サミュエルの冒険
サミュエル・F・ダンヒルは自称「冒険家」だ。世界中を飛び回っては動画を撮り、それをyoutubeにアップすることで次の旅費を稼ぐ生活をもう10年続けていた。
そんな彼は今、絶体絶命の危機にあった。モンゴルから北へ、ほとんど定住民の存在しないロシア国境の森。既存の文明と接触してこなかったために、独自の文化を保っているとかいうロンガロンガ族との接触を目指し、ウランバートルを発ったのがひと月前。そして今、サミュエルは彼らの檻の中で、彼らの頭目の裁断を待つ身の上になっていた。
残念なことに、彼らの言葉が理解り案内できると言って、結構な枚数のドル札をサミュエルから受け取った地元大学生のユンは、何か彼らの怒りを買ったらしく、既に極寒の大地へ全裸で旅立たされていた。この寒さでは、恐らく1時間と保たなかっただろう。そもそも、言語でコミュニケーションできる奴が居るなら、既に文明の光が届いているはずだろう、と過去の自分の迂闊さを呪ったところで、状況は何一つ好転はしないしユンも還ってこない。
最悪なのは、当然だがここにはあらゆる現代的通信網が到達していないことだった。自分の苦境をSNSに投稿することも、警察だか軍だかに連絡を取ることもできない。今なら、彼を不法入国者だと看做すようなロシア軍人だろうと天の助けに見えるだろう。
サミュエルは、凍える檻の中で震えながら、ロンガロンガ族の頭目の次の行動を待っていた。粗末な木と獣の皮でできた檻は、隙間から容赦なく吹き込む極寒の風を防ぐにはあまりにも貧弱だった。彼の厚手のジャケットやブーツは、捕まった際にすでに剥ぎ取られ、薄いシャツとズボンだけでこの極寒の森に放り込まれていた。
そして今、頭目の鋭い視線が彼に突き刺さる中、事態はさらに悪化しようとしていた。
ほぼ裸のロンガロンガ族の戦士たちが、奇怪な模様の施された槍を手に、檻の周りをゆっくりと歩き回っていた。彼らの言葉はサミュエルにはまるで呪文のように聞こえ、意味を掴むことはおろか、感情すら読み取れなかった。
だが、その空気は明らかに不穏だった。頭目らしき男――長く編まれた髪に、獣の牙を連ねた首飾りだけを下げた全裸の巨漢――が、突然、低く唸るような声で何かを叫んだ。
どういうわけか、言葉の意味がわかった。
「脱げ」
既に裸の彼等は寒くないのだろうか?という疑問を考える余裕はなかった。
恐怖による吐き気がサミュエルのほとんど空っぽな胃をでんぐり返らせる。喉の奥に胃酸のひりつきを感じながら、サミュエルは頭目を哀れめいた目で見上げる。とうとう彼らがユンに負わせた罰をサミュエルに下したということか。
サミュエルの手はぶるぶると震え、ジャンパーのジッパーのツマミを保持することすらできない。
「脱げ」
再度頭目の声。今度は槍先をサミュエルに向けている。
「わ……わかった。わかっている!」
サミュエルは彼らに英語が通じるとは思えなかったが、とにかくそう叫んだ。しかし恐怖と寒さに萎えた指はミトンごしのように鈍く、思うように動かない。
「ふざけているのか!」
頭目が激昂し、石槍でジャンパーをズタズタに切り裂いた。サミュエルはもはや絶望に支配され、肉体が傷つけられていないことにも気づかずにしりもちをついた。その時である。
「ホー!」
村の中心部から、気の抜けた声が響き渡る。
「ホー!ホー!」
声はだんだんと村はずれの『収容所』まで近づいてくる。
「まさか……あれは……ユン!?」
サミュエルの呟きにこたえるように、全裸のその男は「ホー!」と答えた。男は土像を天高く掲げており、どういうわけだか全裸の戦士たちはそれを傷つけることを恐れているようだ。
「サミュエル!まだ生きてるネ!?死ぬダメ、オケー!?」
全裸のユンは、まるで脅すように土像を振り上げ、威嚇する。
「こいつらの神像ヨ!多分ネ!こいつら、これを壊されるのを心底怖がってるヨ!」
「ユン!このバカ野郎、生きてやがったか!」
歓喜と怒りに叫ぶサミュエルはしかし、奇妙な――いや、すでに状況は十分奇妙だったが、奇妙な点に気づく。ユンの口から白い呼気が出ていないのだ。この氷点下の中で。いや、それは戦士たちも同じだ。
「ユン?おまえ、いったい……」
檻の周りでユンの方を見ているロンガロンガ族の戦士たちは、極寒の地にいるとは思えない異様な格好をしている。
彼らはほとんど裸であり、分厚い獣の毛皮ではなく薄い腰布や飾り帯を身につけているだけだ。肌は深い黒色で、粘土や炭で描かれた白と赤の幾何学模様が、まるで身体に直接タトゥーを刻んだかのように施されている。その模様は、渦巻く蛇のようでもあり、太陽の光のようにも見え、見る者に強い畏怖の念を抱かせる。
サミュエルの問いかけに、ユンはにっこり笑って見せた。その顔からは、つい先ほどまで死の淵を彷徨っていた男の面影は微塵も感じられない。
「サミュエル、オレ、知ってるヨ!この部族の秘密!」
ユンは得意げにそう言うと、持っていた土像を地面にそっと置いた。ロンガロンガ族の戦士たちは、まるで神聖なものを見たかのように恐る恐る距離を取り始める。ユンはそんな彼らには目もくれず、サミュエルに向かって話し続ける。
「このロンガロンガ族、彼らの身体は普通の人間と違うネ。だから、この極寒の地でも、裸でいられるネ!」
ユンが言い終わったのと同時に、頭目が低く唸るような声で何かを叫んだ。
すると、戦士達が腰布を一斉に剥ぎ取り、その場で地面に放り投げた。薄い腰布の下に隠されていた、彼らの男のシンボルが露わになる。
だが、彼らは何一つ恥じらう様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張っていた。
ユンや頭目が既に全裸なのだから今更という感じもあるが…。
視線をユンの方に戻す。
ユンの置いた土像は、粘土を素焼きにしただけの、粗野な造形だった。
しかし、その形には目を奪われる。それは明らかに男性の全身像を模しており、その表現は極めて大胆だ。
特に目を引くのは、股間から突き出た男性器だ。まるで生命力の塊を象徴するかのように不自然なまでに長く太く、先端は亀頭の形がリアルに表現されている。
土像は、性的な力と豊穣への願いを卑猥なまでにストレートに表現していた。
彼の脳裏に、一つの疑問が浮かび上がる。
(豊穣の願い?…こんな極寒の雪山で?この凍てつく不毛の地で、一体何を「豊か」にしようというのだ?そもそもこんな場所に住んでいること自体が根本からおかしいのだ)
ユンは、サミュエルの顔に浮かんだ疑問を察したかのように、ニヤリと笑った。
「サミュエル、彼らの言う『豊穣』は、そちらの知ってる『豊穣』じゃないネ」