ベランダ
陽光が瞼をかすめる。
俺は重い頭を起こすため、カーテンに手をやる。
「お、ついに咲いた。バラかな?」
窓からは、向かいのマンションのベランダがちょうど見える。どうやら、うちの向かいは花好きのようでベランダに置かれているプランターには、常に四季折々の花が見事に咲いている。
「んーでもなんか丸っぽいし、気になるな。」
ふと思い出した。最近のスマホは写真を撮るだけで植物を特定できるらしいと小耳にはさんだことを。
"写真 植物 特定"
早速Google検索してみる。結果は牡丹だった。
「へー牡丹か。っといけね1限遅れちまう」
俺の名前は島崎春斗、19歳の大学2年だ。
このマンションには入学時に越してきたから、かれこれ1年ちょっとになる。専攻は植物系で、何が因果か毎日花を観察できる部屋に住んでしまった。
遅刻スレスレで講堂に滑り込む。
「おはよ、ギリギリセーフだな」
「今日やっと隣んちの花咲いてさ、ついつい調べてたら」
「おー咲いたか!何だったん?」
「牡丹、赤とピンクのグラデーションで結構きれいだぜ」
「牡丹か、渋いな。ほほーんさては、なあ春斗、この前はなんだったけ?」
「水仙だったかな、その前が菊だったはず」
「やっぱり、中国十大名花か。」
急に知らない単語が出てきて、俺の脳みそがもわっとしたのを感じる。
「中国十大、、、なに?」
「中国十大名花というのはだな、上海テレビ局・上海文化出版社が共同で主催した"有名で伝統的な中国の花は?"というアンケートのTOP10を選出したもので―」
あー失敗した。隣で熱弁しているこいつは山本夏美。おれが入学後初めて仲良くなった同級生で超植物オタクだ。多分こいつにとっては、俺が最初で最後の友達だと思う。
女っ気がなく、かつ植物の話になると歩くWikipediaみたいになるから男女ともに一線を置いているように感じる。そして今ちょうどそのWikipediaのページがロードされてしまったようだ。
「そうかそうか、中国でも花を愛でる文化があるんだな」
「古く中国に渡ってきた仏教だって象徴は蓮の花だ。分化に根付いていて当然だろう。」「おまえやっぱり、結構バカなんだな。」
夏美はくすっと笑う。
ーお前のうんちくが長いから適当に返してやっただけだろー
俺は露骨に不機嫌な顔をした。
「え、あぁごめん。ちょっと言いすぎたな。ジュース奢ってやるから機嫌直してくれ」「ん、あぁいいよ。別に何とも、でもジュースは貰おうかな」
「現金な奴だな」
「うっさい」
実際俺は夏美の軽口に不機嫌になったわけではない。
馬鹿にされたのに、なんかこう夏美に弄られたという事実を本能的に嬉しいと感受してしまった自分にもわっとしたのが原因だ。
俺は夏美と、半年以上前から今日のように向かいのマンションのことを"隣んち"や"お隣さん"と呼びそのベランダ花事情について話している。3か月に一度くらいの周期で新しい花が咲くので、時期が来ると”待ってました!いつものやつです”という空気になる。
しかし、そんな恒例行事も突然終わりを告げることになる。牡丹が咲いてから三ヶ月ほど経った今、新しい花が咲く気配がないのだ。
プランターは完全に放置され、乾きひび割れた土の上にモヤシのように変わり果てた牡丹が立ち枯れしている始末だ。
俺は、「隣んち忙しくなっちゃたのかなー」とか「引っ越したのかなー」なんてあまり深く考えていなかった。
しかし夏美は違った。
「とうとう8月になるというのに変化なしか、妙だな」
「そう?引っ越しでもしていなくなったんじゃない?」
「普通に考えて、引っ越すならプランターは処分するか引き取るだろ。若しくは不動産屋が退去後に処分するだろうし」
まあたしかに。
「忙しくて面倒見れなくなったとしたって、少なくとも一年以上継続して花の面倒を見ていた人間だぞ。プランターを2か月も3か月も一切放置しているのも違和感ないか?」
「それはそうだな、でもだからなんだ?」
「お隣さんは誘拐されたかもしれない。あるいは失踪か、、、」
俺は夏美の発言に対し、一瞬背筋が震えたことが分かった。
「あ、いやまさか、、、ね?」
歯切れが悪い。正直俺も心当たりがある。数か月前から隣んちはベランダの変化だけでなく、部屋からも生気が無くなったように感じていた。電気がともらない部屋。聞こえてこない生活音。しかし俺は、誘拐や失踪なんて小説か刑事ドラマの中の話だと思っていたので、深く考える気を遥か深く地中に埋めてしまっていたのだ。それを今不意に掘り返された気分になった。
「なあ、夏休みに入ることだし、私たちでお隣さんのベランダから花が消えた原因を調査しないか?」
夏美の提案は、凄く遠回しにだが、誘拐か失踪か事件に巻き込まれたかもしれな赤の他人の調査をしようという非常にリスキーなものに聞こえた。
「うーん、でもまあ俺らには関係ないことだしなぁ」
正直首を突っ込みたくないというのが本心だった。
「そんなこともないかもしれないんだ」
夏美は真剣なまなざしで俺を見つめる。
「実は今朝、私の家のポストに封筒が届いた」
「ほう」
「その中身は、植物の種と一枚の便箋だったんだ」
「へんな郵便だな。気味悪いな」
「あぁ便箋の内容を聞いたらもっと気味が悪くなると思う」
「聞かせてくれ」
「"マンションで一人暮らしをして居をる方へ、無差別に植物の種のプレゼントしています。綺麗に花を咲くので、ぜひ育ててベランダ等人の見えるところに出してご近所との交流のきっかけにしてください!!"とな」
夏美が紙切れをペラペラさせながら言う。
「ガキのいたずらか?で、隣んちとなんの関係が?」
「うん。おまえやっぱり、結構バカなんだな。」夏美はくすっと笑う。
「っ…やめろそれ」なんだか胸が締め付けられるような感覚がした。
「仮にお隣さんが、悪意のある誘拐事件に巻き込まれたんだったら」
「おう」
「私も標的にされてるってことだよ」
「え?」
理解が及ばず、なんとも間抜けな声が出た。
「もし私が、この便箋の通りに種を植えて人に見えるところ、例えばベランダにプランターを出して育て始めたら?」
そうか、この種と便箋を見て素直に育てだせば、自然と隣んちのような状況になる。
「ああ、そういうことか。でもなんでそんなこと」
「不審な人物からきた郵便物を簡単に開けて、しかもホイホイいうこと聞いちゃう人です。っていう目印にしてるんだろうね。ベランダの花を」
「それで?」
「あーまだピンと来ないか」
夏美はやれやれといった感じでため息をつき、話を続ける。
「私たちって、大学から1駅の同じ地区に住んでるでしょ。つまりお隣さんも含め、私たち地区一帯で不審な郵便物により花を育てさせ、警戒心が低い人間をマーキングしてる犯罪集団がいるかもってことだ」
「えぇまさか、テレビの見過ぎだって」
「私はそんなにテレビ見ないぞ。それに君の所にだって来るかもしれない」
「まあ、来たら考えるよ。気味悪いし」
「そうか、私はさっそく調査を始めてみようと思う。興味を持ったらいつでも言ってくれ。その時は一緒に頑張ろう」
そうだな、興味沸いたらな。なんて思いつつ、食ってた昼飯の食器を学食のおばちゃんに返し夏美と別れた。