プライベート 四神荘【壱】

0 いいね
完結済
3000文字以下 30人リレー
10か月前 1956回閲覧
  • 二次創作
  • 妖はじ
  • 腐向け
  • 四神
1人目

ここは小さなあばら家。
 安倍晴明(はるあき)に使役された四人の神は「普通の人間の生活も少し…分かって欲しいな」と控えめながらに優しく諭されたので、少しの間長屋暮らしをすることになった。いわゆるシェアハウスである。
 住人は、白虎、青龍、玄武、そして元朱雀も一緒だ。
 元朱雀は、妖怪へと堕落させた元人間二人と暮らす家もあるので、ここへはたまに帰ってくる。
 その元朱雀も含めて皆、個人の部屋を与えられた。
 全員座っても席に余裕のある食卓の向こうには小さいが一通りのものは備えられた台所があり、日々の食事の準備は交代で行うことになっている。
 風呂やトイレは共同だが、古くはあっても清潔で、白虎が到着していの一番にそこを確認した後、掃除当番を決めて紙を貼った。
 皆の集まれる居間にはテレビがあり、居間の奥には朽ち果てた小さな神棚があった。それを見つけた玄武が「暫し邪魔をする」と一言断りを入れて、そこに「四神」と表札のような紙を掲げ、青龍が両脇に小さな榊を供えた。

 実はこの家は百鬼学園の学園長である蘆屋道満が化学(ばけがく)の課外学習に使えるのでは、と安値で買い叩いた代物で、安値になるだけの理由を持ったいわく付きの物件である。この四人(匹?)は知る由もないが、四人の使う部屋以外に物置となっている部屋があり、そこに置かれている骨董品のような品々の中にはガラクタもあれば、不思議な力を秘めたものもある。
 もう会えない誰かに会える、なんていう不思議なこともあるのかもしれない。

 さて、そんな小さな家に朝がやってきた。

2人目

「玄武〜白虎〜! 朝餉の用意が出来ましたよ〜!」

 廊下を歩く青龍の足音と共に、カンカンカンとけたたましい音が鳴り響く。朝から自室で読書に耽りながら、今日の食事当番は青龍だったか……と玄武は独りごちる。
 読んでいた書物に栞を挟んで座卓の上に置き、立ち上がって大きく伸びをする。ついでにだらしなく緩んでいた部屋着の帯をしっかり締め直していると、窓側の隅に作られた寝床から、二匹の蛇がもそもそと這い出てきた。今朝は冷え込みが強かったのせいか、随分と動きが鈍い。蛇は変温動物であるため、寒さに弱いのだ。玄武はブルブルと身体を震わせながらも自分について来ようとする蛇たちを制した。

「無理をするな。お前たちは部屋で待っていろ」

 そう伝えるが、二匹の蛇は首を振る。ゴネる蛇たちに玄武は食堂はここよりももっと寒いぞ? と動作も加えて、少し大げさに言ってみせる。それを見た蛇たちは互いに顔を見合わせた。これ以上の寒さは流石に耐えられない、と判断したのだろう。玄武に向かって申し訳ない……と言わんばかりに何度も何度も頭を下げ、二匹は仲良く寄り添いながら寝床に敷いた毛布の中へと戻って行く。
 愛蛇たちが暖かい毛布へと潜り込むのを見届けてから、玄武は部屋を出て、青龍の待つ食堂へと向かった。







 食堂に着くと、割烹着に身を包んだ青龍が鼻歌を歌いながら朝食の準備に勤しんでいた。この長屋で暮らし始めて数週間、幾度となく見ているはずなのに。未だに割烹着を着る青龍を目にすると、胸がキュっとして首の後ろがムズムズして落ち着かない。
 これがとある界隈で言うところの『萌え』というやつなのか? 玄武は青龍を凝視したまま考え込む。先日読んだ本を、もう一度じっくり読み返す必要がありそうだ。暫しそんなことを思案した後、玄武は青龍におはようと声をかけた。振り返った青龍は満面の笑みを浮かべ、玄武の方へと駆け寄って来る。

「おはようございます、玄武! どうですか、今日の朝餉は自信作ですよ!」

 華やいだ声で胸を張る青龍に手を引かれ、食卓に並んだ朝食を見た玄武は思わず感嘆の息を吐いた。
 四人掛けのダイニングテーブルの上には、白米と豆腐とワカメの味噌汁に加え、少し形が歪な卵焼きに胡瓜と大根の漬物、さらに昨夜の残りの煮物が三人分。初めの頃は卵かけご飯しか用意できず白虎に激しく叱責されていたというのに、手づから料理を教えた甲斐があった。玄武は台所で青龍と二人で肩を並べて料理をした日々を思い出し、顔を綻ばせる。

「見てください、この卵焼き! ちゃんと玄武から教わった通りに作ったらこんなに綺麗に出来ました! 味だって申し分ありませんよ……多分」
「ああ、確かに良く出来ている。大したものだ。頑張ったな、青龍」
「ふ、ふふん……! も、もっと褒めてくれても……良いんですよ?」

 頭を撫でながら褒めてやると青龍は頬を紅潮させ、照れくさそうに口元を割烹着の袖で隠して視線を逸らす。
 思わぬ不意打ちを食らった玄武は、青龍の頭の上に手を置いたまま石像のように固まってしまう。突然動かなくなった玄武を青龍は怪訝な顔で見上げてくる。理性と欲望の間で揺れ動いていると、バンっと勢いよく食堂の引き戸が開け放たれた。我に返って振り向くと眉間に深い皺を寄せる白虎と目が合った。
 何をしているんだ、貴様らは……。そう言いたげな白虎は玄武と青龍の横を足早に通り抜け、席に着くやいなや、仏頂面でテーブルに頬杖をついた。

「な、何か……機嫌が悪いですね、白虎の奴……」
「気にするな、ああいう時は放っておくに限る。さっ、飯にしよう」

 不機嫌そうに爪の先でテーブルを叩く白虎に玄武は敢えて何も言わない、何も聞かないことにして席に着いた。下手に言及すれば、余計に機嫌を損ねる。青龍もそのことを理解しているのだろう。席に座るように促すと素直に頷いて、玄武の隣に腰を下ろした。
 食事の号令は玄武の役目だ。両の手を合わし、ちらりと白虎の方を見やる。さっきまでの態度が嘘のように、きちんと居ずまいを正して両手を合わしている。それを確認してから玄武が「いただきます」と言うと、一拍置いて白虎と青龍も同様の言葉を口にする。
 箸を手に取り、まずは味噌汁を一口、少し塩気が強いが悪くない味だ。

「お味噌汁……どうです? 美味しく出来てますか……?」
「大丈夫だ、美味いよ。少し塩分が多い気がするが」
「えっ、そうですか。私はこのくらいの味付けがちょうどいいと思うんですけど」

 味噌汁の椀に口をつけながら青龍は首を傾げる。だが味付け云々よりも、玄武に美味いと言ってもらえたことが嬉しいのか、目尻は下がり口元も緩んでいる。
 愛らしい青龍の姿を横目で眺めていると、ふと白虎の様子が気になった。白虎は相変わらず仏頂面のままだが、青龍の作った朝食に文句も言わずに黙々と食べ進めている。
 小言の一つや二つあるかと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。

「卵焼きも食べてみてください。今日は甘い味付けに
してみたんです」

 言われるがまま、卵焼きを一切れ掴んで口に運ぶ。その卵焼きは、まるで砂糖菓子のように甘かった。

「……美味いが、卵焼きは出汁の方が好みだな」
「えぇ~!? 私は断然甘い方が好きです!」

 この後、激甘卵焼きを食べた白虎が「甘すぎる!!」と烈火の如く怒り出し、さらにそこへ白虎の機嫌を悪くした元凶である朱雀がのこのこ帰って来たりするのだが、それはまた別の話……。

3人目

「はぁ〜それにしても大変でしたね」
「そうだな、途中までは白虎も平静を保っていたのに」
 二人は今朝方のことを思い出しながらお茶を啜った。烈火の如く怒り出し、猛烈な勢いで朝食を掻き込んだ白虎がドカドカと足を踏み鳴らしながら部屋へ向かった様子を思い出す。当の本人は現在外出中だ。
「しかし、何も言わずに朝帰りした朱雀はともかく、何故私達まで怒られたのでしょうか…卵焼き美味しかったのに…」
「うむ、分からん。虫の居所が悪かっただけじゃないか?」
 今日はお互い見回りや小銭を稼ぐための仕事もないので、ゆったりとした時間が流れている。玄武はつい最近ここに来てから始めた仕事をクビになったばかりなのだが、それまでの稼ぎが良かったので次の職を探すまでにはまだ猶予があった。青龍は近くの小さな小料理屋で接客や配膳を行うバイトを始め、その帰り道にある商店から買ってきた色とりどりの小さなあられを座卓の中央に据えて、隣り合って二人は座っていた。
 朝方は寒くそろそろ炬燵を出さねば、と思っていた玄武だったが、日中の今では日の当たる居間はぽかぽかと暖かい。玄武の背後には二匹の蛇が控え、その口元に青龍があられを運んだ。
 不意に蛇達を満足げに眺めていた青龍が思い出したようにこちらを見た。
「あ、そうです玄武、本日の湯浴みもそちらのお二人を洗うの手伝いましょうか?」
「えっ?」
 ここに越してきてから、家賃は不要と言われてはいるものの、日々の食費や光熱費は自分達で出すことになっていた。食費…水道光熱費…と呟きながら頭を抱えていた白虎が「お前ら変温動物はいつも湯が熱いとうるさい。節水も兼ねて一緒に入れ」と言ったのがきっかけだ。玄武は無表情な顔の裏で心底焦っていたのだが、当の青龍は「玄武とお風呂ですか〜共同生活っぽくて楽しそうですね」などとにこにこしていた。
 昨日も一緒に入り、青龍は丁寧に2匹の蛇を泡いっぱいにして隅々まで綺麗に洗った。そして何故かついでだと言って玄武の背中まで流してくれた。
 何も起こらないと良いが、と玄武が自戒を込めて自分に言い聞かせていると、青龍が目を逸らすようにして言った。
「あ、でも…玄武の裸体はその…少々目に毒というか…」
「何がだ?」
「いえ…私は色が白くて華奢なので、貴方の身体を見ていると、その…羨ましくて」
 もじもじと恥ずかしそうに呟く様子に、普段は表情の出にくい玄武の顔に優しげな笑みが溢れる。
「自分を卑下するな。お前だって…その…」
「?」
「俺は、その…お前の靭やかな身体が好きだ」
「えっ、そ…そん……か、買い物に行ってきますっ!」
 赤くなった青龍は跳ねるように立ち上がると、部屋を飛び出して行った。
(靭やか、とは褒めているように聞こえなかったのだろうか)
 玄武は少し頭を捻ったが、脇の蛇達に促されるまままたあられに手を伸ばした。




 その頃白虎は待ち合わせのため喫茶店にいた。
―バキッ
 物騒な音とともに手元のカップにヒビが入る。
(ハッ、いけない…私はまた怒りに任せて…)
 しかし、今回のことは完全に朱雀が悪い、私がどれ程あいつのことを嫌っているか知っているくせに、と白虎は苦々しく今朝のことを思い出した。そもそもの発端はこのところ朱雀が遊び回っているせいである。
 昨晩の夕餉の当番は朱雀、順番ではその次が白虎で、居なければ別の者が夕餉の支度をすることになる。夕餉の支度はできるのか?と夕方に朱雀に確認して、返答がないことがこの短い期間でもう三回はあった。かと思えばフラフラと帰ってきて、どこから持って来たのか煮物などの惣菜の入った容器をいくつか食卓に並べたり、機嫌の良い朝には皆が驚くような美味しい朝餉を気まぐれに作ったりする。
 とにかく、あいつはやればできるのだ。昔から一生懸命頑張る自分よりも適当に過ごしているくせに何故か晴明様にも目を掛けられていた。それなのに、気分屋で何事にも本気で取り組まないところが本当に腹立たしい。
 更に、今朝帰宅してから開口一番に飛び出した名前が、白虎の堪忍袋の尾を引きちぎった。
「あっちゃんがさ〜この前たまたま夜のお店に来ててねぇ〜席に行ったんだけど酒が不味くなるからどっかいけって〜」
 それに玄武と青龍に至っては昼夜を問わずベタベタと二人で顔を赤くしたり桃色にしたり花を飛ばしてみたり…ともかく白虎は疲れていた。
 注文したコーヒーを一口飲み気持ちを落ち着けようとするも、朱雀のヘラヘラした力の抜けるような笑顔がチラついてふつふつと怒りが湧き上がる。

―白虎ちゃん可愛いのにね〜、ちょっとお硬いところが玉に瑕だよ。晴明もそのあたりを気にしてるんじゃない?

 大昔、朱雀に言われた小言がこの千年間尾を引いていた。
(うっるせぇえぇぇ!晴明様に先立たれた私に対する当てつけか!?どいつもこいつも不埒過ぎる!不潔だ!不潔!神としてあるまじき…)

―神も人間も…そして妖も、皆本質は同じだと思わないかい?

 白虎は元主である安倍晴明の声を思い出した。いつもにこやかで、白虎の方においで、と手を差し伸べてくれる。
「せいめいさま…」
 神としての身分など度外視して自分達を気にかけてくれた。神の中でも頭が硬いと言われていた白虎にとって、彼がいなければ知らなかった感情がいくつもあった。叶わぬことだと分かってはいても、心の底からまた会いたかった。まさか、その末裔に使役されるなどとは夢にも思わなかったけれど。
(安倍はるあき…先祖返りかそれ以上の大きな力を有している…性格はひよっこだが、そこはゆくゆく私が正してゆけば…)

 ともかく、今は共同生活の資金を稼ぐことが先決だ。四人いれば、と思ったが一人ははなから戦力外だし、青龍は飲食店でのバイトにも悪戦苦闘している。頼みの綱の玄武は初めは夜の店の黒服として働いていたが、青龍に言い寄った相手が自分の店に出入りしている客だと知り、その相手を脅したことが店にバレてクビになってしまった。
 新たな主はそれ程稼ぎなどないのだろうし、まかり間違ってもあの蘆屋に立て替えてもらって借りを作るなどということがあってはならない。
 ここはやはり、自分が実入りのいいバイトをするしか打つ手がない。雇い主は妖怪だと聞いたが、ここで生活するには致し方ないと白虎は言い聞かせた。


 カッカッとヒールの音を響かせながら、待ち合わせの相手が来た。
 その相手は席の脇で立ち止まり、白虎の方をじろりと見た。黄色地に黒い縞模様の入った虎のような柄のニット、目の周りに濃く引かれたアイラインに派手な色のアイシャドウが光る。
「バイト希望の白虎ってのはお前かい?」
「ああ、連絡をした白虎だ。暫くの間そちらの店で働かせてほしい」
 礼儀正しくネクタイを締めたスーツ姿の白虎は待ち合わせ相手に合わせて立ち上がり、頭を垂れた。
 そこにはその界隈ではぼったくりで有名な店のオーナーである、妖怪鬼婆が立っていた。



 その頃、まだただの物置部屋としか認識されていない、殆どはガラクタばかりの骨董品が並ぶ一室で、いわく付きの品のひとつ、古びた鏡の鏡面が僅かに不思議な光を放ったのを、まだ四神たちは知らなかった。

4人目

「さて、今日の夕餉は何にしましょうか」

 スーパーの青果売り場を回りをうろうろしながら、青龍は長い袖を口元に当てて考え込む。ざっと見て回ったところ、この日は玉ねぎ、人参、じゃが芋といった根菜類が比較的安く売られている。この食材で何が作れるだろう。

「そういえば、この間玄武に"かれー"という料理の作り方を教わりましたね……」

 一口サイズに切った根菜と肉を炒めて煮込む、味付けも出来合いの調味料を入れるだけ。あとは分量さえ間違えなければ、料理が不得手な自分でも美味しく作れる……はず。
 よし、今晩の夕餉はかれーにしましょう! 青龍はうんうんと一人頷いて、先の根菜たちを次々カゴの中へ放り込んでいく。作るものが決まってしまえば、あとは早いものだ。豚肉のこま切れに市販のカレールー、隠し味に入れると良いと教えられたリンゴをカゴに加え、青龍は意気揚々とレジへと向かった。

「レジ袋はお付けしますか?」

 レジ打ちの店員に訊ねられ、青龍は「結構です」と言いかけたが、あることに気がつき慌てて口を噤んだ。買い物の際に愛用している可愛い花柄の布袋をうっかり家に忘れて来てしまったのだ。

「お客様?」
「…………す、すみません……袋、お願い……します……」

 やらかした……。会計を済ませ、買った品物を袋に詰める青龍はガックリと肩を落とした。
 環境への配慮からレジ袋にも数円単位の費用が掛かるようになった昨今、僅かな出費でも家計に響く。買い物に行く時は必ず布袋を持参しろ! と家計簿担当の白虎にきつく言われていたのに。
 すっかり意気消沈した青龍は重い足取りでスーパーを出ると、ガサガサ音を立てるビニール袋を見つめて深々とため息をついた。

「やってしまった……。これでもう三度目、また白虎にどやされてしまう……」

 今朝の様子を見る限り、素直に謝ったところで雷付きの説教数時間コースは免れないだろう。居間に正座をさせられて、ねちねちと三時間も説教をされた時のことが思い出される。青龍はもう一度、深い深いため息をついてトボトボと歩き出した。

「うぅ……玄武があんな……あんなこと言わなければ……」

 お前の靭やかな身体が好きだ……

 僅かに頬を赤らめ、気恥ずかしそうにする玄武の顔が頭から離れない。滅多に見られない玄武の照れ顔に見惚れて真っ赤に染まった自分の顔を見られるのが嫌で、買い物に行くと言って逃げるように部屋を飛び出してしまった。
 財布を忘れなかったのが唯一の救いだ。しかしながら、玄武に心を乱されっ放しなことが非常に悔しい。たまには自分も玄武の心をかき乱してやりたい。帰ったら渾身の色仕掛でもしてみようか。青龍は慌てふためく玄武の姿を想像しながら含み笑いをする。



「……あれ……?」

 家路を急いでいた青龍だったが、周りの景色がいつもと違うことに気がつき足を止めた。

「ここは……どこでしょう」

 サァァっと青龍の顔が青ざめていく。どうやら、上の空で歩いている内に見知らぬ場所に迷い込んでしまったらしい。"迷子"その二文字が頭の上に重くのしかかる。
 落ち着け! 落ち着け! と自らに言い聞かせ、とりあえず来た道を戻ろうと踵を返す。しかし、来た道を戻っても覚えのない風景が広がっていて、青龍は途方に暮れた。不安と心細さで、目尻に涙が浮かぶ。

「っ、な……泣いている暇なんてありませんよ、青龍! とにかく、誰に道を聞いてスーパーまで戻れれば……!」

 袖口で涙を拭い、青龍は懸命に己を励ましつつ前へと進む。そうして当てもなく彷徨い歩くこと一時間、幾度となく遭遇した十字路を右に曲がった時だった。信じられない光景を目の当たりにし、青龍は思わず息を呑んだ。

「良い子だからぁ〜……こっちにおいでぇ〜……そんな暗くて狭いところにいたら、寂しいでしょ〜?」

 そこにいたのは朱雀だった。彼は地べたに寝そべり、こちらに背を向けて自動販売機の下に腕を突っ込んでいる。ようやく出会えたのが、よりにもよってこいつとは……。青龍は自分の運のなさを呪いに呪った。声をかけるか、かけまいか、額に手をやり悩んでいると朱雀が歓喜の声を上げて飛び起きた。

「いやっったぁぁぁ〜!! 五百円ゲット〜!!……んっ?」

 五百円玉を天に掲げ、幼子のようにはしゃいでいた朱雀が青龍に気づいて振り返る。

「あれ、青龍じゃん。こんなところで何してんのぉ?」
「いや、それはこちらの台詞なんですけど……」
「僕は見ての通り、自販機の下を一つ一つ見て回ってお金が落ちてないか確認してたんだよ。そろそろお金入れないと殺すぞって白虎ちゃんに言われちゃってさぁ」

 まいった、まいったっと頭を掻きながら言う朱雀だが、これまで生活費を入れていなかったことを悪びれる様子はない。そもそも、そんな下賤なやり方で集めた金を白虎が受け付けるとは到底思えなかった。

「もっと真っ当なやり方でお金を稼いだ方が懸命だと思いますよ」
「あっはは〜。そんなの僕に出来ると思う? それより、君は何してたのさ。ここ、家から随分離れてるけど……あっ、まさか」

 ニヤリとこちらを見やる朱雀にギクッと肩が跳ねる。

「君、迷子になったんでしょ〜?」

 図星を突かれて押し黙っていると、朱雀の口から思いがけない言葉が飛び出した。

「しょうがないなぁ。僕が家まで連れて行ってあげるよ」
「えっ? ほ、本気で言ってます? 本当に家まで連れて帰ってくれるんですか?」

 嘘だったら承知しませんよ?! と詰め寄る青龍に朱雀は「大丈夫だって、ちゃんと連れて行ってあげるから」と笑う。朱雀に借りを作るのは癪だが、背に腹は代えられない。

「でも真っ直ぐ帰るんじゃ面白くないから、少し寄り道してから帰ろっか」
「はぁ!? いや、私はもう家に帰りた……」
「まぁまぁ、良いお店紹介するからさ」

 そう言うと、朱雀は青龍の手首を掴んで有無を言わさず歩き出す。引きずられて行く最中、青龍は胸の内で必死に玄武に助けを求めた。



 朱雀に連れられるがまま、やって来たのは如何にも老舗といった店構えの鯛焼き屋の前だった。

「ここが良いお店……ですか?」
「うん。美味しいんだよ、ここの鯛焼き。奢ってあげるから一緒に食べよ」
「奢るって……拾ったお金で、ですか……」

 冷ややかな視線を浴びせるが、朱雀はあっけらかんとして店員にたい焼きを注文し始める。待つこと数分、近くのベンチに座っていた青龍の元へ、焼き立てのたい焼きを持った朱雀が戻って来た。差し出された鯛焼きを遠慮がちに受け取ると、朱雀は青龍の隣に座って鯛焼きに齧りつく。
 美味そうに鯛焼きを頬張る朱雀の様に、生唾を飲む。辛抱できず、青龍は頭から思い切り鯛焼きにかぶりついた。

「……美味しい」

 半ば無意識に呟いた。生地は外がサクサク、中はふんわりとしていて、中身のあんこも甘すぎない。正直期待していなかったが、自信満々に薦めてきただけのことはある。玄武と白虎にも土産に買って帰ろう。
 
「そういえば、玄武のお兄さんとはどこまで済んでるの?」
「んぐっ!? ゲホっ、ゲホっ!! な、なな……な!!」

 ニコニコと鯛焼きを頬張っていた青龍に、突如として爆弾が投下された。

5人目

 その少し後、朱雀は夕暮れに差し掛かった道を歩いていた。
「今夜はカレーかな〜♪」


 先程一緒に鯛焼きを食べた青龍の持った袋の中には、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、豚肉、そしてカレーのルーが入っていた。料理は苦手らしい青龍だが、玄武のお陰で最近は、大分食べられるようなものが出てくるようになったので、今晩もきっと美味しい夕食が待っているのだろう。
 それにしても、特に馬鹿にするつもりはなく、玄武との雰囲気を聞いてみただけだったのに、質問に顔を真っ赤にしてわなわなと震え出した青龍から、顔面に張り手を食らうところだった。すんでのところで避けた後何か一言言ってやろうかと青龍の方を見ると、うつむいたままプルプルと震えている。
「どったの?」
「恥を忍んでお聞きします…朱雀…」
「なに?」
「世の男は………いえ……その……玄武は…一体どのように誘えばその気になってくれるのでしょうか…」

 話を聞けば、先日から白虎の提案で始まった玄武と青龍二人で入る風呂は、青龍としても渡りに船だったようで、いつも照れてしまって何も伝えられない自分の気持ちを伝えるチャンスだと思っていた。
 しかし、裸の玄武を前にするとどうにも自分を出すことができない。玄武の方も少しはいつもと違う様子を見せてくれるかと思いきや、びっくりするほど普段と変わった様子もない。それどころか逆に普段より落ち着いているくらいなので、先程まで青龍は少し自信を失っていた。
 いつも自分に優しく接してはくれるが、考えてみれば玄武は他の四神や昔の役人たちにも優しかった。自分が特別だと思っていたのは、唯の幻想で、自分勝手な思い上がりだったのかもしれない。

「玄武は…私のことを好いていないのかもしれません…でも、先程はその…少し本音を覗けたような気がして…」

 しかし、そんな玄武が先程は自分の身体を褒めてくれた。しかも僅かではあるが頬を赤くして。青龍はこの機を逃したくなかった。

「ん〜そんなことはないと思うよぉ?でも…そうだなぁ、雰囲気って大事じゃない?見た目を変えてみたら?」

「雰囲気?風呂なのに…ですか?」

「別に風呂だって洗い場ではどんな格好してたって問題ないでしょ。じゃぁねぇ…ごにょごにょ」



 自分の耳打ちを真剣に聞き入っていた青龍の真剣な表情を思い出す。今晩の青龍と玄武はどうなるのだろう、その様子を想像した朱雀は一人でクックッとほくそ笑んだ。
「さーて、今日も働きますか!」



 青龍や白虎の言ってることも分かるが、妖怪で、更に適当な自分が金を満足に稼げるとしたらやはりあの店になってしまう。たまに店のものを頂戴するので借金が嵩んでばかりなのだが、なんだかんだであそこのママは面倒見がよく、たまに煮物やポテトサラダといったお通しの残りを包んで持たせてくれたり、蘭丸のことははさておき梵丸や天丸のことを気に入っており、良くしてくれていた。あの二人だけでも食いっぱぐれなければ、自分のことは何とでもなる。朱雀こと蘭丸はそう思って、今でもよくあの店に出入りしていた。


 勝手知ったる店に着く。裏の従業員専用通路を通り、店の裏手に位置する控室のドアを開いた。今日は平日なので、自分の出番はないかもしれないが、どうせ時間はあるので準備しておくに越したことはないだろう、と店の奥に掛けられた衣装に手を伸ばす。この衣装は梵丸がクリーニングをしているものだ。梵丸は食い逃げで捕まる度に新たな手仕事を身に着けどんどん器用になっていた。
 ペラペラの黒いミニスカートの衣装を手にして、着替えようとしていると、店の表の方からバタバタと人が入ってきた。
 奥から「まぁまぁ」と宥めるように困り顔をしているのは梵丸、天丸は後ろからついてきてはいるが、表情はいつもと変わらず何を考えているのか分からない。
 手前の人物にはパッと見た感じ、見覚えがないな、と蘭丸は思った。梵丸より背が高いのかもしれないが、細身ですらりとしており、切り揃えられた黒髪は手入れを怠っていないことを物語っているように艶々と光っている。着慣れていないのか、スーツを着てはいるが動きがぎこちない。
 こちらを向いた顔が驚きと嫌悪に歪む。気の強そうな瞳に丸く整った眉。
「あれぇ?白虎ちゃん?何してんのこんなところで」
「なっ、な…なんでお前がここに…………………ハッ、お前がたまに出入りしている店とはここのことだったのか…!!帰る!帰らせてくれ!」
「まぁ、そんなこと言うなよ〜働き手が多い方が俺達も楽できるしさ。それに、こんなとこに来たってことは金が要るんだろ?」
 オーナーであるババアに新人指導を言い渡されたのか、梵丸は何十年も前から引き継がれているマニュアルを脇に抱え白虎の肩に手を掛ける。「金」と聞いて白虎はそれまでの勢いを無くしへたりと座り込んでしまった。


 オープン前の控室には小さな嗚咽が響く。
「うっ、うっ…簡単な…接客と、日々の他愛もない話やちょっとした願いを聞いて頷いて居ればいいと……殆ど神である私が日々やっていることと変わらないと思って…うっうっ…」
 白虎はバイト募集の広告を見ても夜の店だとは思っていなかったようで、怒りを爆発させた後へなへなと座り込みさめざめと泣き出してしまった。
「晴明様は何と思われるのか…あの方にこんな失態を見られてしまったら、私は…うっ…うっ」
「あ〜隣の席に座ったオヤジに酒をついで、日々の愚痴を聞いてやるって内容だから、あながち間違ってないでしょ〜あ、たまにお触りもあるけど」
「汚らわしい…清潔感のある職場だと書いてあったのに…」
「掃除は梵ちゃんがしっかりやってるから、綺麗だよ」
「こんなの…聞いてない…やはり帰らせて頂く…この話はなかったことに…」


「白虎ちゃんいいの〜?」
 白虎が振り向くと朱雀は不敵な笑みを浮かべていた。
「な、何がだ…」
「お金、必要なんでしょ?そんなんだとあっちゃんにお金借りることになるんじゃないかなぁ〜?はるあきくんは、毎月お給料カツカツみたいだし〜」
「うっ」
「ま、僕はあっちゃんにお金出してもらえば良いじゃん、って思うけどね〜ま、ここもそんなに酷い職場でもないよ〜」
 白虎は暫くの間苦い顔をして腕を組んだまま逡巡していたが、暫くすると大きな溜息をついて口を開いた。
「仕方がない。あいつに金を出してもらうのは腹を切ってでも避けたいからな…ここで世話になろう」
 白虎の目は座っており、その気迫に蘭丸以外の二人は背筋にぞわっと寒気を感じるほどだった。


 さて、家では青龍が鼻歌を歌いながらかれーの出来上がった鍋をくるくるとかき混ぜていた。
「なかなか上出来ですね」
 夕餉の支度は整った。朱雀は帰ってくるのかは知らないが、白虎は今晩遅くなると連絡が入っている。あとは、そろそろ散歩と言う名のジョギングから帰って来る玄武を待つだけだ。
「二人きりの夕餉の後は…お、お風呂ですかね…」
ドキドキと高鳴る鼓動を感じつつ、そこでハッ!と青龍は気付いた。
「夕餉の前に汗を流したいと言われたらどうしましょうか…!」
 風呂上がりの準備もしておくべきだった、と後悔しながらあたふたと廊下に飛び出した青龍の耳に、ガラリと表戸の開く音がした。
「今帰ったぞ」

6人目

 青龍の様子がおかしい。ジョギングから帰った自分を出迎えてくれた青龍を一目見て、玄武はそう直感した。

「お、おかえりなさい! 夕餉の支度は済んでますけど、先に……お、お風呂にしま……す……?」
「いや……それほど汗は掻いていないから、先に夕飯を頂こう」
「分かりましたッ! す、すぐに用意しますから、手を洗って来てください!」

 パタパタと忙しなく食堂へ向かう青龍の後ろ姿を見送りながら、玄武は腕組みをして首を傾げる。もしかしたら、まだ今朝の発言を気にしているのかもしれない。褒め言葉のつもりで靭やかと口にしたが、青龍はそういった意味に捉えていないように見えた。

「言葉とは難しいものだな……あとで弁解するとしよう……」

 上手く好意を伝えられないことに、玄武はもどかしさを感じていた。料理の腕など、間接的になら素直に褒めることが出来る。だが青龍自身のこととなると、途端に口下手になってしまう。口が達者が朱雀や、自分の思いを素直に伝えられる白虎が羨ましい。

「お前が好きだ……直接的すぎるか? いや、あいつにはこれくらいはっきり言った方が……いやしかし……」

 ブツブツと独り言を呟きつつ、玄武は洗面所へと向かうのであった。




 夕餉のカレーを堪能し、洗い物を軽く手伝った後はいよいよ風呂の時間だ。風呂の支度を済ませた玄武は居間でテレビを見ながら青龍を待つ。その傍らには、二匹の蛇……"右近"と"左近"が畳の上で重なり合うように寝そべっている。どうやら、右近と左近は青龍の作ったカレーが甚く気にいったらしい。玄武が一皿をゆっくり味わって食べている横で、次々とおかわりを強請っていた。

「右近、左近。青龍は喜んでいたが、少しは遠慮しろ。危うく白虎の分がなくなるところだったぞ」

 腹をパンパンに膨れ上がらせ、恍惚な表情を浮かべる二匹を窘めていると、居間の引き戸が静かに開いていく。

「お待たせしました。お、お風呂にしましょう……玄武」

 僅かに開いた戸の隙間から、青龍が遠慮がちに顔を覗かせる。やはり、いつもと様子が違う。早く今朝のことを弁明しなければ。と思うが、なかなか言い出すタイミングがない。

「玄武……私が、その……着物を脱いでいる間……向こうを向いてて……貰えます……?」
「……なっ……」

 脱衣所に向かう間、一言も話さなかった青龍からの申し出に玄武は戸惑い言葉を失った。このあばら家での共同生活が始まり、共に湯浴みをするようになってからそんなこと一度もなかった。むしろ、こちらの目も憚らずに堂々と着物を脱いでいたというのに。

「今日は、少し……趣向を変えて湯浴みをしようかと……」
「ただ風呂に入るだけなのに、趣向を変える必要があるのか?」
「良いから! は、早くあっち向いてください! 私が脱ぎ終わるまで、こっち見ないでくださいね」
「あ、ああ……分かった……」

 訳が分からず混乱しながらも、玄武は言われた通り青龍に背を向ける。それを最後に二人の間に沈黙が流れ、聞こえてくるのは互いの息遣いと衣擦れの音だけとなった。
 趣向を変えると言っても、裸になる以外に何がある……?玄武の脳内に、先日酔って絡んできた朱雀が見せてきた春画に写っていた際どい水着姿の女性たちが浮かび上がる。
いやいや! 純粋な青龍があんな破廉恥な格好をする訳がない! だが、ちょっと見てみたい。玄武の煩悩が僅かに首をもたげるが、右拳を頬に打ち込むことでどうにか理性を保った。
 このままでは色々と危険だ。玄武は一刻も早く浴室に逃げ込もうと着物を脱ぎ去り、背を向けたまま青龍に声をかける。

「青龍……先に入ってるぞ」
「あっ、ちょ、ちょっと待っててください。私も、もう終わりますから」
「そう、か……なら、もうそちらを向いても構わないか?」
「…………ど、どうぞ……」

 落ち着け、大丈夫だ。振り返った先に際どい水着を着た青龍はなどいない。意を決して振り向いた玄武の目に、胸元を隠すようにバスタオルを巻きつけ、髪を後ろで一つに結んだ青龍の姿が飛び込んできた。

「さぁ、右近、左近! 今日もしっかり綺麗にしてあげますからね〜! 二人が終わったら、玄武の番ですよ」
「……ああ」

 湯船に浸かる玄武は一人、理性と欲望の狭間で揺れていた。己の半身たる蛇たちを丹念に洗っている青龍が纏うバスタオルの切れ間から覗く太腿、見えそうで見えない胸元、湯と汗に濡れたうなじ、桃色に上気した肌、全てが欲情的だった。
 背中を流して貰っている最中は、心の中で念仏を唱えることで理性を保てたのだが……。共に湯船に入ると、なんと青龍は玄武の胸に凭れ掛かってきた。

「せ、青龍……一体、どうし」
「こ、今夜は、白虎の帰りが……遅いですし……えっと、その……」

 シ、シたい……です……

 消え入りそうなその一言によって、玄武の理性の糸はあっけなくブチ切れたのであった。









 それから数時間後、キャバクラでの初勤務を終え、這々の体で帰路に着いた白虎は信じられない事象に遭遇する。

7人目

クタクタの身体を引き摺りながら帰宅した白虎はガララと横開きの扉を引いた。
「帰ったぞ…」
 開いた玄関とそこから奥に続く廊下の電気はついているが、シーン…と静まり返っている。いつもならパタパタとスリッパの音を響かせながら青龍が顔を出すのに、何か妙だ。
「青龍…玄武、もう寝たのか?」
 そろりそろりと歩みを進める。居間の近くに差し掛かると小さな声が聞こえた。
「…んな、玄武……そんなに私の水着が嫌だったんですか…うっ…うっ…」
「どうしたんだ?玄武?」
 見るとそこには布面積の異様に小さい女物の水着の上からバスタオルを羽織った青龍が座り込み、その膝の上で同じくバスタオルをかけられ、ちんまりと神獣の形態になった玄武が青い顔をして膝の上に丸まっていた。玄武の周囲には2匹の蛇たちが困り顔でうろうろと主を気遣っているように周りを這っている。
「どうした…青龍」
「あっ、白虎…その…今日も風呂に二人で入ったのですが…」
 聞くと、今日は玄武を驚かせてやろうと、朱雀から聞いた男が気に入るという水着を着て風呂に臨んだらしい。しかし、朱雀が部屋から持ってきた水着の面積の小ささに、我に返るとやはり恥ずかしさが勝ってしまい、上からバスタオルを巻いて入っていた。途中蛇たちを洗ってやり、少し慣れてきた青龍は、いつも自分に料理を教えてくれるなど何かにつけて優しい玄武に感謝を込めて、マッサージを申し出をしたというのだ。マッサージといえば、相手の肌に触れる行為でもある。青龍にしては大胆な申し出だということが白虎にも分かった。
 すると、玄武は突然黙り込んでしまった。ただでさえいつもと違う格好をしていることもあり、緊張していた青龍は、無言に耐えかねシャワーを出そうとツマミを捻るもうまく出て来ず、右往左往していたら背後から押し殺したような低い声がした。

「本当にいいのか?とかなんとか…そりゃぁマッサージは身体を触りますから、少し気恥ずかしかったのは事実ですが…シてあげるつもりは満々で…でも突然バスタオルを引っ張られて…水着が見えてしまったので恥ずかしくて…」
「そしてシャワーが掛かったら、玄武が神獣の姿になって蹲ってしまったと…」
「そうです…きっと私の水着姿があまりにも好みに沿わなかったのでしょう…うっ、ショックで死んでしまったのでしょうか…うっうっ…スミマセン、玄武…私にもっと色気があれば…」
「青龍…まさかとは思うが、シャワーは冷水だったんじゃないか?」
「あっ、そういえば…つまみをひねっても出てこなかったので給湯の機械を触りましたが…」
「死んでないわ!それは冬眠だ!!さっさと起こせ!」


「…で、倒れていたと」
「あぁ」
 青龍の機械音痴により先程まで神獣の形態になって小さく丸まっていた玄武は、涼しい顔をして青龍の入れた茶を啜っている。
「青龍、何を微笑んでいるのだ」
「い、いえ…」
 玄武が自分の姿で気を失ったわけではないようだと察した青龍は、安堵と共に元気そうな玄武を見て安心したようだ。先ほどから玄武も青龍も互いの事をちらちらと見ては何かを言わんともぞもぞしている。白虎はその二人の空気を感じ、なんだかとても面倒くさくなった。それに今日は失敗続きの初出勤後ということもあり、酷く疲れている。白虎は居間の二人に、かれーを頂いて寝ることにするからあとの事は頼むと言い残して部屋を後にした。その背中は小さく丸まっていた。

「あの二人はだめだ…やはり、私が頑張るしかない」
 かれーを食し、風呂へと向かう廊下をとぼとぼと歩く白虎は何かを決心したような顔をしていた。




 数日後、白虎は珍しく帰宅した朱雀を前に、苦々しい顔で口を開いた。
「私に接客を教えてくれないだろうか」
 絞り出すように呟いた白虎を珍しそうな顔で朱雀が見つめる。初出勤でグラスをひっくり返し、客から膝頭を触られそうになっただけで、顔面に拳をお見舞いするところだった白虎を思い出す。朱雀と同僚二人のフォローがなければ、客からクレームを入れられていてもおかしくはなかった自分を省みて、クビになるような事態は避けなくてはならないと考えたのだろう。真面目な白虎らしい。本当に自分に頼むのが嫌なのだろう、苦々しく顰められた眉はずっと屈辱にぴくぴくと引き攣っている。
「そんなやる気出してどーしたの?」と少し茶化しながらも朱雀は快諾してやることにした。「じゃ僕の部屋で教えるね〜」とにこにこしながら白虎の手を引いて自分の部屋まで連れて来る。



「なっ、なんだこの部屋は…」
 ガラリと戸を開け、ひょいっと足元に転がった何かしらの瓶を飛び越えて部屋の中に足を踏み入れた朱雀の後ろで白虎が言った。
「え?どーかした?」
 朱雀はくるりと振り向いてこともなげに頭を傾ける。その周りには様々なガラクタが散らばり、床は生活する領域に辛うじて足の踏み場はあるものの、その周りにはどう見ても不必要そうなものがごろごろと転がっている。
「よくこの短期間でこんなに散らかしたな」
「まぁまぁ気にしなさんなって、え~っとここだったっけ~…え~っと、あった!」
 朱雀の手には小さな円盤が握られていた。部屋の寝床に胡坐をかいた朱雀が、その隣をぽんぽんと叩いたので、白虎は溜息を吐きながらそこに座った。
「一本目はホテル~接客と言えばホテルだよね~」
 へらへらと適当なことを口にしながら、朱雀が手元の小さな機械ににその円盤をはめ込み、小さな画面をこちらに向けると、居間にあるテレビのように画面が写った。
「ほう、ここで見ることが出来るのか」
「ポータブルのプレーヤーだよ。あっちゃんちにあったの借りてきちゃった」
 朱雀の発する「借りる」という言葉は限りなく「貰う」に近いのだが、この際それには言及しないでおいた。小さな画面の中ではきちんとした身なりの女性が写っている。ふむふむ、とメモを取りながら見ていると、数人の屈強そうな男たちが入って来た。こんな客が来た時の対処法を教授してくれる映像なのかもしれない。
 男達は心なしか焦ったような表情をしている店員に詰め寄る。だめだろう、そんな顔をしていては舐められる。と白虎は思った。すると男たちの手は女性のスカートの中に入っていくではないか。
「っおい!!!!これは何の接客映像だ!」
「あ、間違ってた~これあっちゃんちからパクって来た爆乳☆三ツ星ホテルシチュエーションプレイものだった~」
 最低なことを聞いてしまった…。と白虎は頭を抱えた。
「こんどは本当!ちゃんと接客のシーンあるやつだからさ~」
「シーン…?」
「うん、最後はまぐわってるね」
 白虎は朱雀に無言で肘鉄を食らわすと、すっくと立ち上がって部屋を去ろうとした。
「ってて…っていうか白虎ちゃん、こういうの知らないの?」
「うっ!」
「晴明はセーラーにしか興味なかったからなぁ、そういうこと教えてくれなかったのかなぁ」
「…こんな下品なものを晴明様が好むわけ…」
「…え?もしかして、白虎ちゃん…そういうことしたことないんじゃぁ…」
「えっ!!そ、そんなわけないだろう!?!?したことある!したことあるとも!」
「ふぅ~ん?…じゃ、僕を相手に手合わせしてみる?」
 にや、と弧を描いた赤い瞳を白虎は負けじと睨み返した。

8人目

 喫茶店のアルバイトへ向かう青龍を送り出し、水仕事で冷えた身体を暖めるべく、玄武が居間の引き戸に手をかけた時だ。朱雀の部屋から、白虎の怒号と大きな物音が聞こえてきた。

「また揉めているのか、あいつらは……」

 しょうがない奴らだ、と玄武は独り言つ。大方、また朱雀が白虎の逆鱗に触れたのだろう。無視を決め込んでも良いが、我を忘れた白虎が部屋の中で雷を放たないとも限らない。このあばら家の持ち主は道満だ。万が一、天井に穴を開けたり、壁や床を焦がそうものなら、道満にどんな嫌味言われるか……。考えただけで頭が痛くなる。
 白虎があばら家を壊す前に仲裁に入った方が得策か、と判断した玄武は朱雀の部屋の前までやって来た。

「もういい!! 貴様を頼った私が馬鹿だった!!」

 廊下まで響く白虎の憤怒の叫びに、戸を叩こうとした手が止まる。中に入るタイミングを逃し、玄武はその場に立ち尽くした。すると、白虎を宥める朱雀の声が微かに聞こえた矢先のこと。壁に何かが激しく打ちつけられた音と共に、目の前の引き戸が開け放たれる。
 髪を解き、素肌に上着を羽織った状態で部屋から出てきた白虎に玄武は言葉を失う。白虎は呆然とする玄武を肩で押しのけ、床を踏み抜かん勢いで自分の部屋へと戻って行く。

「……今度は何をやらかした。朱雀」

 開けっ放しになった部屋の入口から、玄武はため息まじりに問いかけた。壁にぶつかり、ひっくり返っている朱雀が情けない声で助けを求めてきた。


 朱雀を助け起こし、ここで何があったのかを問いただすべく。玄武は朱雀を連れ立って、居間へと場所を移した。

「いやぁ、えらい目にあったよ」

 こたつの上で頬杖をつく朱雀の左頬には、くっきりと手形の跡が残されていた。痛々しい平手打ちの痕跡が白虎の憤りの強さを物語っている。

「どうせ十中八九、お前に否があるのだろう。早く謝ってきたらどうだ」
「えぇ〜? まぁ、少しお節介なこと言っちゃったかなぁとは思うけど。でも、白虎ちゃんが僕に頼み事をしに来たのがそもそもの発端なんだよ?」
「頼み? 白虎が、お前にか?」

 あの白虎が朱雀に頼み事をするなんて。にわかには信じられないが、朱雀はそうだよ、とみかんの皮を剥きながら強く頷いた。

「ほら、白虎ちゃん最近キャバクラで働き始めたでしょ? でも接客が上手く出来なくてさ、それで接客について教えてほしいって僕のところに頼みに来たんだよ。それでね……」

 朱雀はそこで一旦言葉を切り。みかんを一房、口に放り込んでから、部屋で起こった顛末について話し始めた。



「や、やはり無理だ……! この話はなかったことにしてくれ……」
「急にどうしたの? さっきまでやる気満々だったじゃない」
「うるさい、あれは、魔が差しただけだ! 大体、貴様と……ま、まぐわうなど……! 私は、晴明様に操を捧げたんだ……だから……」

 白虎は今しがた脱ぎ捨てた上着を羽織り、沈痛な面持ちで俯いてしまう。蘭丸はジャージの前を寛げたまま、今にも泣き出しそうな白虎の顔を覗き込んだ。長い黒髪がカーテンのようになっていて、表情は伺えない。

「白虎ちゃん。まぐわうって言っても、軽〜く触り合うだけだよ? まだお昼前だし、玄武や青龍だっているし」
「だとしても、無理なものは無理だ……! 私の身体に触れて良いのは、この世でただ一人、晴明様だけだ……」

 自らの肩を強く抱き締め、白虎はわなわなと身体を震わせている。

「一途なのは良いけどさ、この先もずっと一人で自分を慰める続けるつもりなの?」
「……うるさい……」
「どんなに待ってたって、晴明は戻って来ないんだよ?」
「……っ……黙れ……」
「晴明だって、君が辛い思いをしてるところなんて見たくな……」
「うるさい!! 黙れっ!!」

 激しく髪を振り乱しながら、白虎が叫ぶ。蘭丸はどうにか落ち着かせようとするが、興奮状態に陥った白虎に突き飛ばされてしまう。

「いてて……」
「ふざけるな……私が……どんな思いで、今まで……」

 よろよろと立ち上がった白虎は、殺気に満ちた瞳で蘭丸を睨む。転んだ際に強打した腰を擦る蘭丸は、全く怯むことなく真っ直ぐに白虎を見つめる。それが癇に障ったのか、白虎は蘭丸の胸ぐらを掴み上げた。

「白虎ちゃん」
「口を開くな!! 貴様に、貴様なんかに……!! 貴様だけじゃない……玄武にも、青龍にも……誰にも、私の気持ちなど……分かるはずがない……!!」
「分かるよ。僕にはあっちゃんがいるし、玄武と青龍はお互いを大切に想ってる。一人ぼっちで、寂しいんだよね」
「もういい!! 貴様を頼った私が馬鹿だった!!」

 一際声を荒らげて、白虎は踵を返し部屋から出て行こうとする。蘭丸は引き止めようと、慌てて白虎の肩へ手を伸ばす。

「白虎ちゃん待ってよ、ちゃんと僕の話をき……」

 その先の言葉は、白虎が振り向きざまに放った強烈な平手打ちによって遮られてしまう。


「……と、言う訳なんだよね」
「なるほどな。やはり、全面的にお前が悪い」

 事の顛末を聞いた玄武は、有無を言わさず朱雀に否があると断言する。

「僕はただ、白虎ちゃんが前を向けるように背中を押してあげようとしたんだよぉ?」
「余計な世話だな。お前のしたことは、白虎の傷をいたずらに抉っただけだ」
「余計なお世話……か。でもさ、このままじゃダメだって、君も思ってるんでしょ」
「……とにかく、あとで白虎にはしっかり謝っておけ」
「それじゃあさ。傷心の白虎ちゃんのために、ちょっとしたパーティでも開かない?」

 突拍子も無い朱雀の提案に、玄武は呆気に取られて持っていた湯呑みを落としかけた。

9人目

 昼下り、白虎は部屋に突然入ってきた玄武の右近と左近に促され、居間に連れてこられていた。
 パァン!とクラッカーが放たれ、ビックリしている白虎の目の前に朱雀がくす玉の紐を引いた。手作りと思しきカラフルな色の紙吹雪と、何事か書かれた紙がクルクルと上から開かれていく。
「傷心の白虎ちゃんを慰めよう大会〜ぱふぱふ〜」
 パーティハットを被り満面の笑みでタンバリンを鳴らす朱雀と、その横で困りながらも笑顔で鈴を振る青龍、真顔で拍手をする玄武が囲むようにこちらを見ていた。


「おい、コレは何だ…」
 ゴゴゴゴと自身の内部から溶岩でも流れ出してきそうな程の怒りが湧き上がる中、一番まともそうな玄武の胸ぐらを掴む。
「いや、すまん…止めたんだが…」
「チッ」
 片手に雷を宿しそうになった私を見て、青龍がすかさず止めに入る。
「でっ、でも…白虎は晴明様を復活させるってずっと頑張ってきましたから…その、あのはるあきとかいうやつに使役されてからずっと不安定でしたし…その、私達だって心配で…」
「そりゃぁ不安定にもなるだろう…チラ裏で呼び出されたせいか、時折食事の買い物をしようとすると脳裏に『お買い得!もやし10円!』だの『3パックまとめて680円!』だのとご丁寧にその店舗の位置まで合わせて浮かんでくるようになっているのに、恨むなという方が無理だろう」
 思い出すだけでもげんなりと萎れてしまう現象を伝えると、意外だとでも言うように青龍は口を開いた。
「そうですか?でも私はそれで助けられたことも多いので…」
 最近玄武から教えられてめきめきと腕を上げている自分の料理のことを言っているのだろう。いかに安い価格で良質なものを手にするか、日々作戦を練っている青龍を知っていることもあり、しゅんとした青龍に苦言は引っ込んでしまった。
「いいじゃん、節約できて!僕は自分で買い物行かないからあんまり浮かんでこないよ!」
「胸を張って言うことか」
 玄武がピシャリと朱雀に言った。



「では一人目は青龍だ」
「えっと…私はお菓子を作りました…先日焼き芋をしたときの芋が余ってましたし」
「芋ようかんか」
 つやりと光沢を帯びた四角い羊羹が皿に載せられている。目も細かい。きっと裏漉しのやり方を玄武に習ったのだろう。
 ぱくり、と口に運ぶと控えめだが優しい甘さが広がった。わくわくとこちらを見つめる青龍を見返す。
「う、うまいぞ」
「やったー!先日焼き芋をした折に、昔美味しそうに頬張っていたのを思い出しました!あの頃は晴明様も居て…」
「うっ…晴明さまとした焼き芋…温かい炎に当たった刹那の時間…」
 ぶわ、と眼が熱くなる。そんな私を見て三人はあたふたと慌て出した。
「つっ、次は玄武だよ!白虎ちゃん元気出して!」



「俺は歌を歌おう」
「え!?」
「最近カラオケにハマっている」
 仕事探しに出掛けているのかと思ったらそんなことをしていたのか。
 玄武が部屋着のパーカーのフードを被ると、奥から青龍が小さな機械を持ってきた。物置にあったラジカセを持ち出してきたらしい。そこに銀色の円盤を入れようとしたらしい青龍がボタンを押すと、ラジカセからボン!と煙が吹き出し、外れた蓋の隙間から無惨にも黒焦げのバネが飛び出した。
 四人はそれを無言で見つめていたが、玄武は気を取り直したように立ち上がった。
「…仕方がない。アカペラで歌おう」
 ラップを交えたリズミカルな歌だ。耳障りの良い玄武の低音が楽しい気分にさせてくれる。
(玄武、いい声をしている)
 不意に「会えないときもあなたを想う」という歌詞が耳に残ってざわざわと感情がざわめいた。

「どうだ?」
 歌い終わった玄武が白虎の方を見やる。
「…晴明さまの歌詠みは…素晴らしいものだった…うっ、うったまにセーラーと口ずさまれるので私はわからなくて…主のことが分からないなど…従者失格だと…うっうっ」
「あぁぁっ!もう!玄武!だから会えなくて震えるタイプの曲は止めたほうがいいと…!」
「すっ、すまない…」
 青龍から差し出されたちり紙で勢いよく鼻を噛むと、ずいと朱雀が私の前に進み出た。
「えっと、最後は僕だね!白虎ちゃんを喜ばせるってことだからすぐ決まったよ!」


「お前のはいらん」
「まぁまぁ、そんなこと言わないで〜はい」
 朱雀がモゾモゾと動かしていた手をポケットから出すと、そこには小さな花の形を模した赤い飾りが2つ載せられていた。
(耳飾り?)
「これはねぇ、僕が学園の物置に忍び込んでパク…許可を得て貰ってきた、その当時のものだよ!」
「あぁ、こんなデザインあの頃流行っていましたね」
「白虎が持っていたものに似ているな…あれは晴明様がお前にと買ってきたのだったな」

白虎!街に綺麗な耳飾りがあったよ
つけてあげよう
ほら、色の白い君には赤が似合う

 いつか私の白い肌に似合うと褒め、神獣の折のように頭を撫でてくれた主の声が蘇る。
「嬉しい?白虎ちゃん」
「…あ」
 ぽろぽろと温かい涙が袂を濡らした。こんなに温かな気持ちで晴明様を近くに感じたのは久しぶりだった。皆で晴明様の話をしているからかもしれない。
「私は…皆が晴明様を忘れていくような気がして嫌だったんだ…皆新しい生活に馴染み、新しいことに取り組んでいる…私だけが過去を見ているようで」
「白虎ちゃん」
 朱雀が隣に座り、寄り添うように肩を抱いた。
「でもさ、居なくなった者を弔いはしても、悲しみに取り込まれちゃいけないよ。きっと晴明もそれを望んでいない、君には笑っていてほしいはずだ」
 朱雀は伺うようにこちらをちらりと見やる。それを心の奥底では分かっている私は、大人しく聞いていた。
「今日もこんなへなちょこな出し物だし、毎日生活していくのにいっぱいいっぱいでバカみたいかもしれないけどさぁ、こんな思い出も、ないよりはある方がマシだと思わない?僕達はせっかく今一緒にいるんだし、今の君の笑顔を見せてよ」
「そう…だな」
 皆が私のことを考えてくれたのは素直に嬉しかった。涙を拭いて笑顔を見せると、他の三人も笑顔になる。
 和やかな雰囲気が訪れた後、しかしすぐに私はあることを思い出し、朱雀を睨みつけた。
「しかし、お前は別だ朱雀。蘆屋と同衾するなど私が許さん!」
「えぇ!?なんで!?」

 四神荘には賑やかな声が響いていた。

10人目

 朱雀発案による"傷心の白虎ちゃんを慰めよう大会"から、一ヶ月の月日が流れ。島の季節は、すっかり秋から冬へと移り変わった。あと二週間もすれば、世の子供たちや恋人たちが待ち焦がれるクリスマスがやってくる。

「もうじき、クリスマスですか。それが終わるとすぐに年末……月日が経つのは早いですねぇ」

 居間のテレビから流れるバラエティ番組のクリスマス特集を見ながら、青龍がしみじみとした顔で言う。一緒にそれを見ていた白虎は、ほうじ茶を啜りながら頷いた。

「クリスマスといえば、貴様は玄武に何かプレゼントを渡すつもりなのか?」
「えっ!? そ、そそ……それは、あの……その……」
「はっきりしろ。渡すのか渡さないのか」
「わ……渡そうと……思ってま、す……あ、新しい耳飾りを。良さそうな物を、この間仕事終わりに商店街の小物店で見つけたので……それを……」

 顔を赤らめ、もじもじとする青龍を横目で見つつ、白虎はこたつの下でメモ用紙に筆を走らせる。メモを書き終えると、身悶える青龍を居間に残し、白虎は玄武の元へと向かった。



「玄武。じきにクリスマスだが、貴様は青龍に何かプレゼントを渡すのか?」
「何だ、藪から棒に……」

 庭で洗濯物を干している最中だった玄武は、唐突すぎる問いかけに戸惑いを見せる。白虎は良いから早く答えろ、と目で訴えた。

「……渡すつもりだ。この間、耳飾りの留め具が壊れたと言っていたのでな。新しい物を買ってやろうと思っている」

 照れくさそうに頬を掻く玄武に小さく舌を打ち、白虎は袖口から先程のメモ用紙と筆を取り出し、何かを書き記していく。玄武は白虎の不可解な行動に怪訝な顔をする。

「白虎、今の問いには何の意味がある?」
「別に大したことではない。手間を取らせたな」

 白虎は手短に礼を言うと、足早にその場を後にした。

「チッ……あのバカップルめ……! 無駄に以心伝心しおって、腹立たしい!」

 商店街の中を大股で進む白虎は、玄武と青龍の仲睦まじい様に憤慨していた。鼻息荒く二人に対して悪態をついていた白虎だったが、不意にハッとした表情を浮かべて立ち止まる。

「いかん、いかん。今回ばかりは、奴らに腹立てるべきではない」

 がしがしと前髪を掻き上げ、深呼吸をして昂ぶった気を落ち着かせる。

「しかし、なかなか難しいものだな……」

 白虎はクリスマスというイベントを名目にして、自分のために、ささやかな催しを開いてくれた三人へ。感謝の気持ちとして、プレゼントを送ろうと思い立ったのだ。

「耳飾りは候補から外すとして、他に何がある……?」

 いざ考えてみると、何を贈ったら良いのか。まるで検討がつかない。参考までに、玄武と青龍から話を聞いてみたが、却って選択肢を狭めただけだった。
 腕を組み、商店街の天井を仰ぎ見る白虎の視界に、両手に試験管を持った一反木綿が写る。その一反木綿を目で追いながら、白虎はあることを思い出す。

「そういえば朱雀の奴、随分とボロボロな襟巻きをしていたな」

 あまりのボロさに新調しろと苦言を呈したのだが、朱雀はお金がないんだよねぇ〜とへらへら笑っていた。

「青龍も使っていた襟巻きをどこかに落としてきたと、玄武は冬場は右近と左近が布団から出て来ないから、首元が寂しいと言っていた……!」

 これだ! と白虎は道の往来で声を荒らげた。道行く妖怪たちが不審な眼差しを向けてくるが、悦に入っている白虎はそんな視線ものともしない。

「妖怪もたまには役に立つな。そうと決まれば……!」

 渡す品に目処がついた白虎は、居ても立っても居られず。商店街中の呉服店を巡り、プレゼント選びに奮闘するのであった。

11人目

 呉服店を巡る白虎だったが、三人が三人とも似合うもの、と思うと柄や予算と見合うものがなかなか見つからなかった。

「う〜む、さっきの襟巻きは色はいいのだが…柄がどうもなぁ…」

 自分の美意識と相談するとどうしても高級なものに目が行ってしまい、三人分買うなど夢のまた夢だった。

「困った…」

 とぼとぼと歩いていた白虎は手芸店を通り掛かった。店頭では売れ残ったウールの毛糸が安く売られている。

「毛糸…」

 虎としての本能からか、白いころりとした毛糸玉をつんつんとつつき、ついころころと転がして遊んでしまった。
 ぽん!と勢いよく手を出すと毛糸玉はころころとカートから飛び出して地面に落ちる。

「はっいけない私は何を…」

 我に返った白虎は落としてしまった毛糸を急いで拾うと、カートの中に戻した。今まで気付かなかったが、その毛糸の山の中央には可愛らしいカラフルな文字が踊っている。

「なになに…初心者でも安心…手編みマフラー講座…」

 見ると、手芸店の店内には気の良さそうな老婦人が座っている。
 白虎はその老婦人が肩に掛けている手編みと思しき肩掛けの造形の細かさに胸を打たれた。

「なっ、なんて細やかな仕事…!桔梗の花のような模様が美しい…技を磨けばあんなものも編めるようになるというのか…!」

 美しいものが好きな白虎はドキドキと胸が高鳴るのを感じた。あの三人のように自分も新しいことに取り組めば、少しは前向きに過ごせるかもしれない。

「よし…」

 白虎は意を決したように毛糸のカートから、黒、青、赤の毛糸を手に取って腕に抱えた。少し暗めの色が混ざった落ち着いた色合いの毛糸だ。きっとあの三人にもよく似合うだろう、と白虎は自分の審美眼に満足した。そして少し逡巡したが、白の毛糸も一緒に手に取ると、手芸店のドアを押し開いた。

「たのもう!」





 それから二週間後、四人は本日執り行われる予定のクリスマスパーティーの準備をしていた。

「白虎は買い出しが終わったら『私の役目は終わったな、後は頼んだ』と部屋に引きこもってしまったな」

 玄武が右近、左近と一緒にクリスマスツリーを模して青龍が植木鉢に生やした松に、天使や蝋燭の形の小さな飾りを引っ掛けていく。ツリーの飾りは朱雀が店から余っているからと貰ってきたものだ。

「料理は任せたと言われましたが…このくらいで大丈夫でしょうか…」

 キッチンから顔を出した青龍は食卓に並んだ料理を心配そうに見つめる。食卓の上には大皿に盛られたローストビーフにローストチキン、その横には赤いトマトが可愛らしく盛り付けられたサラダに、エビやサーモンが載せられ、いつもの数倍は気合が入っている。今まさにグラタンを焼いているオーブンからはチーズの溶けるいい匂いが漂っていた。

「大丈夫だ、お前の料理の腕はもう一級品だ」

「そ、そんな玄武…」

 ぽぽぽ、と音がしそうなほどに青龍が頬を赤らめた時、玄関の開く音がして、ドカドカと朱雀が帰ってきた。

「たっだいま〜ケーキ買ってきたよ!!あ、僕の焼いたローストチキン良い色でしょ。ほら、僕もよくあっちゃんに焼き鳥屋に売られてるから、美味しそうな焼き加減はよく分かるんだよね〜」

「お前は焼いただけだろう。下味を付けたのは青龍だぞ」

「でも玄武もサラダを手伝ってくれましたし、白虎は肉が好きですからね、準備は大変でした」

 三人は整いつつある宴の会場を満足気に見回した。すると朱雀が何かが足りないような、とでも言いたげに頭を捻る。

「あっちゃんちに忘れ物でもしたかな〜…あ!!!」

「わっ!突然大声を出さないでください」

「どうした?」

 首を竦めた朱雀は申し訳無さそうに片手をそろそろと上げて口を開いた。

「あ、あのさぁ〜僕、クリスマスパーティーの準備でいっぱいいっぱいで…みんなへのプレゼントの準備するの忘れちゃった…ごめん…」

「なっ、朱雀だめですよそんな…!クリスマスなんだからもちろんプレゼントを…………あれ?」

「そっ、そうだぞ今日はクリスマスだろ?プレゼントは準備するのがあたりま…ん?」

 二人とも何事かを思い出すように宙を見つめ、そして顔を見合わせて殆ど同時に慌て出した。

「そっ、そうでした!準備の買い物が終わってから買おうと思っていたのに、次々とやることがあって、結局買えていないのでした!!」

「俺もだ…皆にしゃれこうべのリングを贈ろうと思っていたのに…」

「えっ?えっと…パンクだね…?」

「なっ!魅惑的だろうが!我々の近付くことのできない黄泉の領域…!この方など十萬六十歳の悪魔なんだぞ…!」

「…神としてそれってセーフなのかなぁ…」

「どちらにせよプレゼントはないが…大丈夫だろう。きっと白虎も忘れている。」

 不安な三人の不安は解消されないまま、クリスマスパーティーは開会の時を迎えた。

12人目

 食卓の上に所狭しと並べられた豪勢な料理を囲み。朱雀は麦酒、白虎は日本酒、玄武と青龍はそれぞれ赤と白の葡萄酒が入ったグラスを手に持った。全員に飲み物が行き渡ったことを確認すると、朱雀が乾杯の音頭を買って出た。

「おっほん! ではでは、乾ぱ……」
「ちょっと待て」

 突然の白虎の制止に、グラスを持ったまま朱雀は前につんのめった。朱雀、玄武、青龍の視線が一斉に白虎へと集まる。

「ど、どしたの、白虎ちゃん?」
「出鼻を挫いてしまったことは謝る。実は……その……」

 もじもじと髪を弄る白虎、らしくない行動に三人は顔を見合わせて首を捻る。すると、白虎が徐ろに大きな紙袋を掲げてみせた。

「宴を始める前に……お、お前たちに……渡す物が……ある」

 そう言って、白虎はおずおずと紙袋の中から綺麗なラッピング袋を三つ取り出した。それを見た瞬間、朱雀たちはピシッと石のように固まり、朱雀と青龍は顔を引き攣らせながら目で玄武に訴えかける。

ちょっとちょっと、どうすんの!? 白虎ちゃん、ちゃんとプレゼント用意してるじゃん!! 何が、どうせ忘れている、だよ!!

あ、あわわ……! ど、どうしましょう、玄武……! これでもし、私たち三人揃ってプレゼントの用意を失念していたなんて、白虎に知られたら……!!

お、落ち着け、二人共!! まだ、あれがクリスマスのプレゼントだと決まった訳ではない!!

 白虎がプレゼントを準備しているとは夢にも思っていなかった玄武は、想定外の事態に誰よりも動揺していた。
 そんな彼らの焦りや戸惑いを余所に、白虎は気恥ずかしそうにしながら、ラッピング袋を各々へ手渡していく。開けてみてくれ……と白虎に言われ、三人は恐る恐るラッピング袋のリボンを解いて、中身を確認する。
 中に入っていたのは、毛糸で編まれた襟巻きだった。朱雀の襟巻きは赤色、玄武の襟巻きは黒色、青龍の襟巻きは青色、さらに各々の襟巻きの端には向日葵、猩々木、桜の花が編み込まれており。落ち着いた色合いの襟巻きに、明るく鮮やかな毛糸の花模様が一際目を引いている。
 
「白虎……これは」
「えっ……しかも、これ……ひょっとして……手編み?」
「わ、私たちのために……わざわざ編んでくれたんです?」

 少しばかり形が歪なそれを手に訊ねると、白虎は頬を赤らめ小さく頷いた。見事な手製の襟巻きを持ったまま、サァっと朱雀たちの顔が青褪めていく。

「こ、こういった細やかな作業は、初めてだったから……な。た、多少、形が不格好なのは……大目に見ろ! あと、襟巻きの色と編み込まれた花の種は、私の独断で選んだ……べ、別に深い意味はないぞ!? 変な風に捉えるなよ!」
「びゃ……白虎ちゃん……」
「白虎ぉ……」

 朱雀と青龍は目尻に涙を浮かべながら、わなわなと身体を震わせ、玄武は沈痛な面持ちで俯いた。
 三人の様子がおかしいことに気づいた白虎は、不安げに朱雀たちの顔を見回していく。

「わ、悪かったな、こんな不出来な物しか用意出来なくて! いらないのなら、返せ!」
「う、うわあぁぁぁん! 白虎ちゃぁぁん、ごめんよぉぉぉ!!」
「申し訳ありません、白虎ぉぉぉぉ!」
「どわぁぁ!? な、何だ、突然!! やめろ、引っ付くな! 鼻汁がつくだろうが! ちょ、おい玄武! この馬鹿共をどうにかしろ!」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした朱雀と青龍に抱き着かれ、白虎は一人椅子に鎮座したままの玄武に助けを求める。しかし、玄武は玄武で目頭を押さえ、俯いて嗚咽を漏らしていた。

「……っ……すまん……白虎、我々が愚かだった……」
「貴様まで一体どうしたと言うんだ!? 気味が悪いぞ!! そ、そんなに私のプレゼントが気に食わなかったのか!?」
「ひぐっ……違う……違うよぉ……ぐす……」
「うっ、うぅ……白虎は、ごんな素敵な……プレゼントを……用意じて、くれたど……いうのに……わ、私だちは……!」

 この阿鼻叫喚の地獄絵図な状況に、一人だけ置いてけぼりを食らう白虎に朱雀はありのままを正直に打ち明けた。パーティの準備が思いのほか忙しく、揃いも揃ってクリスマスのプレゼントを用意し損ねていたことを。

「本当にごめんねぇ。失礼な話だけど、どうせ白虎ちゃんもプレゼントのことなんて忘れてる……って話してて……」
「そんな話をしていた手前、お前がプレゼントを出してきたので、ひどく動揺してしまってな……」
「まさか、こんなに手の込んだ物を用意してくれていたなんて、思ってもみなくて……」
「……そういうことか。全く、驚かせおって。大体だな、これは単なるクリスマスのプレゼントではないぞ」

 しゅん……としていた三人は、白虎の言葉に首を傾げる。

「どういうこと?」
「だから、その……あれだ。一月前、貴様らが私のために催し物を開いてくれただろう。これは、その礼の品だ」

 すると、白虎は居ずまいを正し、朱雀たちに向かって深々と頭を下げた。

「皆のおかげで、少しだけ前を向くことが出来た」

 ありがとう、少し震えた声で白虎は感謝の言葉を口にする。顔を上げた白虎の晴れ晴れとした表情を見て、朱雀たちは互いに顔を見合わせて微笑んだ。

「僕らの方こそ、マフラー作ってくれてありがとう」
「貰った襟巻き、大切にしますね」
「ふ、ふん! 勝手にしろ!」

 白虎はぷいっとそっぽを向いてしまったが、その口元は緩んでいる。

「よぉし、白虎ちゃんから素敵なプレゼントも貰ったことだし。そろそろ乾杯しよっか。せっかくのご馳走が冷めちゃうからね! はい、みんなグラスを持った持った!」

 朱雀に急かされるがまま、白虎たちは再びグラスを手に取る。朱雀は一人一人の顔を見回してから、乾杯! と声高に声を上げ、四人はグラスを打ち合わせた。

「しかし、何も乾杯する直前に渡さずとも良かったんじゃないか?」
「す、すまん。あのタイミングを逃したら、渡せなくなると思ってな……」

 サラダを取り分ける玄武に、白虎は申し訳なさそうに弁解する。その隣では、朱雀と青龍はローストビーフの乗った大皿を取り合っていた。

「ちょっと朱雀、お肉を独り占めしないで下さい!」
「あって、ほいひいんはもん!」
「口に物を入れたまま喋るな。白虎、早く食わねば、お前の好物が朱雀に食べつくされるぞ」
「貴様……朱雀!! がめついのは金回りだけにしろ!!」

 多少なりいざこざは起こったものの、パーティは和やかな雰囲気のまま続いた。テーブルの上に用意された料理と酒がほとんど無くなった頃、突然朱雀がある提案をする。

「そうだ! せっかくだからさ、白虎ちゃんから貰ったマフラー巻いて街に出ようよ! んで、僕たちから白虎ちゃんへのクリスマスプレゼントを買おう!」
「はあ!? な、何を言い出すんだ! そんなこと……」
「良いですね、行きましょう! ねっ、玄武!」
「ああ、酔い醒ましにちょうど良い。それに、白虎にだけ何もないのは不公平だからな」
「お金なら心配いらないよ。昨日、酔ったあっちゃんの介抱代として二万円スッてきたから!」
「では、すぐ支度して出かけるとしよう」

 勝手に話を進める三人に、白虎は呆れ果てる。だがその表情は、実に穏やかで喜びに溢れていた。

13人目

 さて、クリスマスも終わってもう年末が近付いてきた。四神達は数日前から四神荘の大掃除にかかっており、昨日やっと終わったところだ。今日は鏡餅を準備するため庭で餅つきをしている。
「ほらほら、熱いよ〜どいて〜」
 大きな鍋の上に重ねられたせいろには餅米が蒸されていた。その一段から布巾に包まれたほかほかの餅米を取り出し、木臼の前で待つ玄武と白虎の方に朱雀がよろよろと歩いていく。寒い空気の中白く甘味を含んだ湯気がほかほかと立ち上る。よいしょ、と臼の中に蒸したてのもち米が放り込まれた。
「あとは任せた!」
「よし、任されよう」
 杵をつく玄武、合いの手で米を回す白虎が臼の周りで声を張り上げる。
「たくさんできそうですねぇ」
 縁側に持ってきた卓袱台では青龍が先程付き上がった餅をころころと丸めていた。
 朱雀は縁側に上がり、出来上がった丸めた餅を脇においてあったきなこと砂糖の混ざったボウルの中に放り込んだ。くぐらせて取り出したものを引き伸ばしながら2つに分け、ぱくりとその一つを口にする。
「ん〜おいし〜♡」
「あっ、こら白虎に怒られますよ!」
 しかしもぐもぐと口を動かす朱雀から、自分の口にきなこ餅のもう半分を押し込められて、青龍は何も言えなくなってしまう。口の中に広がるつきたての餅の旨さといったら!青龍は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「おいしい…」
「でしょ。白虎ちゃんたちにもあげてこよ〜」

 鏡餅、保存用の四角い餅、大きな丸餅、小さな丸餅、たくさんの餅が出来上がった。
「里帰りのとき、近所の神たちにも渡すとしよう」
 そうですね。喜ぶだろう。と青龍と玄武が相づちを打つ。すると白虎はぽそりと小さな声で「…はるあきとかいう奴にも持って行ってやるか」と言った。
 その様子を見た朱雀がニヤニヤしながら口を開く。
「白虎ちゃ〜ん、なんだかんだ言ってはるあきくんにも優しいんだから〜そういうのツンデレって言…」
 朱雀が言い終わらないうちに、白虎が朱雀に向けて開いた掌を握ると、天から雷撃が落ちた。
 約一名黒焦げになったが、かくして新年を迎える準備は整ったのだった。


 さて、烏天狗団が借金のカタに働く女装バーでは梵丸が客席のソファーの汚れを念入りに落としたり、煙草の跡を上から塗り直したりして念入りに大掃除を行っていた。カラン、と戸の開く音がして、制服姿の天丸が入ってくる。
「戻りました」
「おう、お帰り」
「はい、頼まれていた激落ち洗剤」
「ありがとよ、想像以上の汚れで手こずっちまって…」
 厨房を見るとここで働いている白虎がパンツにタートルネックという人間界仕様の服に身を包み、腕まくり姿で額の汗を拭う。
「なかなかの汚れだったが、あとは全体を拭き上げるだけだ」
「助かったよ。こんなに綺麗にできるとは」
「ふふん、私にかかればこんなものだ。しかし、お前も凄いな、私が開けてしまった穴がもう跡形もない」
 この店で働き始めた当時、客席で膝頭を撫でられた際に思わず雷撃が飛び出した。怒りとともに相手に飛びかかろうとした白虎は朱雀に抑えられ、残りの二人がサポートに入り客の機嫌は損なわれずに済んだのだ。しかしその時の衝撃で座っていた座席に拳大の穴が開いていた。梵丸は穴に綿を詰め、上から当て布をして、座面の穴を跡形もなく修理してしまったのだ。
「まぁ、昔から手先は器用なもんで」
「済まなかったな、初めは…その…勝手が分からず…」
 今でもそういった突然の接触は苦手な方だが、そういう客は朱雀達が相手をし、白虎は蘊蓄や教養のある者との会話を楽しむ役どころとしてなんとかここでの仕事を続けている。

「ところでお前達は帰省などするのか?」
二人がドキッと動揺したように見えたが、何故動揺するのか分からず白虎は首を傾げた。
「い、いやぁ俺等は実家とかないからなぁ?天ちゃん」
「そ、そうですね、梵さん」
 実はこの二人、烏天狗団の隊長である朱雀に妖怪にされた身だとは白虎に明かしておらず、蘭丸と同じく「丸」がつくと怪しまれるかもしれないと、源氏名のまま梵子、天子と名乗っていた。お互いを呼ぶときは梵さん、天ちゃん、なのでそれほど不都合はない。

 カラン、と入口の扉が開き、このキャバレー桃園の店主である鬼婆が買い出しを終えて帰ってきた。お通しに使う材料に加えてネギや卵に鶏肉が入っているところを見ると、今日の賄は親子丼のようだ。
「そういやお前さん、採用のときに地元は京都だと言っていたんじゃないかい?年末くらい帰るんだろ?」
「あぁ、帰ろうと思っている」
「じゃぁ、また年が明けて戻ってきたら顔出しな」
 仕事の出来る白虎に優しく声を掛け、鬼婆は店の奥に引っ込んだ。その背中を見送って白虎は二人の方を見た。
「帰省しないなら、お前らはどうするんだ?ずっと家にいるのか?」
 それは有り得ないことだとでも言うかのように白虎は不思議そうに聞いた。
「いやぁ、俺等はここで暫く厄介になるんだ」
「シェアハウスしてるクズ野郎が本当にクズなことをしやがりまして…」
「クズ?」
「我々の一ヶ月分の食費をギャンブルにつぎ込んで、全部パアですよ」
「えっ!?」
「本当に毎度よくやるよな」
「そ、そうか…大変だな。私も似たようなクズを知っているが…ああいうやつは本当に、性根を根こそぎ入れ替えてほしいものだ」
「「確かに」」
 げんなりとした二人の顔と「クズ野郎」という言葉で意図せず朱雀の顔が浮かんだが、そんなはずもないので白虎は急いで奴の顔を記憶から消し去った。



「…ふぇっくち!…誰か噂してる?しっかし梵ちゃんも天ちゃんも厳しいんだから。パチンコでたった一ヶ月分の食費をきれいさっぱりスッただけなのに…」
 そんなことを言いながら、朱雀は四神荘への道を歩いていた。
「まぁ、二人の怒りが収まるまで暫くこっちにいるか。あの二人のごはんはババアが食べさせてくれるんだろうし」
 そしてその時掛かった代金も朱雀の借金に上乗せされるシステムだった。
 カラカラと戸を開け、朱雀は四神荘に帰ってきたが、いつもいるはずの三人も帰省しており誰も居ない。
「あ、そっか。晴明神社と高天原に顔を出すって言ってたからもう出発したんだな。そっか〜暇だな〜」
 古い馴染みの蘆屋道満の家に行こうかとも思ったが、すぐにそれも諦めた。つい二日前にも忍び込んで風呂に勝手に入っていた折に、湯の出が悪くなったので蛇口をコンコンと叩いた。すると熱湯が吹き出して水道管が破裂してしまったのだ。
 あちゃ〜と水飛沫の中呆然と立ち尽くしていたら、背後からぬらりと現れた手に大切な髪の毛をむんずと掴まれた。逃げる間もなく縄を持った手に簀巻きにされた後、口をガムテープで封じられて焼き鳥屋の軒先に吊るされてしまうまでものの3分だった。
 おそらく、今行ってもまだ怒りは収まっていないだろう。

「もう明日は大晦日…えっ、何これ結構高そう」
三人とも中々に人間界での生活を楽しんでいるようで、玄関には小さな置物や掛け軸が飾られている。
 朱雀はそれを徐ろに手に取ると丸めて懐に入れた。見回すと流石神なだけあって目利きがいいらしく、価値の有りそうなものが所々に散見される。
「よーし!僕がきれいに掃除しておいてあげよう!」

14人目

 年末年始を京都の晴明神社と、神の国高天原で過ごした白虎たち。三人はそれぞれ世話になっている勤め先への手土産を持って、百鬼学園島へと戻って来た。
 しかし、久しぶりの帰省だったにも関わらず、白虎たちの顔に笑顔はない。

「はぁ……なんか、島に着いたらドッと疲れが出てきました……」

 四神荘へと向かう道すがら、京都土産の八ツ橋が入った紙袋を胸に抱えた青龍が気怠げに言う。青龍の数歩先を歩く白虎と玄武も、疲れ果てた表情で青龍の言葉に頷いた。
 帰省の際に持参した餅の評判は上々だった。自分たちがついた餅を囲み。久しく顔を合わせていなかった馴染みの神々と、他愛のない話で盛り上がっていた時だった。
 突然、白虎たちの目の前に、高天原の最高神が姿を現したのだ。

「それにしても、帰省するなり説教を受けることになるとはな……」
「仕方がないだろう。我々は揃いも揃って、妖怪如きに不覚を取り。一時的とはいえ、京都の結界を破ってしまったんだぞ。説教だけで済んだことに感謝するべきだろ……」
「でも、いくら私たちに非があるとはいえ、あんなにネチネチネチネチと小一時間も小言を言わなくてよくありません? 絶対に京都での失態だけが原因じゃありませんよ、あれは」

 最高神から説教を受ける羽目になった原因、心当たりはあるにはある。恐らく、京都を守護する神獣ともあろう者たちが、妖怪が暮らす島で妖怪と馴れ合っているのが気に食わないのだろう。
 時折、朱雀との関係も言及してきたので、どうやら朱雀との関係が良好になりつつあることも、最高神たちはお見通しらしい。その後もしばらく続いた重箱の隅を突くような叱責は、玄武の機転によって終わりを迎えることが出来た。自分たちよりも高位な神々を前にして、すっかり萎縮してしまった白虎と青龍を庇うように、玄武が最高神たちの前に立ち塞がり。島での暮らしは、蘆屋道満、元朱雀こと烏丸蘭丸を始めとした妖怪たち、並びに京都の結界に穴を開ける要因となった安倍晴明(はるあき)の監視が目的だと告げたのだ。

「あの時の玄武、凄く格好良かったですよ! 最高神相手に一歩も引かないなんて!」
「確かに、あそこで貴様が声を上げてくれなければ。もっと長引いていたことだろうな」
「せっかくの正月を説教で終わらせたくなかったからな。とはいえ、あんな取ってつけたような話……恐らく最高神たちは信じてはいないだろう」
「そんなのどうでも良いんですよ。玄武のおかげでお説教から解放されたんですから!」

 青龍は頬を赤らめながら玄武の腕に抱き着いた。玄武は歩きにくいぞ、と言うが。顔は綻び、愛おしげに青龍を見つめている。白虎はそんな二人を横目に、ふうっと息をつく。しかし以前のように、露骨に嫌悪感を示すことはなかった。

「とにかく、今は一刻も早く。あの古ぼけたあばら家に帰るとしよう」
「ですね……早く家に帰って、こたつでまったりしましょう」

 口を揃えて早く帰ろうと言う白虎と青龍を見て、玄武は思わず吹き出してしまう。

「ど、どうしたんですか、玄武」
「そんなにおかしなことを言ったか?」
「いや。我々が本来帰る場所は、京都の晴明神社のはずなのに。いつの間にか、この島……あのあばら家に帰ることが当たり前になっている……と思ってな」

 玄武の言葉に、白虎たちはハッとする。ひょんなことから始まった四神荘での生活、初めの頃は慣れないあばら家での暮らしに戸惑い、難色を示したものだが。

「言われてみれば。私たち、普通なら京都にいなくてはならないんですよね。でも…、あの、こんなこと言ったら、怒られるかもしれないんですが……」

 青龍はちらりと白虎の様子を伺うと、おずおずと話を続けた。

「実は……晴明神社で暮らしてた頃より、今の四神荘での暮らしの方が……居心地が良いんです……よね」
「居心地が良い?」
「す、すみません……。個人的な感情なので、白虎は怒るかもしれませんが……私は、あの家が好きですよ? というか、大好きです! 玄武や白虎も、そうだと嬉しいです」

 素直で純粋な青龍の思いは、白虎と玄武の心に優しく染みわたっていく。いつしか四神荘は、かけがえのない自分たちの居場所となっていたのだ。

「はっ! わ、私……勝手に一人で盛り上がって……も、申し訳ない……」
「いや、私たちもお前と同じ気持ちだ。なあ、白虎」
「むっ……。ま、まぁ、確かに……青龍の言う通り、あそこの暮らしも悪くは……ないな」
「玄武……! 白虎……!」
「だが忘れるなよ!? 我々の実家は、京都の晴明神社だからな!!」
「わ、分かってますってばぁ〜!」

 三人が歩き慣れた道を和気あいあいと進んでいくと、懐かしき四神荘が見えてきた。すると、青龍が白虎に向かって、「家まで競争しましょう!」と言って駆け出していく。白虎は走り去る青龍の背中に向けて「な、貴様……! 卑怯だぞ!」と叫びながら走り出す。玄武は子供のような二人に「転ぶなよ」と声をかけた。




 数分後、家中の骨董品や調度品が綺麗に無くなっていることに激怒した三人は、持てる人脈をフル活用し。憎き盗っ人烏の捜索に乗り出すのであった。

15人目

「…で、こんなとこで隠れてるってわけですか」
「そうだよ〜!みんな怖いんだけど!…というわけで暫く匿って♡」
 年末年始顔を出さなかったな、とせいせいしていたというのに。道満は今年に入って二回目のため息をついた。

 年も明けて数日が経った本日、そろそろ初打ちに行こうと箪笥を開いた。大物のコートや上着がかけてある箪笥の引き出しの中では比較的大きなスペースに、しかし成人男性としてはまぁまぁの容積を有しているはずの蘭丸…こと朱雀がちんまりと収まっていたのだ。「よっ!あっちゃん、あけおめ!」と笑顔で呼びかけられた道満は、はぁ~と聞こえるように今年初めてのため息をついた。十分程前の出来事だというのにもう数十年間は会わなくても問題がないと思うくらいには胸焼けした。千年の縁というものは時として親類などよりも重くて濃い。

「…電話電話と」
―プルルル…
「あ、いつもお世話になっております。えぇ、丸鶏を一羽持ち込みで…」
 がちゃん、という音と共に黒電話の上部が朱雀の手で押さえられる。電話口の焼き鳥屋の店主は、あぁ、いつものことかと思っているに違いない。
「久しぶりに顔見てからものの十分で売ろうとしないでくれる」
「秒より良いでしょう。それに、話を聞いたところ全面的にあなたが悪いと思いますが」
 懐に手を差し入れて取り出した煙草に火を点けると、朱雀は小さなスペースに収まっていた身体を解す様に大きく背伸びをしてから、我が物顔で道満の手からするりとその一本を掠め取った。
「まぁまぁ僕がこういうことするってことくらいみんな分かってくれてるっしょ〜…ところであっちゃん、あれなぁに?」
 ふー、と二人共煙を吐きながらお互いを横目でちらりと見る。
「何のことです?あぁ、あの物置にある拷問器具ですか?アイアン・メイデン?いい加減悪事ばかりを働くあなたを閉じ込めようと思っていて…」
「そんなものあるの!?違う違う!四神荘の物置にさ、ある古めかしい鏡台だよ」
「鏡台?」
「もう!ま〜たしらばっくれる〜!!」
 朱雀はぷぅと頬を膨らませて不満があると主張するように両手を握ったまま上下に動かした。
「この前白虎ちゃん達の良い感じのものを物色してる時に物置で見つけたんだよ~あそこ、あっちゃんの持ち物でしょ?君が知らないわけないじゃん~」
 問い質すも知らぬ存ぜぬを決め込む道満に、朱雀の顔はみるみるうちに悲劇のヒロインばりのそれになった。
「僕のこといつも愚痴を聞かせるためだけに呼びつけるくせに…!百鬼学園の一番偉い人に万札一枚ぽっちで呼び出されてあれやこれや言うに言われぬことをさせられるって顔隠してなんかそれっぽい動画をえすえぬえすに流してやる…!」
「貴方そんなことできましたっけ?」
「ウチにはそういうのに強いのもいるもんね〜早速妖怪アダルトサイトに…百鬼学園学園長ものかげで教え子とあんなことやこんなことを…!?…この前あっちゃんがノリ良かったときの制服プレイ動画が確かここに…あれぇ?どこ?今度重賞だからって馬の写真ばっか撮らないでよ!!」
 どこからともなく取り出したスマホをたしたしと弄りながら憤慨する朱雀の手元を見て、道満は驚いてそれを奪い返した。
「あっ、お前それ私のスマホ!返しなさい!」
 がバッとスマホを手元に取り戻して、たしたし、と開かれていたファイルを消しながら、道満は苦々し気に呟いた。
「…嘘だとしても風評被害甚だしいのでやめてくれません?はぁ…当事者には言うなと言われていたのですが…はるあきくんですよ」
「はるあきくん?」
「あの鏡台は当時のレプリカをかなり昔に買っていた至って普通のものなのですが…」

 話を聞くと、かの有名陰陽師の末裔である安倍晴明は少し前に枕返しに取り憑かれたことがあり、それからその枕返しと仲良くなったらしい。枕返しは取りついた人に夢を見せて生気を吸い取るものの、そいつはは必要最低限しか生気を吸い取ることはなく、円満な関係を築いていた。しかし幾度となくセーラー服に関する夢を見せられ続けた哀れな枕返しくんは流石にその夢を食べ飽きたらしく、最近は悪さはしないから他の人の夢も食べたい、としおらしくお願いしてくるようになったというのだ。
 そして、晴明は今回その枕返しくんにお願いをして、四神荘の鏡に住み着いてもらったらしい。四神荘での慣れない暮らしに戸惑い嫌気が差したときでも、見たい夢が見られるという少しばかりのエンタメ要素が幾許かの気分転換になればいい、と思っていたようだ。

「…というわけです。強く念じれば、思い主の見たい夢が見られるようですよ」
「えっ!?じゃぁ僕がカジノで馬鹿勝ちして大金持ちになって酒池肉林で豪遊する夢を…」
「エッチなもの、金銭に関するもの、ギャンブルに関するものは事務所NGだそうです」
 食い気味に注意事項を述べられた朱雀は口をとがらせて「ちえ〜」と言った。
「まぁ、色々思うところもありますが…はるあきくんなりに、あの方達にここでの生活を楽しんでもらいたい一心だったようですし…以前悪さをした妖怪ではありますが、特例であの家屋への出入りを許可しました。うろつけないように、鏡の中に私の術で縛り付けてありますし、晴明くんの想いを優先してあげたかったので…」
 普段から自分の子供のように教師たちを見守る道満の少し大人びた笑顔に、朱雀も仄かに胸の奥が温かくなった。
「それにしても面白いな〜はるあきくん!俄然烏天狗団に入ってほしくなってきちゃった」


 さて、そのようなことがあった後、朱雀はそろそろ怒りも収まった頃だろうと踏んで四神荘に戻ってきた。夕飯時の家からは出汁の匂いが漂っている。
「ただいま〜!」
 バタバタバタと家の奥から息を切らしながら白虎が玄関に走ってきた。白虎は朱雀に対して普段はつっけんどんにする割に、大抵後で青龍や玄武に聞くと、一番心配していたのは白虎だと口を揃えることが多い。自身が弱っているときなど、朱雀に色々と助けられていることもあるからかもしれない。
「お前…よくものこのこと帰って来れたな…」
「あはは、お出迎えありがとう♡まぁ、細かいことはいいじゃん!今日はみんなにニュースを持ってきましたっ!」
 えっへん、と胸を張るも、後から出てきた二人を加えた三人が三人とも隠しもせずに疑わしげな視線を向ける。そんなことは全く気にせずに、朱雀は続けた。
「あのね、物置にある鏡、知ってる?」


「これは…晴明様の鏡?」
「のレプリカらしいよ。あっちゃんが似たものを昔買ってたんだって、なんでも願いが叶う鏡らしい」
「願い?」
 今度は三人が三人とも何事かをむむむ…と考えた後へら、と崩れた顔になる。白虎がそれに気付きこほん、と咳払いをした。
「ま、まぁ願いなどはどうでも良いではないか。それにしても紛い物とはいえとてもよく似ているな…。よし、ちょうど身なりを整える大きめの姿見が共用部に欲しかったんだ。日の当たる居間に出して…よく磨き上げて花も活けて…そうだ、そろそろ春が近い、梅に、桜…晴明さまはお好きだったからな」
 鏡を見ながら今は亡き主にしていたように微笑む白虎を見て、青龍、玄武も笑顔になった。
 四神荘にももうすぐ、春が来る。

16人目

 物置部屋から運び出された鏡台は協議の結果、床の間に安置されることとなった。以前までそこに飾られていた掛軸や壺などの骨董品は、全て朱雀に売り払われてしまったので。殺風景になってしまった床の間に飾るのがちょうど良い、という話になったのだ。
 当時の物ではないし、枕返しという妖怪が道満の術により封じ込められている鏡ではあるが。晴明に関わりのある品が、今自分たちに目の前に存在している。白虎は喜びや懐かしさ、切なさと寂しさが入り交じった顔で、そっと指先で鏡台をなぞった。

「白虎……それはいくらなんでも、やり過ぎなのでは?」

 熱心に鏡台の手入れをしている白虎に、青龍は当惑した表情で声をかけた。布巾で鏡面を磨いていた白虎は、眉を吊り上げて青龍を睨みつける。

「何だ、私の手入れに文句でもあるのか? 模造品とはいえ、晴明様に縁のある代物だ。丁重に扱って当然だろう」
「それは、そう……なんですけど……えっと、何というか……それだと……何か、んぅぅ……」

 青龍は長い服の袖で口元を隠し、言葉を濁す。しどろもどろな態度に苛立ち、白虎はズンズンと青龍に詰め寄っていく。

「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
「だ、だって! はっきり言ったら言ったで、白虎怒るじゃないですか!」
「……何だと……?」

 バチバチと掌から雷を放ちながら凄む白虎、青龍は小さく悲鳴を上げて後退る。すると、青龍の背後から朱雀がひょこっと顔を覗かせた。

「白虎ちゃん。それだと鏡台じゃなくて、仏壇みたいだよ?」
「な!? 貴様の目は節穴か!? これのどこが仏壇だと言うのだ!」
「いやだって……ねぇ?」

 朱雀が同意を求めるように青龍へ視線を送ると、朱雀の背中に身を隠した青龍は首を激しく上下に振る。二人の反応に、わなわなと拳を震わせる白虎だったが。改めて、自分が手入れをして飾り付けた鏡台へ目をやった。
 鏡台の両端には、春に咲く色鮮やかな花々を活けた花瓶か置かれ。鏡面の前には、晴明が生前好んでいた煎餅やおかき。そして、白虎直筆の晴明の似顔絵が額縁に入れられた状態で供えられている。

「これのどこに問題があると言うのだ!」
「いやいやいや……問題ありまくりだから。どこからどう見ても仏壇にしか見えないよ、それ」
「不本意ですが……私も朱雀と同意見です」
「き、貴様らぁぁぁ!」

 唸り声を上げ、牙を剥き出しにする白虎が二人に飛びかかろうとした瞬間、ガラリと居間の引き戸が開く。

「白虎、頼まれていたクリーナーを買ってき……どうした」

 凄まじい殺気と怒気を放つ白虎を見ても、玄武は表情一つ変えずに部屋の中へと入って来る。玄武が怯える朱雀と青龍に歩み寄ると、青龍はすぐさま玄武の背中に逃げ込んだ。朱雀はちょっぴり傷ついた顔をしながら、床の間に置かれた鏡台を指差した。

「ねぇ玄武、これどう思う?」
「んっ?」
「こいつら!! 私が飾った鏡台を、仏壇などとほざきおったのだ!!」
「も、申し訳ないとは思ってますよ! でも、絵の入った額縁やお菓子置いたり。お花を活けた花瓶まであったら仏壇にしか見えないじゃないですか!」
「そうだよぉ。これに関しては僕らは悪くないよ」
「まだ言うか、貴様ら!! 玄武、貴様にはどう見える!!」
「落ち着け。白虎、率直に言わせてもらうが……私もこれは仏壇に見えるぞ」

 最後の砦であった玄武にまではっきりと仏壇、と言い放たれてしまい。白虎はがっくりと肩を落とし、その場に崩れ落ちた。



「白虎ちゃ〜ん……そろそろ機嫌直してよぉ」
「ほら、茶を淹れたぞ。どら焼きもあるから食べろ」
「……うるさい……話しかけるな……」

 自分が一生懸命飾り付けをした鏡台を三人に仏壇と言われた白虎はすっかり臍を曲げ、部屋の隅に引き籠もってしまった。流石に気の毒になったので、鏡台はしばらくそのままにしておくことになった。

「でも、本当なんですかね? 夢の中で願いを叶えてくれるなんて……」

 鏡台を横目に、青龍は玄武が買い出しついでに買ってきたどら焼きを囓る。

「確かに、俄には信じられない話だな。そもそも、夢は目覚めた瞬間に忘れてしまうことが多いからな」
「ん〜、僕はそんなに良い夢見た覚えないけどなぁ……」
「私もです。覚えていないだけかもしれませんが」
「夢かぁ……。ねぇ、白虎ちゃんはどんな夢を見てみたい? やっぱり晴明に逢えますように、ってお願いする?」

 朱雀が部屋の隅で体育座りをする白虎に訊ねると、白虎は朱雀を一睨みしてからおずおずと口を開いた。

「もし本当に、どんな願いでも叶うと言うのなら……私は……」





 "幼き日の、晴明様に逢ってみたい……"





 夕餉を済ませ、先に風呂を貰った白虎はバスタオルで濡れた髪の水気を拭き取りながら、居間へと足を運んだ。
 朱雀たちに散々仏壇と言われた鏡台の前まで来ると、白虎は昼間自らが口にした願いを思い出し、深く重いため息を吐く。何故あんなことを願ったのか、白虎自身も分からなかった。

「馬鹿だな、私は……叶う訳がないだろう。我々は、晴明様の幼き姿など……知らないのだから……」

 そう吐き捨てるように呟き、白虎は踵を返して居間を後をする。白虎が後ろ手に戸を閉めた時、床の間の鏡台が僅かに光を放った。





 翌朝、目覚めた白虎は天井を見つめながら、「やっぱりな……」と独り言つ。床につく前、強く強く願ったにも関わらず、幼い晴明の夢を見ることはなかった。

「何をがっかりしている……分かっていたことだろう。大体、妖怪如きに神の願いが叶えられてたまるもの……か……」

 ゴロンと寝返りを打った白虎は、隣で眠る他者の存在に気づき、言葉尻が小さくなる。丸まった姿で規則正しい寝息を立てているのは、五歳前後の幼い少年だった。穏やかな表情で寝入る少年の顔立ちに、白虎はある人の面影を見て言葉を失う。 




 その少年が、安倍晴明公に瓜二つだったからだ……。

17人目

(私の落雷を受けた人間はおそらくこういう状況になっているんだろうな)

 どこか遠くにいる冷静な自分が独り言ちているのが聞こえる。
 頭の中は真っ白だが、状況を把握せねばなるまい。枕返しなのだから夢に現れるのだとばかり思っていたが。

 白虎は精一杯の勇気を出して頬を抓ってみた。古から伝わりし夢と現実を見分ける方法だが、やはり痛みを感じる。ここは現実だ。

(落ち着け、落ち着くんだ白虎…)

 固まったまま白虎はそっと子供を起こさぬようにまずは寝床から出ようと身を起こした。この子供がどういう存在かは分からないが、だからこそまずは身なりを整えなくては落ち着くものも落ち着かない。

 しかし憐れにも白虎が身を起こすより先に、小さな子供は眉を寄せ「ん…」と小さな声を漏らした。
 目を開けた子供は益々亡き晴明公そのものだと感じられた。状況に混乱している白虎ではあるが、目頭が熱くなるのを禁じ得ない。

「あれ?乳母…は…?おねえちゃんだれ…?」

「えっ、あっ…」

 感極まっていた白虎は、何と答えたものか戸惑った。幼き日の晴明ならば自分達と過ごしていないので覚えていないのも当たり前ではあるが、こちらには並々ならぬ思い入れがあるにも関わらずあちらは覚えていないという状況は少しばかり物悲しく感じられた。
 それに、まだこの子供が枕返しそのものであり、こちらを弄んでいるという可能性も捨てきれない。手放しでこの子供を歓迎することも出来なかった。

(この子は過去の晴明様なのか…?枕返しの産み出した幻覚、それとも…。しかし容姿で私を女性だと勘違いしているが…さて何と言ったものか…)

 白虎があれやこれやと処理できない情報を整理している間に、晴明に似た子供は徐ろに近寄ってきた。白虎が気付く様子はない。

「え…」
「あ、男だ」

 布のバサァッという音とともに盛大に着物が捲り上がる。
 少し春に差し掛かりつつある暖かな空気は白虎の寝間着を優しくはためかせ、イタズラをした子供特有の満面の笑みを浮かべた小さな晴明公は、寝間着の下には下着をつけていない白虎の股下を、春風と共に潜り抜けていった。
 小さな子供はきゃはははっと可愛らしい笑い声を上げながら廊下へ逃げていく。

 その一瞬後、白虎の悲鳴にも似た声が四神荘に響き渡り、他の部屋からバタバタと足音が近付いてくる。


 ガラッと扉を開いたのは玄武だ。

「どうした!?何があった白虎…そんな格好で項垂れて…」

 廊下の奥からは青龍のヒステリックな声が聞こえてくる。

「なっ、何ですかこの子!!」

 走ってきた子供にタックルされ、そのまま寝巻きの帯を引っ張られている青龍が、ずるずると子供を引き摺りながら白虎の部屋の方へやって来た。

「ありゃ〜こんなことになっちゃうなんてね〜」

 寝ぼけ眼で欠伸をしながら朱雀がゆっくりと歩んでくる。
 集まった四人の顔をぐうるりと見回して、小さな晴明公は楽しそうに言った。

「お兄ちゃん達、だあれ?」

 かくして四神は白虎の願いから生まれたこの状況に対峙したのであった。





「なるほど…朝起きたらこの子供が一緒に寝ていたと」

「あぁ、確かに願いは…した。しかし、夢を見られる程度のものだろうと…まさか、こんな…実体を持って現れるなんて…」

 玄武の提案で一度身なりを整えてから居間に集合しよう、ということになり、今は全員で居間の卓袱台を囲んでいる。小さな晴明公はにこにこしながら白虎の膝の上に座っていた。

「しかし可愛いですねぇ、幼い晴明様は」

 全員分のお茶を淹れた青龍は、湯呑を並べながら眦を下げる。小さな晴明公の前には可愛らしいあられの入った小皿も置かれた。

「う~ん、でもこの状況、どうすればいいんだろうね?」

 いつもあっけらかんとした朱雀は珍しく神妙な表情を浮かべていた。玄武が茶を啜って先を促す。

「どういうことだ、朱雀」

「この子、小さい頃の晴明だとして、このままずっと育てて良いわけじゃないだろ?枕返しだったとしても同じだ」

「せ、晴明様だったなら、私は成人されるまでずっと育てても…!!」

「白虎」

 玄武が嗜めるように声を掛ける。

「だってさ、この子は、少なくとも妖怪が生み出したものに変わりはないだろう?長いことそのままにしておいて良いことになるとは限らない…寧ろ悪いことが起こる可能性のほうが高いと僕は思う。君の生命力が損なわれるかも…それに、妖怪や得体の知れないものを好んで傍に置いていること、神の上の方も黙ってはいないんじゃないのかな?」

「うっ…妖怪のお前に言われると重みがあるな」

 むむむ、と四人の男たちは暫し黙り込んでいたが、玄武が思いついたように口を開いた。

「うむ、この子に聞いてみるのはどうだろう。晴明様だとしても、妖怪だとしても、思い主の白虎にどうにもできないなら、この子に解決の糸口があるのではないか?」

 たしかに、と他の三人も頷いてにこにことアラレを口に運ぶ小さな晴明公を見る。白虎が膝に座った子供に優しく声を掛けた。

「なぁ、お前は何がしたいんだ?何か、私達にしてほしいことは、あるか?」

「ん~」と小さい晴明に似た子供は少し考えてから、明るく声を上げた。

「一緒に遊んで」

18人目

「ねぇーー!! もっと遊んでよーー!!」

 春の陽光が降り注ぐ四神荘に、快活な子供の声が響き渡る。安倍晴明公に瓜二つな外見をした子供は、プクッと両頬を膨らませ、居間の畳に倒れ込む青龍の背中に飛び乗った。青龍だけでなく、他の三人も髪や服が乱れた状態で畳の上に倒れている。

「僕もっと遊びたい!!」
「か、勘弁してください……ちょっと……休……け、い」
「やぁぁだぁぁぁ!!」
「痛ッ、痛い! こ、腰が……腰に響くから……飛び跳ねないで……」

 幼い晴明はブンブンと頭を振って、激しく青龍の背を揺さぶった。もうかれこれ三時間近く遊び続けているというのに、晴明には疲れの色が全く見えない。それどころか、屍と化した四神たちの背に飛び乗っては、まだ遊ぶ! と大騒ぎしながらせがんでくる。
 誰か何とかしてくれ……。言葉に出さずとも、思うことは皆同じ。一体、あと何時間付き合えば満足するのだろう。

「白虎ちゃん……どうにかしてよぉ……」
「私に……どうしろと、いうのだ……」
「とにかく……早く大人しくさせねば、我々の体力がもたんぞ……」
「ああ!! ちょ、ちょっと、角を掴まないでください!! やっと元の長さに戻ってきたんですから!!」
「遊んでくれなきゃ、この角取っちゃうよ!」
「や、やめてぇぇぇ〜!!」

 反応が大げさで面白いのか、晴明は青龍にばかり執拗に絡んでいる。青龍の尊い犠牲により、白虎たちはようやく一息つくことが出来た。三人はフラフラと起き上がると、青龍の背に跨り、角を掴んで楽しそうに笑う晴明を見つめながら考えを巡らす。

「実体化している……ということは、食事や風呂の世話も必要だろうな」
「ん〜、どうなんだろ。そもそも、この子ってどのくらいの間実体化していられるのかな?」
「それは分からないが、食事や風呂の世話が必要だというのなら、私は喜んで世話をするぞ!」
「張り切るのは良いけどさぁ。子供の世話って色々と大変だよ? 白虎ちゃんに出来るかな」
「なっ!? 貴様こそ、子供の世話などしたことないだろうが!!」

 知ったような口振りで肩を竦める朱雀に、白虎は気色ばんで反論する。すると、朱雀は何かを言いかけて口を噤んだ。

 こいつ、また何かを隠している……。

 問い詰めようと身を乗り出す白虎だったが、不意に着物の袖を引っ張られて動きが止まる。振り返ると、先程まであんなにはしゃぎ回っていた晴明が腹を押さえて俯いている。白虎は慌てて側に寄り添い、切羽詰まった様子で声をかけた。

「ど、どうした? 腹が痛いのか?」
「……お腹……すいた……」

 晴明は白虎の顔を見つめて、ぽつりと呟いた。その一言で、朝餉を食べ損ねていたことを思い出す。同時に、誰かの腹の虫が盛大に鳴った。

「そういえば、朝ごはん食べてなかったね」
「仕方ない。昨日の残り物で簡単に済ませよう。今日の飯当番は青龍だが、あの様子では無理そうだな。私が代わりに朝餉を用意しよう」
「す、すみません……玄武……こ、腰が痛くて、起き上がれなくて……」
「気にするな。お前は少し休んでいろ。白虎、朱雀、朝餉の支度が出来るまで、その子の面倒は頼んだぞ」

 未だ畳に倒れ伏したまま、申し訳なさそうな声で玄武に謝罪する青龍の顔は何故か赤い。耳まで真っ赤に染めた青龍と彼の身体をそれとなく労る玄武の様子を見て、朱雀は察しがついた。

「あれ? もしかして、君たち昨日お楽しみだっt」

 言い終わる前に、朱雀の脳天に玄武の右拳が振り下ろされる。頭を押さえて悶える朱雀の首根っこを掴み、玄武はそのまま朱雀を引きずっていく。

「そうかそうか、朝餉の支度を手伝ってくれるか。お前にしては殊勝な心がけだな、朱雀」
「えっ!? 僕そんなこと言ってな」
「何か言ったか?」
「な、何でもございません……」

 玄武が凄みながら固く拳を握ると、朱雀はすぐに大人しくなった。



「ねぇねぇ。お楽しみって、なぁに?」
「お前はまだ知らなくて良いことだぞ。なあ、青龍……」

 玄武と朱雀が部屋を出てすぐ、興味津々に訊ねてくる晴明にそう言って誤魔化す。ついでにバツが悪そうに縮こまっている青龍に冷ややかな視線を送る。先程よりもさらに顔を赤くしているのが、遠目からでもよく分かる。

「今、玄武が朝餉の用意をしているからな。少しの間、良い子で待っていられるか?」
「うん! 良い子にしてる!」

 元気よく返事をすると、晴明は円卓の周りに敷かれた座布団の上ではなく、白虎の膝の上にちょこんと座った。

「座布団の方が座り心地が良いだろう。そっちに座ったらどうだ?」
「ここが良いの!」
「そ、そうか」

 自分に身体を預けて甘えてくる晴明が、可愛くて仕方ない。白虎はデレっと顔を緩ませて、小さな頭を優しく慈しむように撫でる。
 最早、この子が何者であろうと関係ない。たとえ己の生命が対価となっても、晴明を育てていく。白虎は一人、決意を固めていた。


 十五分後、玄武と朱雀が皿に山盛りになった握り飯と卵焼き、昨夜の残り物を手に居間へと戻ってきた。
 晴明は初めて見る握り飯に少し戸惑っていたが、一口食べた途端、みるみる瞳を輝かせ猛烈な勢いで握り飯にかぶりついた。

「なにこれ! すごい美味しい! いつも食べてるご飯より固くない! あと、この黄色いのも! 甘くって美味しい!」
「こら、そんなに慌てて食べると喉に詰まらせるぞ!」
「あの時代に貴族たちが食べてたお米って、固いか柔らかいかのどっちかだったもんねぇ」
「それにしても、すごい食欲ですね」
「ああ、よほど腹が空いていたんだな」

 口いっぱいに食べ物を頬張る晴明を和やかに見守る白虎たちだったが、卓袱台の上に置かれた握り飯に手を伸ばす晴明が放った言葉に凍りつく。

「これ食べたら、また遊んでね! 僕、今度は蹴鞠がしたい!」

 あまりに無垢な笑顔、こんな顔をされてしまったら断るなんて出来る訳がない。四人は引き攣った笑いで応えながら、明日筋肉痛にならないことを切に願うのだった。
 しかし、その心配は杞憂に終わった。
 大量にあった握り飯をほぼ一人で平らげた晴明は、食事が終わると白虎の腕の中で舟を漕ぎ始めたのだ。腹が膨れて眠気が襲ってきたのだろう。晴明はあっという間に眠り込んでしまった。

「布団に寝かせるか?」
「いや、このまま抱いていたい」
「でも、これからどうするんです? この子に敵意がないのは分かりましたけど、このまま一緒にいて良いものか」
「それについて、私から皆に話がある」

 眠る晴明の頬を撫でながら、白虎は自らの決意と覚悟を朱雀たちに告げた。自分の生命が糧にされようとも、幼い晴明が現世にいる限り、大切に守り育てていくことを。

「白虎ちゃん、本気なの? 君の生命は軽いものじゃないよ。君が死んだら、京都の結界に穴を開けることになる。京都の人々を妖怪の脅威に晒してしまうかもしれない。その覚悟が、本当にある?」
「……ああ、覚悟は出来ている」

 確固たる意志を宿した白虎の瞳を見た朱雀は、ゆっくり目を伏せて、分かったと呟く。玄武と青龍も互いに顔を見合わせてから、白虎に向かって静かに頷いた。
 こうして、四神荘に小さな同居人が加わったのだった。

19人目

「はい、晴明さまよく食べましたね」
「苦手も食べた!偉い?」
「偉いです!」
 青龍が満面の笑みで小さな晴明公の頭をよしよしと撫でる。嬉しそうな二人の様子を微笑ましく見ていた玄武が食後の茶を置き、腕まくりをしながら立ち上がった。
「よし、風呂の時間まで少し遊ぶか」
「わーい!右近と左近も一緒に貝合わせしよ!」
「お前は強いからなぁ〜手加減はしないぞ」
 パタパタと玄武の部屋に向かっていく二人を、食卓に残された三人は微笑ましく見送った。

 三人は玄武が与えてくれた束の間の休息を味わっていた。元気ハツラツとした晴明公が可愛いのは百も承知だが、それはそれとして静かな時間が恋しいのも事実だ。三人が三人共、お茶を啜ってはぁ〜と弛緩したため息をつく。
 ここ数日で、四人で四苦八苦しながらなんとかこなしてきた育児も少しは形になってきた。
 が、明日は朱雀と白虎がバイトの予定があり、店を開ける前に買い出し等の準備もあるとのことで早くから出掛けるのだ。それまで皆が休みだったからこそ四人で晴明の相手ができていたが、明日は丸一日青龍と玄武の二人でこの元気過ぎる晴明の相手をしなくてはならない。
 青龍は食後の食器を片付けようと立ち上がりながらぽつりと呟いた。
「はぁ…明日が不安です…二人共、バイトが終わったら早く帰ってきてくださいね!絶対ですよ!」
「あ、あぁ…努力する。私も早く晴明様のお顔を見に帰りたいからな」
「ちゃんと寝ててくれるといいけどね〜青龍の角が折られないうちに帰って来なきゃね」
「ほんと、洒落にならないのでやめてください…」

 しばらくすると、風呂場の方から喜びを含んだ元気な声が聞こえてきた。びゃっこーすざくーと呼んでいる。貝合せは晴明の勝ちだったらしい。
 今日の風呂当番は白虎と朱雀だ。晴明と二人で風呂に入ると小さい晴明が深い湯船の水に溺れでもしないかと目が離せないので、二人一組で風呂の時間を過ごしている。
「今行くぞ」とほころんだ横顔の白虎を見て、青龍は少し複雑な表情を呈した。先に行った白虎の後から風呂に向かうべく立ち上がった朱雀は、不思議そうに問いかける。
「どうしたの?」
 すると青龍は少し言いにくそうに小声で呟いた。
「いえ、白虎は幸せそうですが…私は何だか色々考えてしまって…。もちろん私も幸せです。小さな晴明様はほんとうに可愛いですし…でも、これが白虎の生命力を奪っているのだとしたら…素直に喜べないというか…」
「そうだね…少しでも手掛かりがあれば良いんだけど…。でもせっかくだし今はこの状況を楽しもうよ、僕も注意して見ておくし…青龍はとりあえず明日頑張ってね」
「そうですね、角だけは死守してみせます…!」


 朱雀が風呂に入っていくと、白虎が明日のことを晴明に説明している最中だった。
「明日は私と朱雀は一日留守にする」
「えっ、どこ行くの?着いて行きたい!」
「だめだ!その…大人専用の店なんだ。お酒を出したりする場所だし…子供は来てはいけないんだ」
「子供だから、だめなの?」
「うっ…まぁそんなところだ」
「ふぅん…」
 不満気な晴明に、白虎は話を変えようと少し開けられた風呂の窓からちらりと見える梅の木に目を向けながら言った。
「ほっ、ほら梅はそろそろ終わってもうすぐ桜も咲く頃…今度皆で花見をしような、お前の好きなおにぎりも卵焼きもたくさん作ろう」
「もうすぐ春?」
「ああ」
 いつか皆で眺めた桜を思い出しているのか、湯気の中の白虎の穏やかな表情を横目に、朱雀は洗い場から晴明に声を掛けた。
「ほら晴明、身体洗ったげるからこっちおいで」
 ごしごしと小さな体を手際よく洗った朱雀は、今度はシャンプーで晴明の頭を洗った。
「目を瞑ってご覧〜ほらざばー」
 キャッキャッと楽しげに泡の後を追って遊ぶ晴明の行動を許容しながらも、やるべきことは手早くこなしていく様子に白虎は舌を巻く。
「お前…初日から思っていたが結構手慣れているな」
「あ〜…まぁ、あっちゃんの学園手伝ってたときは小さい子達もいたしね〜それに…昔…少し人の子の世話を焼いたこともあって」
 朱雀は記憶の彼方にいる誰かを思い出すように眩しい表情を浮かべる。
「?…ま、まぁお前にしてはよくやっているな、助かったぞ」
「えっ!白虎ちゃんが褒めてくれるなんて珍しい!だって〜晴明、僕偉い?」
「すざくはよく気が利く、えらい」
 よしよし、と先程青龍にされたように朱雀の頭を優しく撫でる。
「えっ、そうかなぁ〜」
 テレテレと目尻を下げる朱雀の頭から手を離し、くるりと今度は湯船の中の白虎の方を向いた晴明は手を伸ばしながら言った。
「びゃっこはお昼寝が好き、かわいい」
 朱雀と同じように小さな手でよしよしと頭を撫でる。
「えっ…」
「あはは〜白虎ちゃんこっそりサボってるとこ見られてるじゃん」
「そっ、そんなことはないぞ!」
 焦る様子の白虎にあはははと晴明は笑う。頭を撫でられる心地よさを味わいながらも白虎の思考はどこか別のところを漂っていた。

 部屋に戻った白虎は先程のことを考えていた。件の小さな晴明は、今夜の寝かしつけ当番である玄武に絵本でも読んでもらっている頃である。
 長い髪を漉きながら部屋の鏡に映る自分を眺める。先程撫でられた頭に自分の手を置き、ぼんやりと考えた。

(昔は見回り休憩の日向ぼっこの末、眠り込んでしまうこともあったな…晴明様も私のお気に入りの場所をご存知で、そこにいらっしゃることも多かった。そんなとき晴明様はよく私の背や頭を撫でて下さったものだ)

 ぽかぽかとお日様の匂いを含んだ当時の空気が思い起こされ、白虎は暫しその余韻を味わっていた。

(しかし…ここ数日でそんなこと、あったか…?)

 どこか違和感を覚える白虎をよそに、静かな夜は更けていった。

20人目

 翌朝、朝餉を済ませた白虎と朱雀は、早々に出かける準備を始め出す。せっせと身支度を整えている二人の周りでは、晴明は楽しそうに馳せ回っている。

「コラコラ、周りで騒いだらダメだよ。準備が出来ないから、向こう行ってて晴明」

 と言いつつも、朱雀は腰に抱き着いている晴明を離そうとはしない。それを見守る白虎の表情も、これでもかと言うほど緩んでいる。

「白虎ー、朱雀ー! もう出かける時刻ですよー!」

 デレデレと晴明を眺めていた白虎たちだったが、玄関の方から響く青龍の声にハッと我に返った。

「えっ、もうそんな時間!? 白虎ちゃん、急がないと遅れちゃう!」
「あ、ああ! では、行ってくるからな。良い子で待っているんだぞ?」
「僕、お見送りする〜」
「そうか。じゃあ、みんなで玄関まで行こう」

 うんっ! と元気に返事をする晴明の頭を撫でてやり。三人は仲良く手を繋ぎながら、玄武と青龍が待つ玄関へ向かった。

「晴明様。白虎たちに、いってらっしゃーいしてあげてください」
「びゃっこ、すざく、いってらっしゃーい!」
「うん。行ってきます。ちゃんと玄武や青龍の言うこと聞くんだよ?」
「はーい!」
「では、頼んだぞ。何かあったら、店の方に連絡をくれ」
「任せておけ。我らもここ数日の間で、子の扱いには慣れたと自負している」

 白虎は胸を張る玄武に頷き、少し寂しそうな表情を浮かべている晴明を抱き締めてから、朱雀と共に四神荘を後にした。始めは笑って手を振っていた晴明だが、二人の姿が見えなくなるにつれて、徐々に笑顔が消えていく。完全に姿が見えなくなると、晴明は口をへの字に曲げて今にも泣き出しそうな顔で青龍に抱き着いた。

「泣かずにお見送りできて、偉かったですね」

 褒めてやりながら、青龍は優しく晴明の背中を擦る。晴明は愚図りつつも小さく、うん……と応えた。すっかり機嫌を損ねてしまった晴明をあやす青龍は、不安げに玄武の顔を見やる。すると、玄武は晴明の前で片膝をつき、穏やかな口調で語りかける。

「なあ、晴明。今日は三人で裏山へ散歩に行かないか?」
「……おさんぽ……?」
「そうだ。今度、皆で花見に行くだろう? 山の桜の咲き具合を見るついでに、良い花見場所がないか、探しに行こう」
「じゃあ、せっかくですし、お弁当を作ってそこで食べましょう! 良い場所が見つかったら、白虎たちも喜びますよ」
「びゃっこたち、喜んでくれる?」

 おずおずと訊ねてくる晴明に、二人は強く頷いた。先程までムスッとしていた表情が、みるみると明るくなっていく。

「おさんぽ、いく!!」
「よし。掃除と洗濯を終わらせたら、すぐに出かけよう」
「では、お弁当は私が作ります。お花見の楽しみがなくなってしまうので、今日はおにぎりだけにしましょう。晴明様、お手伝いしてくれますか?」
「うん! お手伝いする! 早くやろう、せいりゅう!」

 晴明はグイグイと青龍の手を引いて台所へ向かう。機嫌が直り、ホッとした玄武が玄関の戸を閉めようとすると、暖かな春の風が吹き抜ける。玄武は風が運ぶ春の匂いに、暫し目を閉じて酔いしれた。



「せいりゅう〜、げんぶ〜! 早く早く〜!」
「ま、待ってください、晴明様! 危ないから、一人で先に行かないで!」

 家事と弁当作りを終えた玄武と青龍は、晴明を連れて裏山にある桜の群生地へと向かっていた。初めて屋外へ出た晴明は、瞳を輝かせてあちこちに歩き回るので、片時も目が離せない。

「せいりゅう。まだ桜のとこ着かない?」
「もうすぐのはずなんですが……あっ、ありましたよ!」

 ほら! と青龍が指差す先に、枝に僅かに花をつけた桜の木が見える。晴明は歓喜の声を上げて、桜の元へと駆け出していく。

「まだ全然咲いてないねぇ」
「ああ。だが、蕾が大分膨らんでいるから、そろそろ咲き始めるんじゃないか?」
「ん〜……この様子だと、あとニ、三日もすれば満開になると思いますよ」
「三日後なら、全員揃っているな。花見はその日にするか」
「そうですね。白虎たちが帰ってきたら、相談してみましょう」

 玄武と青龍が話し込んでいると、遠くの方から晴明が二人を呼ぶ声が聞こえてくる。一際大きな桜の木の下で、駆けずり回っている晴明の元へ向かう。

「どうしました、晴明様」
「あのねー、お弁当たべるのここが良い!」
「確かに、満開になったこの桜の下で花見をしたら、さぞ壮観だろうな」
「周りの桜の木も一望できますし、最適な場所ですね!」
「僕が見つけたんだよ!」
「ああ。お前のおかげで、良い花見が出来る」
「流石、晴明様ですね!」

 得意満面な晴明を代わる代わる撫で回し、玄武たちは持参した敷物を地面の上に敷き、一足早い花見へと洒落込んだ。

「はい、右近、左近。これ僕が握ったおにぎりだよ!」

 晴明は自分が握った不格好なおにぎりを、右近と左近の口に押し込むように差し出した。二匹が美味そうにおにぎりを頬張る様を見て、晴明は満足そうな顔で青龍の握ったおにぎりにかぶりつく。
 三人と二匹だけの細やかな花見の時間は、ゆったりと過ぎていき。気づけば、辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。

「いかん。つい長居してしまったな、夕餉に風呂の支度もある。そろそろ帰るか」
「そうですね。晴明様、帰りますよ。起きてください」

 青龍は自分の膝を枕にして眠る晴明の肩を揺らす。晴明は眠そうに目を擦りながら、ゆっくり身体を起こした。

「もう……かえる……の……?」
「ええ。帰ってお風呂に入りましょう」
「みんなで……?」
「皆で入りますよ。晴明様に私と玄武、右近と左近も一緒に。だから、早く帰りましょう」
「えへへ……みんなでお風呂、僕大好き!」

 帰り支度を済ませ、並んで手を繋いで四神荘への家路を急ぐ。他愛もない話をしながらの道中、晴明が妙なことを言い出した。

「ねぇねぇ、お花見には紫色の髪したお兄ちゃんも来てくれる?」
「えっ……?」

 晴明の言葉に、二人の心はざわついた。

「せ、晴明様……? 一体、誰のことを……言っているんです?」
「青龍、やめろ」

 青龍は問い質そうとしたが、玄武はそれを制した。二人の空気がピリついたのを敏感に感じ取ったのか、晴明は心配げな表情で玄武たちを見上げる。

「どうしたの? 僕、変なこと言った?」
「い、いや……なんでもないぞ。今日は疲れただろう。早く家に帰ろう……なっ?」
「そ、そのお兄さんは、い、今とても遠くにいて、お花見には来られないんですよ」
「なぁんだ、残念……」

 唇を尖らせる晴明、どうにか誤魔化すことが出来たものの。玄武と青龍の胸中には、深い霧のような疑念が燻っていた。
 紫色の髪から連想される人物のことを、自分たちはよく知っている。だがどうして、幼い晴明が彼と面識があるようなことを言ったのだろう。

「……何も、起こらなければ良いが……」



 消え入りそうな玄武の呟きは、青龍の耳にはやけに鮮明に聞こえていた。

21人目

 それから三人と二匹は帰宅して皆で風呂に入った。玄武の作った夕食を平らげた小さな晴明は、いつもなら寝る前に何冊も読み聞かせてもらう絵本の時間にたどり着く前に、すうすうと寝入ってしまった。今はぐっすり夢の中だ。
 青龍が玄武の湯呑にお茶を注いでいると、玄関の戸が控えめに開いた。

「今帰ったぞ…」
「くたくただよ…久し振りだからって人使い荒すぎ…」

 バイトで酷使されたらしい二人が玄関の上がり框に腰掛けて項垂れていた。その背中に向かって青龍が声を掛ける。
「お疲れさまでした二人共、お帰りなさい。あの…お疲れのところ申し訳ないのですが…今日のことで少しお話が…」
 朱雀と白虎は神妙な青龍の様子に顔を見合わせた。



「記憶がある…」
 朱雀の声に青龍が頷く。
「でも朧げというか…完全には覚えていないようでした…」
「それは私も感じていた。今の晴明様が経験していないことを口にすることが確かにあった」
 白虎もそれに続く。
「その紫の髪って…あっちゃんのこと…だよね?」
「その名を口にするな汚らわしい」
「えぇ〜、白虎ちゃんあっちゃんのこと嫌いなのは分かるけど…そんなこと言われても困っちゃうなぁ。でも記憶があるってことは…あれは枕返しじゃない可能性もあるってこと?」
 え、と朱雀以外の全員が目を見開いた。
「いや、枕返しなら周りに合わせることはできても、知りようのないことを向こうから言ってくることはないんじゃないかな。それに枕返しなら少しは違和感みたいなものを感じるかな〜と思って僕もよく見てたんだけど、正直今までそんなことなかったんだよね…」
「確かに。俺もあいつと過ごしていて違和感を感じたことはないぞ…失礼を承知で言うならば…晴明様自体が小さくなられたというか…」
 玄武も同感らしく頷く。

「でも、だったら尚更どうしたらいいんでしょうか…」

 ぽつりと漏れた青龍の呟きに全員黙り込んでしまった。あの小さい晴明公が枕返しではなかった場合、正体は如何なるモノなのか。

『もう本物の晴明公はこの世には居ないというのに』

 その事実に皆が思い当たったのか、少ししんみりとした空気が流れた。それを察知した朱雀が明るい声色で口を開く。
「とっ、とりあえず三日後の花見には行くよね?晴明は楽しみにしていたし、みんなで楽しい思い出を作ろうよ!どうなるかはよく分かんないけど、何とかなるでしょ!」
 そうだな、と各々が自分自身に言い聞かせるように頷いた。
 しかし次の日、何とかなると言った当人である朱雀自身早朝からその謎に詰め寄られることになるとは思ってもみなかった。




 まだ仄暗い早朝、静かに自分の部屋の戸が開いたことに気付きそっと目を開いた朱雀は、自分の方を見ている赤い目に射竦められてしまった。
「ねぇ、すざく。紫の髪のお兄ちゃんのところに連れて行って」


「おじゃましま〜す…」
 カララと居室の窓を開けると、早朝から起きていたらしい道満が奥から顔を出す。洗濯の最中だったようだ。
「貴方が挨拶なんて珍し…………何ですその子…朱雀、隠し子なら認知してから来い」
 キョロキョロと辺りを見回す子供に、げんなりとした視線を向ける。
「いや〜あの〜その〜…」
「誰、このおじさん」
「あぁ?おじさんって誰のこ……ぁ、あ?これは一体…おい朱雀どういうことだ」
 自分を見上げた子供の顔に彼の人の面影を認めたらしい道満は、慌てて翁の面を外してしかと子供の顔を確認した。そして即座に朱雀の胸ぐらを締め上げた。



「何だそれは…しばらく顔出さねぇと思ってたらまたそんな訳の分からないことに…」
「なんだよ~あっちゃんだってこの件に関してはるあきくんに協力してるんだからおあいこだよ〜?」
「あいつに異様に似てるくせに、記憶もあるんだか無いんだか分からない、正体も分からないってわけか…気味が悪ぃな」
 こそこそと朱雀と道満が小声で話していると、小さな晴明はおもむろに口を開いた。
「あのさぁ、枕返しをあの鏡に縛り付けたのは君だよね?」
「…あぁ、そうだが」
「僕がこの世界に生まれたとき、本当は枕返しがびゃっこの夢に入り込むつもりだったみたいなんだけど、僕が跳ね飛ばしちゃったみたいなんだよね」
「え…」
「おい、それはどういう…」
「で、君の呪いも相まって憐れな枕返しくんは鏡の中の世界の何処か遠くに飛ばされちゃった。そいつを見つけてやらないと、びゃっこはいずれ僕という存在を具現化するために生命力を奪われて…命が尽きてしまうだろうね」
「そうなの!?」
「ねぇ、お兄ちゃん、枕返しがどこに飛ばされちゃったか分かる?」
 焦る朱雀の隣で、道満はその話を噛み砕くように暫しの間顰め面をしてからため息を吐いた。座卓の引き出しから地図を取り出し、卓の上に開いて苦々しく前置きをした。
「あいつがどうなろうと知ったこっちゃねぇが…私名義のあの家で死人が出たら困りますからね…事故物件なんて縁起でもない…」
 目を閉じた道満は、地図の上に掌を翳し左右に動かした。しばらくそうしていたが、ある場所で手を止める。
「私の妖力を僅かに感じるのは、このあたりですね…」
「…え、ここって…」



 他の四神に伝えるべく早く帰ろうと窓に駆けて行く朱雀の後ろに続く小さな背中に、道満は鋭い声で語り掛ける。
「お前は、何なんだ?あいつな筈…無いな。あいつならそんな軟弱な顕れ方はしないはずだ」
 振り向いた少年は少し意外そうな顔をした後、薄く笑みを浮かべて道満を見上げた。
「ふふ、『あいつ』は君の拠り所なんだね。そう、僕は…晴明公そのものではないよ。…というか、存在が朧げで僕にも自分のことがはっきりと分からないんだ。でも…枕返しが見つかれば少しは分かる気がする。じゃぁね、ありがとうお兄ちゃん」


 大きな鴉に変化した朱雀と、その背中に跨った少年が去った後、道満は遠くの空を見つめたまま煙草に火を点けた。
「ふん、あれがあいつな筈がない。あんな、張り合いの無い子供が。しかし、枕返しとは想い人の願いを映し出すという…思いが強ければ、真逆、ということも…」
 暫し何かを考えるように眉根を顰めた後、長い長いため息のような白い煙を吐き出した。そしてその煙を吐き切った後、道満はどこかすっきりとしたような口調で独り言ちた。
「まぁ、さりとて俺には関係のない話だ。あの子供を生み出したのは、俺じゃないんだからな」



 そして次の日、神妙な顔をした四人と満面の笑みを浮かべた小さい晴明は大きな入場口を見上げていた。
 そこにはようこそ☆百鬼ランドと高らかに掲げてあった。

22人目

「……おい。本当に、ここに枕返しがいるのか?」
「そのはず……なんだけどね」

 晴明の身体から弾き飛ばされた枕返しを捜索するため、道満が指し示した場所へとやって来た四神たち。その場所とは、大人気テーマパーク百鬼ランドであった。
 こんな浮かれた場所に、枕返しがいるはずがない。白虎たちは疑いの眼差しを朱雀へ向ける。

「だ、だって、あっちゃんがここだって言ったんだもん!」
「フンッ……あの男の言うことなど、信じられるものか……」
「失礼なこと言いますけど、貴方騙されたのでは?」
「むっ! 得体の知れない占いのババアに騙されて、幸せの壺を売りつけられた君にだけは言われたくないね!」
「だ、だだ騙されてなんか、い、いませんよっ!」

 顔を真っ赤にして反論する青龍を窘めるように、玄武は青龍の肩に手を置いて頭を振った。意気消沈し、植え込みの隅にしゃがみ込む青龍を、晴明はよしよしと頭を撫でながら慰める。そんな晴明を見つめる白虎の表情に、これまでのような笑顔はない。

「とにかく、中に入ろう。そうしないと始まらないし」
「入るのは構わないが、入園料はちゃんと払えるんだろうな?」

 玄武の放った一言に朱雀はピシッと固まり、露骨に視線を逸した。

「えっと、僕……先月パチンコで大負けしちゃって……その、今持ち合せがなくてね。誰か立て替えといてくれないかなぁ……なんて」

 語尾にハートをつけ、可愛い子ぶったポーズを決める朱雀に、玄武は見事な中段蹴りをお見舞いする。朱雀はギャン! っと犬のような悲鳴を上げて、尻を突き出した状態で地面に倒れ伏した。あまりに綺麗な蹴りだったため、周りにいた来園者たちから拍手と感嘆の声が上がる。

「入園料が払えないのなら、お前はここで待っていろ」
「ええぇぇ〜!? そんなのヒドいよ!! せっかく百鬼ランドに来たのに、僕だけここで待ってるなんて絶対に嫌だ!!」
「朱雀、私たちは遊びに行くんじゃない。白虎の生命が掛かっているんだぞ。早急に枕返しを見つけねばならん状況で、巫山戯るのも大概にしろ」

 駄々をこねる朱雀を、玄武は強い口調で一喝する。晴明を抱えた青龍がおろおろしながら二人の様子を見守っていると、白虎が玄武と朱雀の間に割り込んだ。

「入園料なら、私が全て支払ってやる。だから、くだらん争いはやめろ。子供に悪影響だ……」
「白虎……しかしだな……」
「玄武、お前の気遣いは嬉しく思う。だが、私は元より自らの生命を掛ける覚悟をしていた。今更、それが現実味を帯びてきたからといって、惨めに取り乱したりなどはしない。それに……」

 白虎は晴明を見つめて何かを言いかけたが、力なく微笑んで口を噤んだ。

「びゃっこ、どうしたの?」
「何でもない。晴明、今日はここで皆で遊ぼう」
「本当っ!? やったぁぁぁ!!」
「さぁ、チケットを買いに行くぞ。一緒に来るか?」
「うん!」

 晴明は青龍の腕から飛び降りると、白虎の手を引いてチケット売り場へと向かっていく。二人の後ろ姿を見送る朱雀は、先程自分や道満に見せた威風堂々たる態度とはあまりにかけ離れた晴明の様子に違和感を感じていた。

「何だか、無理して気丈に振る舞っているように見えますね……白虎……」
「此度の一件を引き起こしたのは自分だからと、気負っているかもしれないな。早く枕返しを見つけて、この状況を打開しよう」
「二人とも、ちょっといい?」

 いつになく真剣な声色で声をかけてくる朱雀に、玄武と青龍は面食らう。

「協力して欲しいんだ。白虎ちゃんを助けるために」





「うわぁぁぁ〜、すっごい! 見て見て、びゃっこ!」

 キラキラと瞳を輝かせて、晴明は百鬼ランドのシンボルである巨大な城を指差した。あまりの大きさに白虎が呆気にとられていると、背後から朱雀が忍び寄る。朱雀は白虎の頭に何かを取り着けたが、羊城に圧倒されている白虎は全く気づいていない。すると、朱雀はクスクスと笑っていた晴明の頭にも、白虎と同じものを取り着けた。

「びゃっことお揃〜い!」
「えっ? せ、晴明、頭に何を着けて……って、朱雀!? 貴様、いつの間に……!」
「せっかく来たんだし、思いっきり楽しまないと損だからねぇ。そこのお土産屋さんで買ってきたんだ。そのカチューシャ」
「か、ちゅーしゃ……?」
「びゃっことすざくの頭にも、僕と同じもの着いてるよ! 角が生えててお揃い!」

 晴明に言われて白虎は自分の頭に手をやった。確かに、頭頂部から角のようなものが生えている。ジロっと朱雀を睨むと、朱雀はペラペラと説明を始めた。

「それはね、この園のマスコットキャラクター"ミッチー"を模したキャラ物のカチューシャで、ここで一二を争うほどの超人気商品なんだよ!」
「そんな情報はいらん! 貴様、肝心の枕返し探しはどうした! こんな巫山戯た被りもの、着けていられ……!」
「びゃっこ、僕とお揃い……イヤ?」

 カチューシャを外そうと頭を手を伸ばす白虎だったが、瞳を潤ませた晴明に上目遣いで見つめられ、カチューシャを放り投げようとしていた手が止まる。葛藤の末、白虎は大人しく、カチューシャを身に着けることにした。

「そういえば、玄武と青龍はどうした」
「ああ、あの二人なら……」

 朱雀が言いかけたところで、人混みをかき分けながら青龍が小走りで三人の元にやって来る。

「白虎、朱雀! 見つけましたよっ!」
「枕返しを見つけたのか!?」
「うえっ!? あ、いや……そうではなくて、晴明様でも乗れる乗り物を……見つけて……」
「ぐっ……! それに関してはでかした……だが、貴様も本来の目的を忘れている訳ではないよな……?」
「そ、それは勿論ですとも! 忘れるはずがないじゃないですか! ねぇ、玄武!」

 額に青筋を浮かべる白虎に詰め寄られながら、青龍が後ろを振り返ると、百鬼ランドの園内マップを広げた玄武がタイミング良く四人と合流した。玄武と青龍の頭にも、白虎たちと同じカチューシャが着けられている。

「隣のエリアに"ミッチーのぐるぐるコースター"という幼児向けの乗り物があるらしい。他にも幼い子が乗れそうな乗り物をいくつか見つけたぞ」
「玄武……貴様、さっき遊びに来たわけではないとか言っていたよな?」
「むっ? 確かに言ったが、せっかくの機会だからな。しっかりと枕返しを探しつつ、楽しめば問題ない。それに朱雀が……」

 玄武はそこで一旦言葉を切り、声を潜めて白虎に耳打つ。

「朱雀が、あの子と過ごすのは……おそらく今日が最後になると言っていた」

 衝撃的な言葉に白虎は目を見開き、青龍とカチューシャの見せ合いっこをしている晴明を見やる。無邪気に笑っていた晴明は、何を気づいて突然走り出す。晴明が向かう先にいたのは、百鬼ランドのマスコット"ミッチー"だった。

「なにあれーー! 変なのがいるーー!」
「ああ! 晴明様、一人で行ったらダメですよ! 迷子になってしまいます!」
「待て、青龍! お前が行っても迷子になるだろう!」

 晴明を追う青龍、青龍を追う玄武、その場に残された白虎と朱雀の間には気まずい空気が流れていた。重い空気の中、白虎は口火を切った

「朱雀、玄武の言ったことは本当なのか……?」

23人目

「どういことだ、晴明と過ごすのはこれが最後だというのは…」
 白虎は刺すような鋭い視線を朱雀に浴びせた。朱雀も負けじとその視線を見返す。

「だって…そうしないといけないだろ。この前あっちゃんのとこで、早く枕返しを見つけないと君の身が危ないって晴明から聞いたんだ。こんな風になった原因の枕返しがここに居るはずだって…だから早く見つけて、早く白虎ちゃんの生命力が削られるのを止めなくちゃ…」

「私の!?今更何だ!というか晴明を蘆屋のところに連れて行ったのか!?お前、蘆屋にうまいこと丸め込まれて騙されているんじゃないのか?それに、第一私の覚悟はできていると…」

「それはだめだよ!」

 普段の柔らかな物腰の朱雀とはかけ離れた鋭い物言いに、白虎はビクッと身体を震わせた。朱雀は下唇を噛み、酷く切ない顔をしてどこか遠くに思いを馳せる。

「白虎ちゃん、あの時だって踏みとどまったじゃないか…だめだよ、自分の命を投げ出しても晴明との時間を過ごそうだなんて。そんなのはだめだ…自分を大事にしないと…」
「…」
「それに、あの晴明は本物の晴明じゃないかもしれないだろ!そんなまがい物に君の命がないがしろにされていいはずがない。あの晴明が言ってたんだ。枕返しを見つけたら何か分かるような気がするって…だから、今は頑張って探そうよ」
 真剣に心配していると見える朱雀を真っ直ぐに見返すことのできない苦々しい表情の白虎は、ちっと舌打ちして地面に目をやった。すると遠くからミッチーを探しに行っていた筈の晴明が駆けて来る。

「びゃっこー!すざくー!早く行こう〜どうしたの?ぐるぐるコースターみんなで乗ろうよ~」
「晴明…」
 遠くから聞こえる楽し気な晴明の声に、白虎の気迫もしゅんとしぼんだように見えた。白虎は小さくため息を吐くと、晴明の声のする方へ一歩踏み出し、朱雀に背中を向けたまま口を開く。
「ふん、興が削がれた。行くぞ」
「白虎ちゃん…」
「お前が私の心配をしてくれていることは、分かった。…それに、確かにあの晴明が偽物だった場合、私は無駄死にしたということになる。それは馬鹿らしいというのも確かに分かる。…分かってはいるんだ…でも…少し、時間をくれ」
「うん…」
 二人はとぼとぼと晴明の声のする方へ歩いて行った。





「ぎゃー!な、なんですこの動き!!やめ、あ、やめて…きもち…わる…!!」
「たーのしーーー!!!」

「ミッチーのぐるぐる☆コースター」と看板が掛けられた建屋の下で、玄武や朱雀が乗り物の説明を見ている間に、晴明からぐいぐいと乗降口に連れて行かれた青龍は、いつの間にやら晴明と二人でぐるぐるコースターの座席に座らされていた。
 円形のコーヒーカップのような回転する座席が、これまたうねうねと曲がりくねったコースターのコースをまぁまぁのアップダウンを経て駆け抜けていくというなかなかに目の回る乗り物である。
 案の定、にこにこした晴明に思い切り座席を回転させられた青龍は、乗降口からふらふらと降りて来て脇のベンチに腰掛けて項垂れてしまった。玄武がその背中をさすり、朱雀は気分転換のための飲み物を買いに行かされている。

「びゃっこ、もう一回乗りたい!」
「こらこら、今は青龍が大変だろう」
「良いですよ、白虎、せっかくですから晴明と乗ってきてはいかがですか」
「そ、そうか?じゃぁ、行こうか」

 晴明との二人の時間を作ろうとしてくれているのかもしれない。青い顔の青龍に心の中で感謝しながら、白虎は晴明の小さな手を握った。

 発端は自らが願ったことだ。小さい晴明様と、このように他愛のない日々を過ごしてみたかった。主従という関係だけではなく、晴明様を家族のように愛しんで差し上げたかった。それがまがい物だとしても、このように叶えることができたのだ。小さい晴明と過ごす時間は、白虎自身にとってかけがえのない温かな日々だった。
 もう、満足しなければならないのかもしれないな、と心の奥の良識的な自分が囁いてくる。しかし小さな晴明が望んでくれる今はまだ、この小さな手を握っていたかった。

「びゃっこ、もっと回していい?」
「あぁ、いいぞ。でもあまり回すとさっきの青龍のようになるからな」
「あはは、僕は大丈夫!せいりゅう大丈夫かな?」
「あいつはああ見えて丈夫だ、大事ない」
「…ねぇびゃっこ、君も楽しい?」
「ん?楽しいが?」
 晴明はにこ、と笑うと向かい合わせに座っていた白虎の横にずりずりと動いて来て、突然ぎゅうと抱き着いてきた。驚いたものの、その行動に胸がきゅんと締め付けられてしまった白虎は、引き離すでもなくくるくると控え目に景色が回るコースターの中で、懐の小さな頭を見ていた。
「せ、せいめ…」
「…白虎、僕を復活させようとしていたんだってね」
「…え」
「ありがとう…」
「せ。せいめいさ…」
「あれっ?びゃっこ、どーしたの?顔赤いよ?」
 小さな頭が勢いよくこちらを見上げると、そこにはきょとんとした無垢な表情の晴明がいる。やはりこの晴明は…
「…いや、何でもない」




「次はあれ!」
 晴明が指を指す方には、「鏡の迷宮」と書かれた古びた看板があった。古くからある遊具なのか、入口には人影もまばらだ。
「迷路、ですか?」
 晴明と手を繋いで建物の近くに歩み寄った青龍はその大きな建屋を見上げて言った。どうやら中は鏡張りの迷路になっているようで、それを示す様に、建屋のてっぺんには合わせ鏡の中央にキャラクターのミッチーが据えられたオブジェが飾られている。

―と、そのオブジェの鏡がきらりと光ったかと思うと、突然小さな光の塊がそこから飛び出し、こちらに向かってきた。

「ヤット来タ!!」

 バチン!と音を立てて、光は小さな晴明に吸い込まれるように消えてしまった。


「晴明!」
「いや〜長かったなぁ〜、まさか飛ばされた鏡の中から動けないとは思わなかったぜぇ」
 突然口調の変わった晴明は、青龍の手を振りほどいて建屋の入口に走って行く。
「っ、貴様ぁ!」
「おっと、…びゃっこだっけ?気をつけろよ、今この子は俺の意のままだ、俺ガ…あ、アれ…?」

 晴明の表情は悪意を帯びたものからフッ、と優しげな表情に変化した。何が起こったのか分からない四人を見回して、小さな晴明は口を開く。

「人生は迷路みたいなものだね」

「!?」

 楽し気な晴明はくったくのない笑みを浮かべ、両手を上げて四人に向かって言った。

「結構楽しかったけど、そろそろお遊びもおしまいかなぁ〜でも、最後に、鬼ごっこしよ!みんな、僕を捕まえてみてね!!」

24人目

 迷宮の中へと走り去って行く小さな背中を、白虎は呆然と見つめていた。

「こ、これは……一体、何が起こっているんです!?」
「落ち着け、青龍!」
「そうだよ。今はとにかく、晴明を追いかけなくちゃ」

 動揺を隠せない青龍の、焦りに満ちた声が耳に届く。次いで、青龍を宥める玄武とやけに冷静な朱雀の声が聞こえてくる。

「白虎ちゃん!」

 自分を呼ぶ声に、白虎は我に返った。顔を上げると、迷宮の入口に立つ朱雀が神妙な面持ちでこちらに手を伸ばしている。玄武と青龍の姿はすでにない。

「早く、晴明を見失っちゃうよ!」
「あ、ああ……」

 朱雀に促され、歩き出す白虎だったが、その足取りは重い。鉛のような身体をどうにか引きずって、入口へ辿り着いた白虎は、踵を返し、中に入ろうとする朱雀を呼び止めた。

「……朱雀……貴様は、あの子の身に何が起こったのか……もう、分かっているのだろう……?」

 そう訊ねると、振り返った朱雀はゆっくり目を伏せて、静かに頷いた。

「確信がなかったから、今まで黙ってたけど……さっきの晴明を見て、はっきりしたよ。あの子の中には今、三つの人格が存在してる」
「三つの……人格、だと……?」
「詳しい話は後でするから、今は急いで玄武たちと合流しよう!」

 朱雀は放心する白虎の手を引いて、鏡の迷宮へと足を踏み入れる。なすがままの白虎は、頭の中で必死に考えを巡らせていた。朱雀の言葉の意味、それが自分と晴明にもたらすもの。脳裏に浮かぶのは"別れ"の二文字、白虎は俯き、下唇を強く噛み締めた。

「あっ……白虎、朱雀……」
「すまない……晴明を見失ってしまった」
「一面鏡張りで方向感覚が分からなくなって迷いそうだったので、無理に追わずに二人を待とうと思いまして」

 室内に入ってすぐの大広間で玄武たちと合流する。四人の目の前には、まるで示し合わせたかのように東西南北がそれぞれ掲げられた四つの入口が、こちらを誘い込むように大口を開けている。

「この内のどれかに、晴明は入って行ったんだね? 全くもう……これじゃ、鬼ごっこじゃなくてかくれんぼだよ」
「朱雀……そろそろ、さっきの話の続きを聞かせろ」
「あ、そうだった。みんなに、聞いてほしいことがあるんだ。僕たちが今日まで一緒にいた晴明について」

 朱雀は落ち着いた口調で語り出した。

「僕たちが一緒いた晴明は、晴明の退魔の力だったんだ」
「た、退魔の力って……そんな、だって……あの子にはちゃんと自我がありましたよ!?」
「信じられないかもしれないけど。僕らは京都で一度、自我を持った退魔の力に遭遇しているじゃない。今回もあの時と同じことが起こったんだよ」
「そ、それは……そうですけど……でも、そんな話に……にわかには信じられませんよ……」
「退魔の力は、安倍晴明(はるあき)に受け継がれているはずだろう。あの晴明が意思を持った退魔の力だというのなら、安倍晴明は力を失っているということか?」
「う〜ん……説明するのは、ちょっと難しいなぁ。簡単に言うと、僕らのよく知る平安時代の晴明の退魔の力が、どういう訳か意思を持ち。枕返しが生み出した幼い晴明の身体に入り込んじゃったんだと思う」
「そもそも、何故枕返しが幼い頃の晴明様の姿を生み出すことが出来たんだ。我らでも知らぬことだというのに」
「これはあくまでも僕の推察だけど、白虎ちゃんの記憶を覗いた枕返しが想像で生み出したんじゃないかな」
「そんなことはどうでもいい! 貴様、さっき私に言ったな! 今、晴明の中には、三つの人格が存在していると! あれはどういう意味だ、それを説明しろ!」

 白虎は声を荒らげて朱雀に詰め寄り、胸ぐらを掴み上げる。興奮が抑えきれず、肩で息をする白虎をやんわりと制止しながら、朱雀は話を続けた。

「……一つは今言った退魔の力、もう一つは枕返し。そして最後の一つは……晴明だよ」
「貴様……何を、言っている……? そんな、こと……あるはずが……!」
「僕だって信じられないよ。でも、さっき感じた気配は間違いなく、安倍晴明(せいめい)のものだった」

 朱雀の突拍子も無い話に困惑しながらも、白虎は意外なほどにあっさりとそれを受け入れてもいた。これまで感じていた違和感や疑問が、パズルのピースのように嵌まって消えていく。

「ちょ、ちょっと待ってください! それが本当なら、せ、晴明様は……生き返った、ということですか!?」
「それは、本人の口から聞いてみないと分からないけど。もしかしたら、白虎ちゃんの晴明に対する強い想いが、此岸と彼岸の境界を歪めてしまったのかもしれない」
「私の……想い……私が、あんなことを願った、から……」

 自分の願いが、世の理を歪めてしまった。たとえ神であっても、許されることではない。罪の意識に苛まれ、今にも倒れてしまいそうな身体を、白虎は必死に奮い立たせていた。青龍は真っ青な顔で立ち尽くしている白虎を支えるように、そっと傍らに寄り添う。

「……話は分かった。それで、私たちは何をすれば良い」

 戸惑いの表情を浮かべながら、玄武は朱雀に問いかける。

「とにかく、晴明を捕まえて問い質すしかないよ。入口はちょうど四つあるし、手分けして晴明を追おう」
「でも、白虎は……」
「私なら、大丈夫だ……朱雀の話が本当なら、事は一刻を争う……そうだろう?」

 白虎は正面を見据え、西の文字が掲げられた入口の前へと進む。それを見た朱雀は、何も言わずに南が記された入口の前に立った。当惑する青龍を玄武が促し、白虎と朱雀を挟む形で、二人はそれぞれ東と北の入口に立つ。

「先に行くぞ」

 そう言って、白虎は逸早く迷宮の中へと足を踏み入れていく。小さくなっていく白虎の後ろ姿を見つめて、青龍は表情を曇らせる。

「青龍、玄武、君たちに言っておくことがあるんだ。もし、迷宮の中で晴明を見つけられずに外に出た場合……絶対にここに戻って来ちゃダメだよ」
「えっ、な、何故です?」
「多分だけど、今ここは此岸と彼岸の境目が曖昧になってる。下手したら、向こう側に足を踏み入れる可能性があるんだ。だから、外に出られたら絶対にそこで待機……良いね?」

 朱雀の言葉に青龍は息を呑んだ。

「承知した。晴明を見つけた場合はどうすれば良い?」
「どうにかして、外に連れ出して。話をするのはその後」

 玄武は小さく頷き、迷宮へ向かって歩き出す。少し遅れて、青龍も意を決して中に飛び込んでいった。二人を見送った朱雀は、大きく息を吐き出し、歩き出した。
 しかし、朱雀が入っていったのは、白虎が進んだ西の入口だった。










「……もっと、みんなと一緒にいたかったな……」

 鏡張りの通路の中、一人の少年が鏡に映る自分に語りかける。

「そうだね……でも、もう戻らなくちゃ。このままじゃ、白虎たちに迷惑がかかる」
「…………お花見にも……行きたかった……せっかく良い場所、見つけたのに……」

 俯く少年に、鏡の中にいる少年は寂しげに微笑んだ。

25人目

「なかなか薄暗いですねぇ…」
 鏡張りの薄暗い通路を、青龍は足早に進んでいく。早く小さい晴明を見つけなくては。気は急いているものの、全面が鏡でどこが通路か分からないような迷路に先程から右往左往していた。

—ごちんっ
「あいたっ」

 通路だと思っていたところにあった正面の鏡に衝突する。これで額をぶつけるのは三度目だ。
「うぅ…こういうところはあまり得意ではないのに…」
 よろよろと立ち上がり振り返ると、周りの鏡にゆらりと黒い影が映った。
「ぎっ、ぎゃーーっ!」
 その影は実際には、青龍自身の影が照明の影響で鏡に映り込んだだけなのだが、慣れない場所で四苦八苦している青龍の目には、それはそれは怪しい影に見えたらしい。今度は鏡にぶつかるまいと、両手を前に出して無我夢中に走り出す…と、今度は衝撃と共にどすん!と音がした。
「あいたたたた」
「せ、青龍大丈夫か!?」
「えっ、あ、玄武…」
 ぶつかったのは北の入口から入って来た玄武だった。中では迷路は繋がっているようだ。見ると自分は尻もちをついた玄武に覆い被さる様に抱き着いてしまっている。
「ひぇっ」
 その体勢に気付いた青龍はドキドキしながら玄武の顔を見上げた。しかし、いつもの仏頂面のまま微動だにしない顔の玄武に、青龍はそれまでくすぶっていた不満がもやりと胸の奥に湧き上がる。
「わ、私なんかじゃ、ドキドキしませんよね。ぶつかってしまってすみません。今どきますか…」
「ン?何だ?」
 覆い被さった身体をどけようと身体を起こすも、玄武は無表情のまま自分を抱き締めた腕をほどこうとしない。
「ちょっと!どきますから離して下さい!どうせ私が抱き着いたところで玄武は少しもドキドキなんてしないんでしょう…!いつもそうです…いつも私ばかりが焦って、恥ずかしいところを見せてしまって…玄武はいつだって落ち着いて…夜だって…いつも…」
 夜の自分の行いを思い出したのか、恥じ入る青龍に向かって、ため息を吐いた玄武がぽつりと呟く。
「俺がそんなに動じていないと思うか?」
「え?」
「正直、何か気に障ることをしてお前に嫌われたらと思うといつも心の中は焦っている。この前だって…お前が顔を隠すから、俺に口吻をされることを嫌がっているのかと思ってな…俺の口臭が気に入らないのかと歯磨き粉とやらを何種類も試していたのだが…」
「あ、だから違う種類の歯磨き粉がいくつも…」
「洗面台に置いてあった白虎の整髪料と混ざってしまったらしくてな、髪に歯磨き粉を付けた白虎からいい加減にしろと怒られてしまった」
「ふふっ…白虎の怒る顔が目に浮かびます」
「…お前が思っているよりも俺は臆病なんだ。顔に出ないだけで、心の中はお前の事でいっぱいだ」
 不意に玄武の顔が近付き、青龍の顔に被さった。
「…玄武…」
「今度はお前から…」
「えっ、…げ、んぶ…」

「ここはこ~んなに仲良しなのにねぇ~」

「ぎゃっ!!」
 突然の登場に青龍は飛び上って玄武の背後に隠れた。
「晴明!…いや、違うな…お前、枕返しか?」
「二人からも言ってあげてよ、みんな仲良くしな~ってね」


 どかどかと大股で進む白虎の背中を朱雀は追いかけていた。
(白虎ちゃん、足早いなぁ~)
 皆各々の守護する方角からスタートしたにも関わらず、朱雀だけは自分の方角である南側からではなく西側から入り、白虎を追いかけていた。朱雀なりに思案した結果、巻き込まれた形とはいえ今回の元凶ともいえる晴明の欠片は、恐らく白虎に接触してくるのではないかと踏んだからだ。
(白虎ちゃんに付いて行けば、きっと晴明が居るはずだ)
 不意に白虎が「あっ、おい!」と声を出すと、突然踵を返してこちらに走って来た。
「うわっ!」
「うおっ、お前何でここに…!」
 言い終わらないうちに白虎と朱雀は正面でぶつかりそうになり、しかし二人とも素早い判断でお互いの身体を支えにすることで転倒を免れた。その結果勢いを殺しきれなかった頭が近付いて、とても悲しいことに唇と唇がフレンチに衝突した。
「「!!」」
 一瞬の静寂の後、二人とも同時に顔と身体を引き離す。
「うわぁぁっ、びっくりしたっ!」
「うげーーっ!おぇっ!バカがうつる!」

「あはは、二人共仲いいんだから」

「「晴明!」」
「ほらほらこっちだよ〜♪」
 楽し気に通路の奥へと歩んでいく晴明を走って追いかける白虎は、透明な空間の中に吸い込まれていった。そのすぐ後を朱雀が追うも、白虎達が通ったはずの場所なのに今は鏡が有りはじかれてしまう。
「白虎ちゃん!…くそっ、入れない…!」
 鏡に拳を叩きつけ途方に暮れていると、脇の通路から玄武と青龍が走って来た。玄武の手には数珠に巻かれた枕返しがぶら下がっている。
「白虎ちゃんが中に…どうしよう!」
「何だと?」
「このっ枕返し!知っている事を教えなさい!白虎はどこに行ったんですか!」
 きー!と打つ手のない青龍が、玄武の数珠を奪って枕返しの頬を両手で引っ張った。
「う…し、知らねぇよ。これはあの晴明公の魂がしてることだ。でも…」
「でも、何です?」
「はるあきくんはお前ら四人で仲良くしてほしい、っていつも言ってたぞ。あの小さい晴明だって、はるあきくんの心配を解消してやりたかったんじゃないのかな。白虎って奴の強い願いがきっかけではあるけど、本当は、離れ離れになってるお前らを心配してるんじゃないのか?」



「晴明…様…!せい、めい…さま!」
 叫びながら走る白虎の耳に、聞き覚えのある声が遠くから響く。
「白虎…ごめんね」




 突然白い空間が広がり、白虎は立ちすくんだ。その空間の中央にはなぜか縁側があり、小さな背をこちらに向けて、見慣れた背中が座っている。
「晴明様…なのですね?私が業務の合間にうとうとすると、よく撫でて下さった、ここはあなたの作り出した空間…」
「そうだよ。僕も、思い出した」
 白虎はその背中に歩みより、背後から小さい晴明公の背中を抱き締めた。
「捕まえました。白虎が捕まえましたよ。帰りましょう。あなたの居るべきところへ」
「そうだね…鬼ごっこは負けちゃった。ふふ、実はずっとそういう遊びをしたかったんだ。僕は小さい頃から周りの子供とは違うと恐れられていたから」
「晴明さま…」

「白虎、いつもありがとう」
「え?」
「いつも感謝してるよ。君が、君たちが僕と接してくれる時間は、僕にとってはとても掛け替えのないものだった。家族が恋しい、なんて感情当の昔に無くしていたけれど、君たちと過ごす時間は本当の家族と過ごしていように温かいものだったよ」
「ありがとうございます」
「でも、君は、君たちは、神だ。僕一人だけに心を捧げさせることはできない」
「晴明様…でも、それでも私は晴明様のことが…」
「分かっているよ。こうして慕ってくれる君が、君たちが、愛おしくないわけではないんだ。でも君たちはお互いを認め合い、民を救う『四神』であって欲しい、僕の願いだよ」
「晴明様…」
「泣かないで、白虎。僕は君の笑った顔が見たいよ」

 いつの間にか大きくなった晴明公の胸に顔を埋めていた白虎は、意を決したように顔を上げた。
 その顔は晴明公への想いがいっぱいに込められた眩しい笑顔だった。

26人目

 不思議な空間へ迷い込んだ白虎が、そこで安倍晴明との邂逅を果たしている最中、朱雀たちは鏡の迷宮から脱出し白虎の帰りを待っていた。
 しかし、なかなか戻って来ない白虎に業を煮やした青龍は朱雀と玄武が止めるのも聞かず、再び迷宮内へと戻ろうとする。二人は冷静さを失った青龍を、両脇から押さえ込む。

「は、離してください! 白虎を連れ戻さないと!」
「だからダメだって、さっき言ったでしょう! 今あの迷宮の中は此岸と彼岸の境が歪んでるって! もしも彼岸に渡っちゃったら、こっちに帰って来られなくなるよ!」
「だったら、尚のことですよ!! 二人は白虎のことが心配じゃないですか!?」
「心配に決まってるだろっ!!」

 玄武が声を荒らげると、青龍は身を竦ませて大人しくなった。玄武は青龍の両肩に手を置き、先程とは違い優しく諭すように言葉を紡ぐ。

「冷静になれ、青龍。我々があそこに戻ったところで、白虎や晴明様の元へ辿り着けるとは限らないんだ。むしろ、ミイラ取りがミイラ取りになる可能性が高い。今は、白虎を信じて待とう……なっ?」
「玄武……で、でも……でもぉ……!」

 白虎の身を案じるあまり、涙を流す青龍を玄武は強く抱き締めた。朱雀は玄武の胸に縋って啜り泣く青龍に歩み寄り、髪を撫でながら声をかける。

「……大丈夫だよ、白虎ちゃんなら」
「だが、もし万が一のことがあったら、どうするつもりだ? 白虎の奴が、晴明様と共にあちら側へ渡ってしまったら」
「うん……僕も、それが心配で白虎ちゃんの跡を追ったんだけど……今の白虎ちゃんなら、そんな選択はしないと思う」

 迷宮の出口を真っ直ぐに見据え、朱雀は「僕は白虎ちゃんを信じるよ」と言ってのけた。すると、突然出口が眩い光を放ち出す。そして、光の中から姿を現したのは。

「白虎ちゃん!」
「白虎!!」

 三人はすぐさま白虎の元へと駆け寄った。

「白虎ぉぉぉぉ!! 心配したんですよ、なかなか戻って来ない……か、ら……あれっ?」

 滝のような涙を流し、ひしっと抱き着いて白虎の帰還を喜んでいた青龍はあることに気がつく。何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回す青龍に代わりに、白虎に訊ねたのは朱雀だった。

「白虎ちゃん、晴明は?」

 朱雀の問いかけに、白虎は一瞬だけ暗い表情を見せるがすぐに笑顔へと変わる。

「晴明様たちは……あちらに戻られた」

 晴明様"たち"と、白虎は言った。その言葉を意味を、三人は即座に理解する。いずれこうなることは分かっていた。
 だが、胸の奥に言い知れぬ感情が込み上げてくる。

「……ありがとう、と言っておられた……私、たちと……過ごす時間は……かけ、がえの……ないもの、だっ……たと……!」

 声を詰まらせながら、白虎は懸命に、あの場所で晴明と交わした言葉を一つ一つを噛み締めるように口にした。

「朱雀……私は、貴様がしたことを……許す、ことなど……出来ない……! だが、晴明……様が、私たちは……互いに、認め合い、民を……救う……"四神"であって、欲しい……と! だから……だか、ら……ふっ、ゔぅ……!」

 かろうじて笑顔を保つ白虎の瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちていく。むせび泣く白虎の言葉を真摯に受け取った朱雀は、僅かに鼻を啜り。盛大に貰い泣きをする青龍ごと、白虎を抱き締めるのだった。

「ありがとう……白虎ちゃん……ごめんね……」

 朱雀が消え入りそう声で呟くと、白虎は堰を切ったように泣きじゃくる。まるで、千年前のあの日のように。白虎の慟哭は、しばらく止むことはなかった。





 百鬼ランドの騒動から数日後、白虎たちは花見をするため、裏山の桜の群生地へ向かっていた。なんとそこには、道満や晴明(はるあき)の姿もあった。

「ま、まさか、白虎さんからお花見に誘って貰えるなんて、思ってもみませんでしたよ」
「全くですね……どういう風の吹き回しですかねぇ……」

 最後尾を歩く道満と晴明がヒソヒソと話していると、二人の少し前を歩いていた朱雀が笑う。

「きっと、白虎ちゃんの中で何かが変わったんじゃないかな……そうじゃなきゃ、晴明君はともかく、あっちゃんまで誘うなんてことしないよ」
「……そんな簡単に、心変わりなんてしませんよ……」
「ま、そうなんだけどね。でも、変わろうとしてる。そこは認めてあげてよ、あっちゃん」

 道満はフンッと鼻を鳴らして顔を背け、まだ着かないんですか? そろそろ歩き疲れました……と悪態をついた。

「白虎……本当に良かったんですか?」
「何がだ。蘆屋道満と安倍晴明を花見に呼んだことか?」
「それもありますけど……私が言いたいのは、晴明様の鏡台を、手放してしまったことですよ」
「ああ、そのことか。もう良いんだ。所詮、あれは模造品、そんな物を後生大事に持っていても仕方ない。また妙なことが起こっても敵わんからな」

 今回の事件の発端となった鏡台は、白虎の進言により、四神荘から百鬼学園の備品保管庫に移され、安置されることとなった。そこを根城していた枕返しだが、此度の件が余程堪えたのか。しばらく故郷に帰って静養したいと言い残し、百鬼学園島から去って行った。

「お前が、自分の中で折り合いをつけられたのなら。私たちはあれこれ言うつもりはない。だから今日、蘆屋殿たちを呼んだんだろう?」
「い、言っておくがな! 私は蘆屋道満を許した訳でも、安倍晴明を主を認めた訳でもないからな!」
「もう〜、白虎ちゃんは素直じゃないんだから〜。晴明君、こう言ってるけど、内心君のこと認め……」
「ばっ!! 朱雀ッッッ!! 貴様のその減らず口、今ここで塞いでやる!!」
「ちょ、ちょっと、喧嘩しないでください! あっ、ほら! 桜が見えてきましたよ!」



 青龍が指差す先には、満開となった桜が並ぶ絶景が広がっていた。

27人目

 満開の桜の下、皆は敷物の上で円になって座った。空を見ると雲一つない空は淡い桃色の花弁を引き立てるように澄み渡った青を呈し、暖かな空気を含んだ風が小さな花弁を儚くも美しく躍らせる。
「なんて花見日和なんでしょう」
「あぁ、日ごろの我々の行いが良いのだろう。天もそう言っているようだな」
 青龍の隣に座った玄武は荷物を解きながら重い飲み物を中央に置いて行く。
 白虎は青龍と玄武三人で準備をした花見弁当の重箱を開き、紙皿におかずを取り分けていた。卵焼きや唐揚げ、鮭の塩焼きといった定番のおかずに、ほうれん草の胡麻和え、ポテトサラダなどが並ぶ。その横から晴明がひょい、と覗き込んだ。
「わぁ!色とりどりで美味しそうですね!」
 おかずの上や隙間には、白虎が飾り切りをした人参や紅く染めつけられた酢大根などが飾られており、まるで祝の席のように華やかな見た目をしている。その様子を見ながらぱぁ、と目を輝かせた晴明に、青龍がにこにこと応じる。
「えぇ!私と玄武、そして白虎で作りました!私も白虎もこの生活で料理には自信がつきまして…」
「へぇ!白虎さんも頑張ったんですね」
 にこにこと隣の白虎に顔を向ける晴明から、白虎はバツが悪そうに顔をそらした。
「どうだっていいだろう…その…お前の為などではないのだから」
「え?白虎、晴明さんに食べてもらうの楽しみにしていましたよね?」
 きょとんとした顔を向ける青龍に、顔を赤くした白虎が焦って反論した。
「してない!してるわけないだろう!?お前…青龍…」
 首根っこに腕を回されて「言うなと言っていただろう」と小声でしかりつけながらボディーに拳を打ち込む様子を晴明は嬉しそうに見つめた。

「はるあき君は何を飲む?」
 朱雀が腕に抱えた麦酒を皆に配って回っている。
「じゃぁ、僕も皆さんと同じものを」
「ほい。あっちゃんもビールね。」
 全員の手に飲み物が渡ると、白虎に促されて朱雀が乾杯の音頭を取った。
「あっちゃんもはるあき君も来てくれてありがとう!なんか色々あったけど、とりあえず今日は恨みっこなしね!皆で美しく咲いてる桜を見て…皆で食べて、飲もう!かんぱーい」
 そして宴が始まった。


「聞いてますか?はるあきくん…だからあいつらを野放しにしておいてはいつ家屋を壊されるか分かりませんから…」
 顔を赤くしながらぶつぶつと四神達への不満を口にする学園長に、自らも少し頬を赤くした玄武が口を挟む。
「むっ!蘆屋殿!お言葉だが我々は、貴殿が思っているよりもしっかり自分の力をコントロールできるぞ」
「そうですよ、学園長!皆さんも一つ屋根の下、仲良く暮らしてくれていますし」
「しかしですねぇ…」
 そんな言い合いを聞いてか聞かずか、無言でにこにこと酒を煽り、自らの作った弁当を食べていた青龍が立ち上がってふらふらと晴明の方に行くと、がしっと肩を掴んで突然涙を流し出した。
「さすがっ、はるあきさん!私たちの事をちゃんと見て下さって…ずびっ…私…うれし…」
「あっ、ありがとうございます」
「おい、青龍飲み過ぎだぞ」
 玄武の声に、むすっとした顔になった青龍がそちらに詰め寄る様に身体を向ける。
「私?酔ってませぇんよ?ほら、ほらぁ顔だって赤くないれしょう?」
 全く信憑性のないことを口にしつつ、何故か自信満々にずいずいと顔を玄武の方に近付ける青龍に、玄武は後退りする。
「い、いや…お前どう見ても顔が赤いし、明らかに酔って…」
「酔ってまぁせぇんっ!!」
 癇癪を起こす子供のように両手を上げて抗議の意を示した青龍は、はたと気付いたように玄武にすい、と身体を近付けた。
「そぉだぁ、玄武も晴明さんも…確認したらいいじゃないれすか…ほら酔ってるかどうかぁ…ちゃんと、できますからぁ〜…」
「お前、ちょ、待て!見えるぞ…!やめなさい!」
「ひゃ〜」
 何をできると言っているのやら分からないが、突然自分の胸元を寛げて衣服の留め具を緩めだした青龍を玄武が必死に止め、晴明は両手で顔を覆った。
「青龍、客人の前で見苦しいぞ」
「むにゃ…」
 白虎が青龍の肩から自分のひざ掛けを掛けて、胸元を覆うと、青龍はふにゃ、と表情を崩して玄武の膝にころりと頭を預けて丸くなった。
「早朝から弁当作りに精を出していたからな、電池切れだ」
「すまない白虎」
「いや、いい。その…すまなかったな」
 晴明の方を見据えて白虎が控えめに頭を垂れる。
「いえ。僕、皆さんがこうして仲良くいて下さるのが嬉しいです。白虎さんも皆さんも、お互いのことをよく見ていて…僕も、皆さんのことちゃんと分かるように、これから頑張りますね!色々教えて下さい!」
「…ふん」
 白虎は普段酒に酔ってもあまり変化のない頬を、頭上の桜よりも紅くした。


「あっちゃ〜ん、どこ行くの?」
「うるせぇ、厠だよ」
「じゃぁ、僕も行く〜!ついでに一服しよ〜」
「私の煙草貰うだけでしょうに…」
 学園長と元朱雀である隊長の様子を見ながら、晴明は楽しそうに微笑む。
「ははは、学園長は隊長さんと仲良しなんですね」
「そーなの!はるあき君見る目あるねぇ!やっぱり烏天狗団に…」
「えっ、これ見てどうしてそう思うんですか。あと雇い主の面前でスカウトするのやめなさい」

 蘆屋道満を交えてもなんのかんのと賑やかな集団を横目に、白虎は一人静かに桜を見上げていた。
 そういえば、千年程前にもこういうことがあったはずだ。
(あの時は確か、晴明様と朱雀があいつを呼んできたのだったか…)
 晴明公を囲んで桜を愛でた日々が瞼の奥に蘇る。あの頃と自分たちの関係は大きく変わってしまったが、こうして集まると新しい主である晴明を中心に穏やかな和ができているような気がしなくもない。自分はずっと肩肘張って今まで生きてきたが、あの時の桜とは違っても、世代を紡いだ新た桜が今の世を美しく彩っている。こうして季節はずっと巡り巡っていくのだ。
「…楽しくないことも、ないな…」


 不意に、桜が風に舞い、当たりは花吹雪に包まれた。
「楽しんでるね」
 花吹雪が止むと、小さい晴明が楽しそうにこちらを見ていた。

28人目

「晴明……様……?」

 うわ言のように晴明の名を呟き。歩み寄ろうと一歩を踏み出すが、風上から吹いた突風に堪らず目を瞑る。風が止み、桜の花びらが舞い散る中、白虎は晴明の姿を探した。
 だが、どれだけ探しても、晴明を見つけることは出来なかった。当然だ。晴明はもう、黄泉へと還って行ったのだから。

「何をやっているんだ、私は……」

 きっと、酒に酔って幻を見たに違いない。白虎は両の手で自らの頬を叩き、酒で呆けた己に喝を入れた。

「……晴明様……私はもう過去を憂いて泣くのはやめます。ちゃんと前を向いて、京の人々を護っていきます……見ていてください」

 桜色に染まる空を見上げる白虎の髪を、今度は優しくそよぐ春風が撫でていく。それはまるで、晴明が頭を撫でてくれているようで……白虎はそっと目を閉じた。


「うひゃ~、さっき一瞬だけ凄い風が吹いたね〜。桜の花びらまみれになっちゃったよ……ってあれ? 白虎ちゃ〜んどうしたの〜?」

 厠から戻って来た朱雀が、少し離れた場所で一人佇んでいる白虎に声をかける。白虎は肩を竦めると、踵を返し大股で朱雀たちの元へと戻って来た。そして、クーラーボックスから缶ビールを数本取り出し、唐揚げを頬張っていた晴明(はるあき)の隣にドカッと腰を下ろした。

「うぐっ!? な、何ですか、白虎さん……?」
「……貴様、酒に強いらしいな」
「えっ? あ、はい……強い方です、けど……」

 晴明が頷くと、白虎は手に持っていたビールの缶を晴明の鼻先に突き出した。

「私と勝負しろ。先に酔い潰れた方の負けだ」
「は、え……? えぇぇぇぇぇッッッ!!?」

 いきなり勝負を挑まれた晴明は、素っ頓狂な声を上げて取り乱す。そんなことはお構いなしに、白虎は缶ビールの栓を開け、一気に中身を飲み干した。
 手の甲で濡れた口元を拭い、一向にビールに口をつけない晴明を睨む。貴様も早く飲め! と言わんばかりの鋭い視線に震え上がりながら、晴明もビールを仰ぎ始める。

「白虎ちゃん……止めときなって、晴明君ガチでザルだから勝ち目ないよ?」
「そうだぞ、白虎。大体、お前はそれほど酒に強い質ではないだろう。身体に毒だ、止めておけ」

 朱雀と玄武が白虎の唐突な行動に苦言を呈するが、白虎はすでに二本目を空にしていた。

「口を挟むなっ! これは、私と安倍晴明の一対一の真剣勝負なんだからな!」
「ひ、ひえぇぇっ! が……学園長ぉ……!」
「やれやれ、言い出したら聞かない人ですからねぇ。晴明君。構いませんから、完膚なきまでに潰してあげなさい」
「もう、身体壊しても知らないからね〜」


 それから数十分後、白虎と晴明の酒飲み勝負は案の定、晴明の勝利で幕を閉じた。敗北を喫した白虎は、顔を真っ赤にして仰向けに倒れ込んだ。

「だから言ったのに……白虎ちゃ〜ん? 大丈夫〜?」
「ああ? らいじょーぶに、きまってんらろぉ……! わらしは……まら、まえて……ないぞぅ……!」
「いやいや、大丈夫じゃないでしょ。思いっきり呂律まわってないし……。どうする? 白虎ちゃんもこんな調子だし、そろそろお開きにしようか」
「そうだな。青龍も介抱してやらねばならないからな……」

 そう言って、玄武は自分の膝の上で目を回している青龍の額に濡らしたタオルを被せた。白虎たちが勝負をしている最中、目を覚ました青龍は寝惚けて水と間違えて日本酒を一気飲みしてしまったらしい。
 深酒をした白虎と青龍がダウンしたことにより、本日の宴会はこれにて閉幕となった。




 翌日、玄武が朝餉の支度をしていると、顔色がすこぶる悪い青龍がおぼつかない足取りで食堂にやって来た。

「お……おはよう……ござい、ま……す……」

 味噌汁をかき回していた手を止め、屍のようにテーブルに突っ伏す青龍の元へと向かう。青白い顔で呻く青龍の背中を擦ってやりながら、大丈夫か? と訊ねる。

「ゔ〜……頭が、ズキズキする……気持ち悪い……」
「完全に二日酔いだな。あれだけ飲めば当然だ。ちょっと待ってろ、今のお前にピッタリなモノを持ってきてやる」

 玄武は台所へ戻ると、汁椀に先程の味噌汁を注ぎ入れ、テーブルに伏せったままの青龍の目の前に置いた。出汁と味噌の香りに誘われたのか、青龍は顔を上げて椀の中を覗き込んだ。

「玄武……これは?」
「しじみの味噌汁だ。二日酔いには、しじみが一番よく効くんだぞ」
「へぇ……しじみにそんな効果があったんですね……」

 まじまじとしじみの味噌汁を見つめた後、青龍は味噌汁に口をつけた。すると、険しかった青龍の表情が和らぎ、血色も僅かに良くなったように見えた。

「ほぁぁ……美味しい……お酒で疲れた身体に染み渡っていきます……」
「そうか。それは良かっ……」
「おっはよー!!」

 底抜けに明るい声と共に、朱雀が食堂へと飛び込んできた。昨日の疲れを一切感じさせない朱雀の姿に、玄武は驚きを隠せない。

「お前は何でそんなに元気なんだ。蘆屋殿と一緒にしこたま酒を飲んでいただろう」
「あんなのいつも飲んでる量と比べたら全然だよ〜。あれ、そういえば白虎ちゃんは? まだ起きてこないの?」
「さっき様子を見に行ったが、布団に籠もって呻いていた。あいつは今日一日、起き上がれそうにないな」
「あはは、あんだけ飲めば当たり前かぁ。青龍は大丈夫? 昨日のこと、どこまで覚えてる?」
「うっ……あ、えっと……み、みんなで乾杯したところまでは、記憶にある……のですが……は、はははっ……」

 どうやら、泥酔して晴明に絡んだ挙げ句、玄武に迫って自ら服を脱ぎ出したことは覚えていないようだ。安心すると同時に、少し残念な気もする。普段からあれくらい積極的だったら……と心の隅で思う玄武であった。

「でも君、意外と酒癖悪いんだねぇ。びっくりしちゃったよ」
「えっ!? ちょ、ちょっと朱雀、それはどういう意味ですかっ!!」
「いや〜、まさか晴明君の前であんなことやっちゃうなんてね〜」
「げ、玄武……? 私……一体、な……なにを……」
「む……う……な、なに……と聞かれても、な……」

 青ざめた顔で不安げにこちらを見上げる青龍と、色気たっぷりに迫ってきた昨日の青龍の姿が重なる。玄武は赤面し、それを隠すように顔を背けた。

「や、やっぱり、何かやらかしたんですね!? 玄武、正直に話してください!」
「だから、その……服を……いや! やはり言えん! お前の名誉のためだ、許せ青龍……!」
「えぇ!? そ、そんな風に言われたら、余計に気になるじゃないですかぁ!!」
「まぁまぁ、お酒の失敗は誰にでもあることだから気にしない気にしない!」
「気にしますよぉぉぉぉぉ!」



 一方その頃、白虎は二日酔いと戦いながら布団に包まり。晴明(はるあき)への恨み言を呟いていた。

「ゔう……おのれ、安倍晴明……やはり、まだ貴様を……主とは……認めぬ……ぞ……!」




 かくして、晴明(せいめい)の鏡台による不思議な騒動は幕を閉じた。今回の一件で絆を深めた白虎たちは、再び元の穏やかな日常へと戻っていくのであった。

29人目

 台所に立ち、すうと大きく息を吸い込むと、澄んだ空気が身体に満ち満ちていく。
 半分ほど開けられた小窓からは、朝方の爽やかな空気が生活する人間達の邪魔をせぬ程度にさり気なく、薄いレースのカーテンを揺らす。
 庭では水を浴びた草木が生き生きと自らの緑を鮮やかに披露し、これから与えられる太陽の光を今か今かと待っている。植物に通づる自分にはそのわくわくする雰囲気が手に取るように分かる。

 手元に行儀よく並んだ湯呑は、茶の温度を下げぬようにと既に一度湯が満たされた後だ。ホカホカと柔らかい湯気が上るところに淡い緑の液体が自分の手によって注がれる。丸みを帯びた形をした湯呑たちの準備が整った様子は、食卓へ連れて行かれるのをのんびりと待っているかのようだ。
 最後の湯呑に茶を注ぎ終わらんとするちょうどその時、窓の外から小さな足音が近付いてくることに気付く。急須から注いでいた茶を、最後の雫の一滴まで落として、割烹着で手を拭いた私はゆっくりと玄関に向かった。

 タッタッとスニーカーがアスファルトを軽やかに蹴る音が近付き、一拍置いてからカララと引き戸を開ける音とともに聞き慣れた少し低い声が控えめに帰宅の旨を告げる。
「今帰った」
「おかえりなさい」
 それが当たり前のことであるように、私達は微笑みあった。


 玄関の上がり框に腰掛け靴紐を解いている玄武に気付き、洗濯かごを抱えた白虎が廊下の先から顔を出した。
「おい、寝間着を出せ」
「私達は出しましたよ」
 青龍の言葉に無言で頷く玄武を見ながら、不可解な顰め面をした白虎は、不思議そうに呟いた。
「うむ、しかし一対足りな…あぁ、あいつまだ寝ているのか」
「昨日も遅くに帰ってきていたからな」
「はぁ、起こしてきてやるか」
 ため息を吐きながらも、どこか楽しそうに白虎は朱雀の部屋の方に歩いて行った。

 その少し後、「おい」「起きろ」「う〜ん、むにゃむにゃあっちゃん…ちゅ〜」「痛い目を見たいようだな」というやり取りが聞こえたかと思うと、バリバリバリバリという轟音と共に「ひぇーーーー!お助けーーー!」という悲鳴が聞こえて来た。
 そんな悲鳴も慣れたものと聞き流しながら青龍と玄武は食卓へ向かう。白虎の朱雀に対する態度が以前よりもとげとげしいものが無くなったような、少し大げさかもしれないが、どこか柔らかくなったように感じ、二人は少し嬉しかった。

 食卓には四人が揃った。約一名は黒焦げだが、意に介さずニコニコと席についている。しかし、誰一人として箸に手はつけず、もう一膳余分に用意された空席をそわそわと横目で見ている。

「ちょっと遅いんじゃないか?」
 時計をちらりと見て、口を開いたのは白虎だ。
「せっかく作ってくれた味噌汁冷めちゃうし、先に食べちゃう?」
 ぺろり、と舌を覗かせながら朱雀が自分の膳に手を伸ばす。
「だめです。意地汚いですね、少しくらい待てないのですか」
 ぴしゃりと本日の膳を作った青龍が嗜めると、玄武が少し困ったように口を開いた。
「しかし、主殿はご出勤の時間もあるからな…少しは我々とのこみゅにけーしょんの時間も取っていただきたいが…私はこんさーとのちけっととやらの取り方を教わりたいのだ…」
「僕とってあげようか?」
「む…」
「こら朱雀、お前のは贋物だろう。玄武も乗せられるな」
 朱雀がちぇ〜と口を尖らせると、青龍も落ち着かない様子で時計を見上げた。
「しかし主殿は毎日早朝から農園の手入れをしているはず…起きていないということはないと思いますが…。きっと迷子の猫でもいて、お母さんを探しているんじゃぁ…」
「まさかいくら主殿でもそんな…いや、しかし優しい方だからな…ハッ、まさか事故にでも遭っているんじゃないか…!?」
 ガタッと立ち上がった白虎を横目にやれやれと両手を上に向けて、朱雀は言った。
「いつもツンツンしてるのに、白虎ちゃん本当は晴明君が心配で気が気じゃないんだから…」
 その言葉に般若の様相を呈した白虎が、無言で身を乗り出し黒焦げの男の両頬をむんずと掴んで両側に引き伸ばしていると、玄関で戸が引かれる音がした。

—ガラララ

「おはようございます!遅れてしまってすみません」

 そこには、四神の使役主である、安倍晴明が立っていた。

30人目

 ようやくやって来た待ち人を、四人は揃って玄関まで赴き出迎えた。

「晴明君、遅いよ〜」
「ご、ごめんなさい! 行き掛けに迷子の猫又がいて、交番に送り届けてたら遅くなっちゃって……」

 事故に遭ったのではと気が気でなかったが、どうやら杞憂だったようだ。肩で息をしながら、到着が遅れたことを詫びる晴明を見て、白虎はホッと胸を撫で下ろす。

「全く……遅れるなら遅れるで、一報を入れろ。せっかくの朝餉が冷めるところだったぞ」
「こんなこと言ってるけど、君がいつまで経っても来ないもんだから。白虎ちゃん、心配してずっとおろおろしてたんだよ」
「ぐっ! 貴様は……また余計なことを!」

 厳格な態度で接していたところに横槍を入れられ、白虎は顔を赤くして、朱雀の首に腕を回しギリギリと絞め上げる。

「ぐえっ!! ぐ、ぐるじい……びゃ、白虎ぢゃん……ギブギブっ!!」
「二人共! 晴明殿の前でみっともないですよ!」
「あわわ……すみません! 僕が遅れたばっかり……」
「気にすることはない。あいつらのあれは、ただの戯れだからな。さぁ、いつまでもそんなところにいないで、上がってくれ」
「は、はいっ! お邪魔します!」

 玄武に促され、晴明は緊張の面持ちで四神荘の中へと足を踏み入れた。
 食堂へ通された晴明は、ダイニングテーブルに用意された朝餉に感嘆の声を上げた。山盛りによそわれた白米に豆腐とわかめの味噌汁、中央の皿には焼き鮭と卵焼きが二切れ。それに加えて、副菜のほうれん草のおひたしが可愛らしい小鉢に入って置かれている。朝は普段、食パンだけで済ましていることが多い晴明にとって、こんなに豪華な朝餉は実家で暮らしていた時以来だった。

「す、凄い……美味しそう!」
「ふふん。当然ですよ、私が腕によりをかけて作りましたからね!」
「この前のお花見の時も思いましたけど、青龍さんって料理が得意なんですね!」
「いやぁ〜、それほどでも……ありますけど」

 晴明に料理の腕を褒められて、得意満面の青龍だったがそこへ白虎が水を差す。

「フンっ……よく言う。ここで暮らし始めた当初は、三食卵かけご飯と目玉焼きしか出せなかったではないか」
「わっ、わわわッッッ! い、今そのことを晴明殿の前で言わなくても良いじゃないですか!!」
「私は事実を話したまでだ。まぁ、確かに近頃は大分マシになってきた……ような気もしなくもないな」
「ムッキぃぃぃっ! そういう白虎だって初めの頃は……」
「もう〜、喧嘩は後にしようよ。僕、もうお腹ペコペコだよ! ほら、晴明君も早く座って座って!」
「青龍、白虎、お前たちも早く座れ。晴明殿が仕事に遅れるだろう」

 朱雀と玄武により、その場はどうにか収まった。全員が席に着いたのを確認すると、手を合わせて「いただきます」と号令をかけた。それに続いて四人も声を揃え、各々朝餉に箸をつけ始める。

「んんっ! この卵焼き、甘くてすっごく美味しいです!」
「えっ? ほ、本当ですか!? 良かった〜、みんな私の作る卵焼きは甘過ぎるって言うんですよ」
「いや、甘過ぎるだろ……砂糖菓子かと思ったぞ」
「だが、最初よりは大分甘さは控えめになったな」
「お味噌汁の塩加減もちょうど良いよ。料理が一番上達したのは、間違いなく青龍だね。この腕前なら、いつでもお嫁に行けるよ! ねっ、玄武」

 突然話を振られ、味噌汁を啜っていた玄武は盛大に噎せた。激しく咳き込む玄武の顔も、彼の背中を擦る青龍の顔も、完熟したトマトのように赤い。
 露骨に狼狽える二人の様子に、晴明は花見の時から薄々感じていたことを、思い切って訊ねてみることにした。

「あ、あの……もしかして、玄武さんと青龍さんって……お、お付き合いされて……ます?」

 玄武たちは顔を赤らめたまま、互いを横目で見ながら小さく頷く。二人につられて顔を赤くする晴明に対し、白虎と朱雀は呆れ顔で頭を振る。

「こいつらときたら、毎日毎日、ひと目も憚らずにイチャイチャしているんだ。見ているこっちが恥ずかしくなる」
「本当、いつまでも初々しくて羨ましいよ。でもね、ちゃんとヤることはヤッてるんだよ、この二人」
「ひゃ、ひゃぁぁぁぁ〜!」
「い、今そんな下世話な話をしなくても良いだろうっ!」
「そ、そうですよ! だ、大体、私と玄武は正式に交際してるんですから……イ、イチャイチャして、何が悪いんですか!?」

 ムキになって反論してくる姿が面白くて、白虎は静かに朱雀は大口を開けて笑い出す。青龍は不服そうに頬を膨らませ、玄武はバツが悪そうに漬物を齧っている。
 晴明にとって、京都で出会った当初の四神たちは只々恐ろしい存在だった。それが今では、仲良く食卓を囲む仲にまで関係が好転した。晴明は胸の中から溢れてくる様々な感情がこぼれてしまわないように、笑いながら白米を掻き込んだ。


 楽しい時間はあっという間に終わり。晴明が学校へ出勤する時刻を迎えた。

「今日は本当にありがとうございました! とっても美味しかったです!」
「そう言って貰えて何よりだ。今度は夕餉にも招待しよう。白虎が当番の時にな」
「なっ!? 玄武、勝手なことを言うな!!」
「良いね〜! 白虎ちゃん、最近オムライスが作れるようになったんだし。それを晴明君にご馳走してあげれば良いじゃない」

 茶化すように言う朱雀の鳩尾に白虎は肘鉄砲を食らわすと、パタパタと部屋履きを鳴らして食堂の方から青龍が小走りでやって来た。

「晴明殿! わ、忘れるところでした……これ、簡単なもので恐縮なのですが、お昼に食べてください。おにぎりと卵焼き、あとお漬物も入れておきましたから!」
「わあっ! ありがとうございます! 何か申し訳ないなぁ……朝ご飯をご馳走になった挙げ句にお弁当まで貰っちゃって」
「……遠慮する必要などないだろう。貴様は、我らの……あ、主なのだからな……」
「白虎、さん……」

 白虎からの思いがけない言葉に、晴明は目尻に涙を浮かべて表情を綻ばせた。



「はぁ〜、今日も良い天気だねぇ……」

 晴明を見送った後、四人は縁側に並んで座り。青龍の淹れた緑茶を飲み、安らぎのひとときを過ごしていた。

「本当、穏やかな朝ですね……」
「ああ、ここに来たばかりの頃は、こんな日が来るなんて思いもしなかったな」
「そうだな……」

 四神荘と名付けたこのあばら家で暮らし始めてから、半年が経とうとしている。本当に色々なことがあった。白虎はここで起こった出来事を一つ一つ思い出していく。
 新たな生活に一人だけ馴染めずに苦悩した日々、仲間たちに励まされ気持ちに区切りをつけられたこと、皆で楽しく過ごしたクリスマス、この島を第二の故郷として再認識した年末年始、そして……晴明(せいめい)との再びの邂逅と別れ。
 これまでの出来事、その全てが、かけがえのない思い出となっていた。

「これから先も、ここで良い思い出を作っていきたいな」
「作れるよ。これから夏が来るんだから。みんなで楽しいこと沢山しよう」
「夏になったら、海に泳ぎに行きたいですね!」
「庭で流しそうめんをやるのも良いな」
「ふふっ、楽しみだ」

 白虎はこれから訪れる夏の日々を思い描き、期待に胸を躍らせるのであった。