しりとりの「り」
理解できない。今までこんなことは無かった。多分これは夢だ。だから私は自分の頭を思いっ切り叩く。クラクラとする意識。気分は最悪だ。だって、これが現実だと分かってしまったのだ。誰もが「しりとり」をしながらでないと思考すら出来ない世界。言うまでもなく狂っているだろう。うっかりさっきの文で「だろう」を付けていなかったら「る」から始まる言葉を思い出すのに手間取っていただろうし。
たぶん、こんな事になったのには理由があるはず。ずっと前に読んだ奇妙な本……確か、『しりとりの「り」』という本だった。頼みの綱はアレだけ。県境にある図書館に向かいながら、しりとり限定になった世界を観察してみようと思う。
裏切られた。
虚ろな意識ではあるものの目が覚めてはじめに思い出したのはそのことだった。
上原から風邪をひいてしまって県境にある図書館に本を返却して欲しいと頼まれた俺は日頃授業のノートを写させてもらってる恩もあるし快く了承した。
上原からは絶対に本を開けるなと言われて袋が二重になっている状態でそのまま返却するように言われたが、わざわざ遠くの県境の図書館で借りてしかも本自体を隠すようにしているのが気になった俺はついつい袋から本を出してしまった。
迂闊だった、奇妙なしりとりの世界に来てしまった
対して変わらない世界。
いつも通りに時間は流れるが、この世界がしりとりの世界なのかと思うと複雑なものだ。
だが私はこの世界からの脱出を心に決めたが現状手がかりは少ない。
「いい事を思いついた」私はそう独り言を話すと風邪で倒れている上原のところに向かう。
上原との約束を破った為、罰が悪いと思ったが、お見舞いを装い本について聞く事に決めた私は早速上原の下へと向かった。
ただ問題が一つだけあった。
この世界はしりとりの世界。この世界の上原と元の世界の上原が同一人物なのかという疑問があった。
元の世界と何も変わらないように見えるが、判別がつかないから同じだということにはならない。
だが、手がかりが本の正体を知っていたであろう上原しかいないのも事実なのだ。もしくは、図書館の職員なら……普段は滅多に使わない頭をフル稼働しているうちに、上原のアパート前に辿り着く。
「上原、いるか?見舞いに来たけど……」
私がチャイムを鳴らしそう言い終わらないうちに勢いよく扉が開く。
ルールの定まったこの世界。いかにして脱出するか、考えたところで無駄なんだ。
「だから、諦めたほうがいいよ」
予知していたかのように、急に来た俺を快く迎え入れた上原は、どこか達観した様子でそう語った。
沢山言いたいことはあったが、それらを押しのけて言う。
「嘘だったんだな……風邪引いたっての」
呑気に鼻歌なんか歌っていた上原は、一瞬呆気にとられたのち、盛大に笑った。
「た、大変な目に遭ってるんだぞ、何がおかしい!」
居心地の悪さにそう怒鳴ると、彼女は「ごめんごめん」と謝って、その目を遠くへやった。
「大切なことを聞くよ。読んだ本…『しりとりの「り」』って何か教えて」
「て言われても、私もよく知らないんだ。だから、玉手箱みたいなもんだと思った。単なる、神様のイタズラ」
ラフでだぼだぼの部屋着の袖を振った彼女の目は、淋しげで、儚げだった。
多分、この世界は、きっと玉手箱みたいなもんなんだ。だから、今まで私たちが上手いこと生きていけたのは奇跡なんだね。
「ねぇ、この世界を受け入れちゃおう」
上原が言う。
「…うん、受け入れようかなあ」
──ある日、どこかの図書館で『玉手箱』が開かれた。
淡々と語り出す上原を私は遮った。
「『玉手箱』っていうより『パンドラの箱』なんじゃないか?かつて人類に災いをもたらしたっていう。」
「うーん、災い?」
いつもの調子を取り戻して上原は首を傾げた。
「たぶん災いなんかじゃないと思うよ。よく考えて、ルールがある世界の方が平和じゃない?」
「いや無理だよ、だって語彙力がない人は」
「はいそこ。これがむしろ人類を賢くするんだよ。」
よく考えて私は頷いた。
「確かに君の言う通りだ。だから受け入れる。」
ルールがあれば人は争わないはず。ずっと平和じゃん。