プライベート タフ外伝尼崎のS
「弟を殺そう」
兄が言った。力のこもった声だった。
15歳の兄は本気でまだ小学生であるシマキンを殺そうというのだ
しかし俺は驚かなかった
小学生でありながら2mを超えるシマキンの横暴は常軌を逸していたのだ
500億人に一人が発症するという奇病──先天性重層脂肪筋、通称「肉のヨロイ」をその幼い肢体に打ち込まれたシマキンはすでに子供ではなく怪物だった。
泣き叫ぶ幼女を強姦(レイプッ)しては盗んだバイクで尼崎を爆走し、警官を殴り殺すシマキンを抑え込むすべはもはや暴力しかありえない。
それは一家の総意であり、同時にシマキンのことを知る警官、教師たちも内心ではそれを熱狂的に支持していた。
シマキンを殺す。そのために必要なのは、圧倒的な暴力。
そう、彼の戦闘力を超える怪物を用意するほかに道はないのだ。
俺たちの住む街──尼崎は3つの"勢力"に別れていた。
一つは"マッスルズ"。
まだ小学生だというのに筋骨隆々なその肉体は、プロのボディビルダーですら唸らせた。
もう一つは"タトゥー連合"。
体のどこかに"龍"のタトゥーを入れているのが彼らの"証"だ。 もちろんめちゃくちゃ強い。
"島木暴走族"。
俺たちの標的、シマキンこと島木が率いる暴走族だ。 人間離れした強さを誇るシマキンは、若干小学生にして族のヘッドになった。
かくいう俺たちは──
そのどれでもない。死んだように生きるクズだ。
ならばどうするか? 当然、俺たちに振るえる暴力などはない。兄は「暴力には暴力をぶつける」と言った。
すなわち、"マッスルズ"と"タトゥー連合"を"島木暴走族"にけしかけるのだ。
それしか、暴力を持たない俺たちがシマキンを倒す術はなかった。
しかし、俺たちが起こすのは戦争。この街を牛耳る三大勢力を刺激し、その絶大な暴力を相互行使させるのだ。
煽動がバレれば、その暴力の餌食となるのはシマキンではなく俺たちのほう。
死をも厭わない兄の眼にはどこか、シマキンの兄としての責任感以上の執念がこもっていた。
数年前まではまともな子供だったんだ。
確かに身長こそ高いし恰幅も並ではない。
だが俺たち家族とは仲が良かったし、同年代の友達とも楽しく遊んでもいた。
いつからだっただろう、あいつが酔っ払っているかの様にフラフラとした足取りで帰ってきたのだ。
少し気になりはしたが、その時は悪戯で酒を飲んでしまったのだろうと自分で納得しては気にもしていなかった。
ある時から家族や友達に担任の教師といった人間に手を振うる様になったのだ。
後になって知ったのだが、どうやら、あいつはシンナーをやっていたらしい。
シンナーは人を狂わす。シンナーを覚えてからシマキンは外見も中身も怪物となっていった。
元から醜かったその顔は、歯が溶けたことで悍ましさすらも孕むようになり、その心は、人間の身体を平気で破壊できるほどに狂い果てていた。
そんなシマキンに、兄弟である俺たちは心を痛めたし、そうなってしまった責任を感じた。
俺は兄がその責任感からシマキンを殺そうとしているのだと思っていた。
兄から本当の理由を聞くまでは
「シマキンは、アイツは、由美子をレイプしやがったんだ」
由美子というのは兄の彼女だった。
きっかけは些細な事だったという。
兄と由美子さん、2人で並んで下校する際に偶然シマキンとその取り巻きが通りがかった。
「いい女連れてるやんケ。もうヤったんか?」
シマキンの悪評は絶える事がなかった。暴力、強姦、脅迫、窃盗…数えればキリがない。
それでも、まさか俺にまで手出しはしないだろうと。
彼女を揶揄う下衆な呼びかけを不快に思いつつも、兄はそうタカをくくっていたそうだ。
だから会話に応じてしまった。
愚かにも立ち止まって、シマキンに返答した。
その選択が、彼女に破滅をもたらすとも知らずに。
「うるせぇ。だからなんなんだよ」
そう返した瞬間だった。兄の顔面に拳が振り下ろされたのは。
前触れもなく突然起きた事に、兄はどうすることもできなかったという。
うずくまりながらも、声を絞り出して痛みを発散させようとすることしかできなかったそうだ。
そんな兄に容赦なくシマキンは続いて蹴りを入れた。何度も何度も、執拗に何度も何度も打ち込んだという。
「うぐっ…があッ」「おどれ、そない調子乗っとるんちゃうぞ。あ?」
兄はその場で蹲り涙目でシマキンを見上げるしか無かった。最早目の前にいる男は自分の弟ではなく野獣そのものであると兄は今更ながらに悟ったのだ。
「あーっ?なんじゃあその目は何か言いたげやのぅ」
シマキンは兄を見下ろし、嘲りの感情を秘めた眼で兄を見た。
「まったく情けないのぅこんなババタレがウチの兄貴とはのぅ」
「うるせぇよ」
兄としての精一杯の強がりだ、だけどそれがシマキンの気に障った。
「おい、お前ら。その女取り押さえろ」
「兄貴もいけるしな」ヌッ
その日兄貴は尊厳を失った