ゾンビまみれの世界で俺は。
(とんでもないことを犯してしまった。)
頭の中を埋め尽くすのは後悔と、この後の処遇への恐怖だった。
都市圏を中心にゾンビが発生してから早数週間。
運良く避難所に逃げることはできたものの……俺は、人を殺してしまったのだ。
もちろん、事故だ。俺は避難所に来たばかりで
その人のことを知らないし、殺意なんてない。
むしろこの状況で意図的に殺人を犯す奴の方が気がしれない。
幸いにも、仕方のないことだと割り切って俺に接してくれる人が多かった。
中には「むしろ、あいつが死んで清々したぐらいだ」なんて言って、
他の生存者に不謹慎だと叱責された人もいたぐらいだ。
それでも、俺の心は晴れないのだ。
(........仕方のないこと??何が仕方がないのかも、わからない。)
俺はゾンビどもより、この生存者どもの方が何倍も恐ろしく感じてしまうのだ。
いくら世界がゾンビで溢れていたとしても、人を殺してしまったのに。
人を初めて殺したあの日から、俺の身に異変が起こるようになった。ゾンビの声が聞こえるようになったのだ。俺が自分のその能力に気が付いたのは、町江(まちえ)を名乗るゾンビに出会ってからだ。
「貴方、いい顔してるわね。生きてるのにまるで死人のようだわ」と町江は言った。
町江は皮膚が腐って垂れさがっており、初老のお婆さんのような見た目をしていたが、意外にも年齢は20代らしく、最初に俺が「お婆さん、ゾンビのくせに喋れるのか?」と返事を返した際には「こら!」と叱責された。
それから俺は町江と行動をともにすることにした。荒廃したこの世界で、人を殺めてしまった俺を唯一認めてくれるのは町江だけだ。俺は彼女に出会ってから、徐々に町江に心酔していくこととなる。
町江は俺に色々とゾンビについて教えてくれた。
「噛みつくときはバレないように背後から近づいて首筋をガブリさ。」などとゾンビテクニックを教えてくれた。
なるほどな、こういう事を知れるのはデカい、ゾンビの生態を知ることができれば生き残れる可能性が段違いに上がる。
「おっと坊や、水…ないかい?」
あぁ、と言いながら俺はカバンの中から水の入ったペットボトルを町江に渡す。
町江はペットボトルの蓋を器用に開けると頭からトクトクと水をかぶった。
どうやらこうしないと体が保てないらしく町江は定期的に水を欲しがった。
「おっと…もう水がなくなったか…町江、ちょっと水をもらってくるよ。」
この荒廃した世界で水を手に入れるのは困難かと思ったが、コンビニやスーパーに入ることができれば難なく手に入れることができた。
通常の人間ならゾンビに襲われてしまうのだが、俺は違った…。
「いらっしゃいませー。」
そう、俺はゾンビと会話ができる、つまりこのゾンビ店員とも会話できるってことさ。
欲しいものの代わりにお金を置いていくとゾンビは怒らないのだ。
ここら辺はあの頃と全然変わっていなかった…。
「君はボルビックといろはすどっちが好きだい?」
町江はそう言って俺に水を差し出した。そういえばずいぶん長い間水を飲んでいなかった気がする。差し出された水をごくりと飲み干す。そんな俺を見て町江はにっこりと微笑んだ(ように見える。顔が腐っていてよく見えないが。)
コンビニを出て街を見渡してみると、街のいたるところにゾンビたちが生活に溶け込んでいる。焼け爛れた犬を散歩するゾンビ。公園の遊具で楽しそうにはしゃいでいる子供のゾンビ。井戸端会議に励むゾンビの主婦たち。
そう世界はゾンビたちで溢れている。そのことを俺に気付かせてくれたのは他でもない、町江だった。
「…こんな世界も悪くないのかもな」
「…ん?何か言ったかい?」
俺のポツリと呟いた言葉に町江は首を傾げる。そんな町江に俺はなんでもないと首を振って、ゾンビまみれの街を歩き出す。いつの間にか俺の心の中に巣食う恐怖の感情は消え失せていた。
「こう見えて昔はヤンチャしてたんだよ」
ただれる皮膚の間からニッと歯を見せて笑う町江に、俺はため息をつく。
「どう見たら良いって言うんだ」
「おや酷い、私、元々美形だったんだぞ」
そう言われても、腐敗しきったゾンビの見た目じゃ、「元の姿」なんてまるで分からない。何を考えてそんなことを訊くのかと尋ねると
「なんとなくさ」
とはぐらかされた。
「こう見えて俺犯罪者なんだよ」
なんとなくそう言ってみた。町江は一瞬キョトンと首をかしげ、ニヤニヤと口元をほころばせ始める。なんだよ、と睨むと、町江は忍び笑いをしながら声を出す。
「どうせ万引きとかでしょー」
無言で町江の頭を殴る。しかしヌモッとした感触がこちらに来るだけで、町江は「うわー」とやや棒読みのセリフを発するだけだった。俺は生理的嫌悪を覚えながら、ブンブンと手を振り回す。謎の液体が飛び散った。
「私が渡した水は普通に受け取ったくせに」
「直か間接かはでかい違いなんだよ」
俺が思い切り眉をひそめてみせると、町江はどこか寂しそうにそっぽを向いた。