手紙
その老人はまるで玄武岩を粗く削りだした、印象派の彫刻のような見た目だった。
大味で荒っぽい作りの顔、ぼさぼさと方々に伸び放題になった髭と髪、節くれだった四肢、寄れてしわだらけの服装。そしてそれらに対比するかのような、エレガントな杖。
「ミスター・アラン・フォース?」
老人は戸口に立ち、私を誰何する。
「いや。私はアラン・フォースではない。このアパートにそんな名の人がいるかも知らない」
私は答える。日曜の朝、11時くらいまで惰眠をむさぼろうと思っていたのに、人違いで起こされることほど頭にくることは無い。
「ミスター・アラン・フォース?」
老人は繰り返す。
「違うって言ってるだろ!俺はレイリーだ!」
老人はぶるぶると震える手でかばんに手を伸ばすと、しわくちゃの国際郵便封筒を取り出して差し出す。
「ミスター・アラン・フォース?」
その封筒には、隣の州に住むらしいアラン・フォースへのあて名書きが書かれていた。しかし、一目見る限りでは、その封筒はそうとう昔に出されたような感じで、ところどころ文字が掠れ、シミができている。
「違うと言っているだろう。」
私がどうしても手紙を受け取らないと見ると、老人は手紙を肩掛けかばんにしまった。私は朝の珍客が満足したものと思い、ドアを閉めて、ベッドルームへ戻るべきか、キッチンに行くべきか逡巡した。そして冷蔵庫からハムと卵を取り出したとき、隣の部屋をノックする音が聞こえ、続いて、またあの声が聞こえてきた。
「ミスター・アラン・フォース?」
「なに?人違いだ。」
「ミスター・アラン・フォース?」
隣人も彼の老人の痴呆の犠牲になっているようだ。
「ミスター・アラン・フォース?」
「なんだってんだ。……そうだよ。俺がアラン・フォースだよ。そいつを寄越しな」
どうも雲行きが怪しい。私はハムエッグをフライパンからトーストの上に滑らせながら、警察に通報した方が良いかどうか考える。
バタン。隣室のドアが閉まる。
(おい、私は隣室の者だが、あんたはアラン・フォースではないだろう?)
(失せな。トンチキの善人気取り。)
隣人との会話をシミュレートしたが、ロクな結果にはならなさそうだ。
しかし、私は妙な好奇心に突き動かされた。ハムエッグを放置して壁に耳を当てた。
隣の部屋から聞こえてきたのは、重い打撃音だった。
ドォン… ドォン… ドォン!
まるで巨大な肉の塊を壁に叩きつけているような音だ。その音と共に、老人の深く、悦に満ちた声が聞こえる。
「なんだあッ!?」
日曜朝の平和は完全に破られてしまった。私は戦々恐々としながらも、急いで臨室へと走った。扉は開けっ放しになっており、続く廊下の先、リヴィングルームからその音はリズムを刻むようになり続けている。
「何がどうなってるんだ!」
叫びながら部屋に入ると、先程の老人が隣人の後頭部をつかみ、激しく壁に叩きつけているではないか。老人は喜悦にゆがんだ声で、呪文のようにこう唱え続けている。
「アラン・フォース!見つけた!」
ドォン!
「アラン・フォース!見つけた!」
ドォン!
あまりの異様な光景に、私は一瞬呆気にとられる。
私が目にしたのは、単なる殺人ではなかった。それは、どこか別の次元の、歪んだ舞台での役者の交代劇のようだった。
ドォン!
老人の歓喜の叫びが、アパートの安普請の建材を震わせる。
「アラン・フォース!見つけた!」
隣人の体は、もはや自我や意識といったものを失い、壁と老人の間に挟まれた生きた道具と化していた。そして、私は気づいたのだ。老人の拳と壁の間で潰れていく隣人の顔が、叩きつけられるたびに歪んで変化していくことに。
隣人の頭部は、もはや人間のそれとはかけ離れたものになっていた。
ドォン! ドォン!と繰り返される衝撃のたびに、頭部は、まるで熱に溶けたロウソクのロウか、あるいは湿った粘土の塊のように形を変えていく。
老人の手が離れると、隣人の顔はぐったりと垂れ下がった。粘土細工を作っていた子供が、作品制作に飽きてテキトーに親指で押し潰したみたいな状態だ。
私はその潰れた隣人の顔に明確な「意図」が宿るのを感じた。
それまでの無様な歪みとは違う変化が現れる。肉が動き骨が軋む音と共に、彫刻刀で削り出されるかのように新たな輪郭が浮かび上がっていく。
不格好な表情は消え失せ、代わりに強烈な生命力と獰猛さが宿った。
それはまさしく、ファンタジー小説で描かれる精悍なオークの戦士の顔だった。
その変容は、顔だけで終わらなかった。頭頂部から始まった緑色は、まるでインクが水に広がるように隣人の全身へと急速に浸食していった。