特別でもない
しわがれた手が、小さな石へと伸ばされていた。
ひび割れた爪で花の茎を持ち支えている。大樹の根に、墓石と呼ばれるそれは置いてあった。
かがんで花を添えるのも一苦労で、中天から見下ろす白い太陽が影を作り上げている。葉の擦れる音がわずかに耳に聞こえた。だがもう遠くなってあまりよく聞こえもしない耳だった。薄くなった白髪は新緑の風に揺れる。
いつもいつも、飽きず、この場所に来た時は、彼女との出会いを思い出す。先立ったというにはあまりにも早すぎた。老人が青年という年頃であった頃だ。彼女と出会ったのは、本当に、もう数十年も前になる。何十年も何十年も、この墓に足を運んだ。終ぞ死ぬならこの墓の隣が良かったとまで思っているほどに。
「ケンちゃん、アイス食べよ」
特別ではなかった。世界にとって彼女は何も特別ではなかった。
ぱきっと割られた棒状のアイスの片方を差し出して、小麦色の頬ではにかむ。温い汗が額から瞼に流れる。目に入って、何度も瞬きをした。
「ありがとう」
「おいしいねえ。まったく、あっつくてやんなっちゃう」
能天気にもあぐらをかき、扇風機の前で彼女は汗を垂らしていた。
「あっついねえ。どうしてこんなにあっついんだろう?ケンちゃん、わかる?」
「地球温暖化ってやつだろ」
「へー。なんか、むずかしいことばだねえ」
むずかしい、むずかしい、と、彼女は繰り返した。それはとても楽しそうだった。
受験の迫る高校三年生の夏、本来はこれほど呑気にアイスでも食っている場合ではない。親の期待を一身に背負っていた身としては、何も考えず生きている彼女が馬鹿らしくて、とても羨ましかった。内心では蔑んでいた。交流するのだってほとんど見下して自分の優越感を感じたいだけだった。
自分の自由になる時間なんてない。習い事と勉強で全てがつぶれていく。どれだけ塾で熱心に授業を受け、真面目に課題に取り組んでも、思ったような成果は出ない。日に日に親の目は厳しくなっている。彼女との付き合いもそろそろ親にとやかく言われるかもしれない時期だった。
それよりもずっと生真面目だった私は、家出だとか、反社会的な思想に染まるとか、そんなこともなく、ひたすら親の言うことに従い、教師の弁に首を縦に振って生きてきた。