話がきた。
「もしもしー。」
電話に出たがすぐに切れた。着信履歴を確認したところ登録してある電話番号からだった。その登録していた名前は栗田
よく見れば栗田という登録が複数あって、勿論ここに居る栗田とは別人だ。職業柄登録件数が多く、なかなか全て把握できていないのが現状で、整理整頓も苦手。
「ワン切りなんて失礼な奴だぁ」とすかさず折り返し電話した、が圏外だか電源が切れているかわからないが繋がらなかった。
横から見ていた栗田はゴリさんの携帯を見た。するとその番号は機種変更する前の栗田の電話番号だった。
「えっ。あ、すいません……っ」
栗田、ちょっと落ち着け! 勝手にストーリーを語るな! 田中は、栗田の肩を揺らした。
「スマホに何かされたかもしれないと言われて、ついパニックになっておりました……」
いや、よくできた内容だったが、色々とツッコミどころがある。
まず、もう切れてしまったが、俺のスマホにかかってきた番号は「見知らぬ」番号だ。
あと、俺はスマホに顧客の情報は登録していない。その都度、頭で番号などを覚えている。
それと、この際、混乱するから言っておくが、スマホはスマホだ。携帯電話じゃない。
今現代の感覚だと、携帯電話とはガラパゴスケータイ。ガラケーの事らしいんだ。
携帯電話と言いたい気持ちはアラフォーの俺でもわかる。しかし、耐えて頑張ってくれ。
とりあえず、俺は今かかってきた番号にかけ直してみるから、少し静かにしててくれ。
「わかりました……!」
さきほどかかってきた見知らぬ番号に電話をかける。数秒のコール音の後、通じた。
「もしもし」
この声……。さっきの女性か。
「ご安心ください。栗田さんのスマホで番号を調べさせて頂いた以外は、何もしてません」
あいかわらず落ち着いた、淡々とした口調だ。
「そのご様子だと、私が公園で出た事はウソだとお分かりのようですね。さすがです」
何の用があって、俺のスマホに電話をかけてきたんだ。そう尋ねると。
「実は、ひとつお願い……ご依頼したい事がありまして。お電話させて頂きました」
……あなたは、栗田のスマホを届けてくれた恩人です。その依頼、引き受けましょう。
田中がそう答えると、女性は「ありがとうございます」とお礼を言った。
「では、あなたが毎日通っている、いつもの喫茶店で。お待ちしております」
日時は? と尋ねると「今です」と。やれやれ、コーヒー飲んだばかりなのにな……。
「それでは、失礼いたします」
そう言うと、電話は向こうのほうで終了した。
「え。喫茶『レトロ』へ? 私も昨日いきましたねぇ……。行ってらっしゃい……!」
栗田に見送られ、俺は喫茶「レトロ」へ向かう。店内で、女性が窓際の席で待っていた。
「これを見てください」
そう言って、女性はスマホの画面を見せてきた。
中学生ぐらいだろうか。顔を隠した、一人の少女が写っていた。
「この女の子が、数時間後に二葉通りを歩きます。それを尾行してほしいのです」
つつじ通り、駅前のコンビニ。
「お先に失礼します。」
洋子は、やっと客が途切れたのを見計らい、他の店員に挨拶した。
コンビニのバイトも楽じゃない。
今日は優子の誕生日。
何か美味しいものでも食べようと、優子に好きなところを予約しておいてと伝えてある。
アパートで優子と2人で暮らすようになり、私は一日中ぼんやり過ごすことが増えた。
いつもゴリさんと喧嘩ばかりしていた私が、5年もこんな調子では、優子が心配するのも当然だ。
隣に住む武田さつきさんは優子によくしてくれる。
優子もよくなついて、いつからか2人で探偵遊びをしている。
今日も優子はさつきさんと出かけたようだ。
テーブルには、優子の字で置き手紙があった。
『おかあさんへ
おかえり。今日のごはんは二葉通りの食事処『三つ葉』に18時です。スマホを忘れずに!さつきさんと先に行ってるね』
今日はスマホを忘れたんだった。
それにしても、私は…
夫、ゴリさんから送られた最後のLINEを開けては、また閉じる。
『…俺が悪かった、帰ってこいよ』
ろくにLINEもしたことのないゴリさんが苦労しながら送ったのだろう。
……夢か。
田中が目を覚ますと、そこは自分の探偵事務所。オフィスに置いてあるソファの上だった。
依頼主の女性と別れてから、軽く休憩しているつもりが気づいたら眠ってしまったらしい。
洋子になった夢を見るなんて、とんだ皮肉だな……。
夢の中の、置き手紙の優子の書いた字は、記憶の中の優子。6歳ほどの頃の字だった。
それに、隣人らしい「武田さつき」なる名前は、さっきの依頼主の名前じゃないか。
数年前に俺が送信したメッセージは、最後のほうは既読すらつかなかった。
勝気な洋子の事だ。きっと、未練がましい俺をブロックでもしている事だろう。
あれから5年も経つんだ。もう俺の事なんか忘れているさ。ってか、5年だったっけ……?
壁にかけてある時計を見る。まずい。依頼主の言っていた時間が近づいている。
テーブルに置いてあった、愛車のキーと、愛用の煙草を手に取ると、事務所を出た。
俺は俺のやるべき事をこなすだけだ。田中はハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。
二葉通りに着いた。よし、時間に間に合った。急いで、通り近くの駐車場に車をとめる。
依頼主の話によると、少女はスマホで見た通りの服装で、あと数分後にここを通るらしい。
依頼主と少女は、何を企んでいるのだろうか。念のために防刃チョッキを着こんできた。
めったな事は無いと思うが……。そして待つ事、数分。来た……! あの少女だ。
スマホで見た通りのシンプルな夏服に、顔にはマスク。よし、尾行の始まりだ。
「指定の時間になりましたら、女の子に話しかけてください」
それが依頼主からの内容の最後だった。話しかけた時に、いったい何が起こるのだろうか。
っと……。うっかりすると見失いそうになるな。少女の行動パターンが読みづらい。
尾行している俺を翻弄するような動きだ。ふん、ゴリさん。探偵、田中を舐めるなよ……。
尾行し始めてから、だいぶ時間が経った。もうすっかり夕方だ。
指定の時間が近づいている。少女は二葉通りから少し離れた、小高い丘に来ていた。
木々の間から、二葉通りを見下ろす事ができる場所だ。ひさびさに来たな、ここ……。
懐かしさにひたっていると、前のほうを歩く少女が、急にこちらを振り向いた。
「もう、話しかけてもいいですよ!」
そう言って、少女はマスクを取る。どことなく洋子に似た顔。まさか、そんな……。
「そうです。優子です!」
「ここ、覚えてる?ガキ大将の鈴木と喧嘩して頭をごつんと殴られた時も、トイレ掃除サボって佐藤が先生に告げ口した時も、清水くんがれなちゃんと仲良くなった時も、私がつらくなると、おとうとおかあさんはここに連れてきたね。」
「あぁ、そうだったかな。」
そうだ…負けず嫌いの優子は、俺たちがどんな言葉でなぐさめようと聞かなかった。ぷすんとして、その時ばかりは自分の部屋の布団から出てこなかった。優子は他人の前では涙を見せない子どもで、他の子どもからしたら生意気にうつったのだろう。そんな優子はこの丘に来ると、少しずつ持ち前の明るさを取り戻していくのだった。
そして、目の前の優子は言った。
「今日は私の誕生日。私からの依頼は、18時に食事処『三つ葉』でおかあさんとデートに行ってもらうこと。以上」
「ひさしぶり。ゴリさん」
ひさしぶりだな、洋子。俺は言葉を返した。
18時。俺は優子の依頼どおり、食事処「三つ葉」に来ていた。
「本当は、見るだけで帰る約束だったんだけどね」
洋子、優子。そして、隣人であり、探偵でもあるらしい武田さつき。
その三人の。俺と栗田の知らないところでの今回の動き、詳細はこうだ。
「お母さんの実家、遠い所へ引っ越す前に。お父さんをもう一度、見ておきたい」
その、優子の願いを叶えるために、三人はこの街にやって来たらしい。
今朝、三人は喫茶「レトロ」で俺が来るのを待っていた。マスクで、顔を隠しながらだ。
そして、いつも通りにコーヒーを飲んで去る俺を見て、帰るつもりだった。
しかし、ソファとソファの隙間に何かが落ちているのを、見つける。
栗田のスマホだ。最初はマスターに知らせようとしたが、何となく着信履歴を見ると。
履歴に、栗田本人からと思われる、また栗田の家族からの着信が一切ない事に気づく。
何かしらの理由があって、自分のスマホへ電話をかける事ができない状況なのだ。
昔から困った事があれば、すぐにゴリさんに頼みに来ていた栗田さんの事だ。
今回も、ゴリさん。俺へ助けを求めに行く事だろう。
そして、俺のスマホから電話がかかってくる可能性が高い。
そう踏んだ上で、優子は俺の探偵としての能力、仕事ぶりも見ておきたかったらしい。
「もう中学2年生よ。優子は、探偵ものの作品とか好きなの。血は争えないね」
そう言うと、洋子はコーヒーを静かに飲み干した。5年と思っていたが8年だったか。
思えば、本当に仕事ばかりだったな、俺……。このメロディー……。閉店の時間が近い。
……洋子。俺たち、やり直せないかな。家族も大事なんだ、って気づいたんだ俺……。
そう話すと、洋子は「とりあえず、場所を変えましょうか」と返した。
「探偵なんでしょ? もう一回、私を振り返らせてみてよ」
そう言って、洋子はイタズラっぽく微笑んだ。