プライベート マンモスの勇姿
「あなたの娘は病気ですね」
医者がハッキリとした口調でそう宣告する。この俺、マンモス西田は思わずイスから立ち上がった。
「おい、何を言ってんだよ」
「あなたの娘は、高額な治療をしないと命に関わるほどの重大な病気です」
「ふざけるなよ! 俺の娘は病気なんかじゃない!」
俺は医者に掴みかかっていた。しかし、力尽くで振り払われる。
そんな…娘が病気だって…?冗談だろ
俺の娘…西田美優は今年で7歳になる。
インディ・プロレスラーとしてのキャリアや地位、妻…なにもかも失った俺に唯一残った宝物が美優だった。
目の前の医師は俺が掴んでくちゃくちゃになった襟元を正しながら説明を続ける。
「……西田さん、美優ちゃんの心臓には重篤な疾患があるんです。このままでは10歳…いや、来年まで生きていられるかも分からない。今すぐにでも心臓移植をしなければならないほど危険な状態なんです。」
「……ああ、悪かったよ先生。少し、気が動転して……。それで?その心臓移植ってのはどんなモンなんだよ。その……金額とか。」
「一概に心臓移植、と言ってもそんな簡単なことではありません。この日本……いや、世界中に心臓移植を待つ患者は大勢居ます。ココに西田さんが横入りする形になるんです。そうすると……」
「そんな御託はどうでもいいんだよ先生!どんな金額でも、絶対に俺は用意する……その為には俺は鬼にでも悪魔にでもなるさ。」
「……そうですね、概算ですが……5000万円ほどが、相場かと。」
「ごっ、5000万!?」
「はい…とにかくそれらへのお金が必要なのです」
自分が出したとは思えないような素っ頓狂な声だったが、眼の前の医者が出す声は依然として冷静なままだ。
いつもと変わらぬ暑い蝉の鳴き声が、やけに耳に残った。
◇
「五千万…五千万」
先程の診察室とは少し離れたところに座り、数字の重さを反芻する。
「ったく…どうすれば良いんだえーっ!!」
どうしようもないから、叫んだ。
眼の前に広がる絶望を解決するために必要なのは…尋常ならざる闇のコネクションだ…そんなもの俺が持ってるわけ無いが。
「…静かにしてください、子どもたちに失礼でしょう」
「あ、ああすまねぇつい…」
通りすがりに男に注意される。だが何を感じたのか、その足は止まったままだ。
「もしかして何かあったんですか?僕で良ければ相談に乗りますけど…」
「いや…きっと話しても解決するのは俺の鬱憤だけだ」
「そんなことおっしゃらずに…ああ申し遅れました」
俺は初めて神様に感謝した。
「僕…菊田と申します」
まさかこの男があの闇の闘技場へのコネクションを持つ人間だったなんて、きっと神様のくれた奇跡に違いないからだ。
激しい打撃音と荒い呼吸が道場に響く。
西田と病院で会った男─菊田は無人の道場でスパーリングを行っていた。
西田は力づくで倒した菊田に対して大きく振り上げた拳を振り下ろすが、菊田は難なくその腕を取り半回転捻って関節を極める。
「あだだっ、参った、参った!」
西田が情けない声を上げると菊田は笑いながら極めていた腕を離す。
「いやあ、どうです?体を動かしたら少しは気分も晴れるかと思ったんですが……」
「……まあ、そうですね。」
西田は極められていた腕が無事か確かめるようにぐるぐると回しながら話す。かつてレスラーだったとはいえ最近はめっぽう実戦形式のトレーニングなどしてこなかったツケが回ってきたことを実感した。
「しかし……西田さん、かなりやるクチですね。」
「ハハハ……これでも昔はちょっと名の知れたレスラーだったんですよ。マンモス西田って知らないです?」
「へえ、レスラー!どうりでパワーがとんでもないワケだ……やっぱり、貴方は適任だ。」
「適任?」
「西田さん……ボク、実は少しスカウトのような事もやっていましてね……ダーク・ファイトってご存知ですか?」
「……」
聞いたことはある
ダーク・ファイトという名前自体は
ただ色々と種類が多いとも聞く。
なにせダークファイトなのに禁じ手が存在するくだらないダークファイトもあるらしい。
それを後輩から聞いたときはつい「くだらねぇーっ」と言ってしまったぐらいだ
更にこう言ってはなんだがこちらはバーリ・トゥードで追放処分になったプロレスラーだ。
そういうあくどい話はいくらでも回ってきた。
「つまり…菊田さんはダーク・ファイトのスカウトマンといった所ですか」
「ご明察。流石ですね西田さん。やはり貴方は適任だ」
「……」
「おや、どうしましたか?西田さん。あまり乗り気ではないようですね」
「…悪いな。おれは娘ができた時にそういうのは止めたんだよ」
「今まさにその娘さんが苦しんでいるのにですか?」
「…ッ」
「…ッ」
俺は言葉に詰まってしまう。
俺のこの強さはもちろんプロレスラーとしての誇りでもあるが、それと一緒に娘の美優のことを守るために使おうとも思っていた。
それが今は、娘の命を救う為に手を汚すことを求められている。
……とんだ皮肉だよ畜生がッ!!
「西田さん、貴方の娘を助けたくはないんですか?」
俺はしばらくの間葛藤し続けた。
「……だからよォ……俺だって助けたいけどよぉ……!」
その叫びをきいてようやく口を開いた西田の目には涙が溜まっていた。
「どうすればいいかわかんねぇんだよ!!」
西田の声は震えており、先程の気丈な姿は跡形もなく消え去っていた。