墨跡混淆
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1か月前
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LIBE
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露鵬という男がいる。
彼の本名は吉次郎と言ったが、彼が板切れにほどこした墨の汚れを、何か高尚なもののように扱う数寄者たちが彼の家に詰めかけるようになってから、彼は自らを号して露鵬と言うようになった。
露鵬がその数寄者にもてはやされるようになってから既に五年が過ぎていた。そして、五年も過ぎたというのに、露鵬には何が彼らにそこまで「良いもの」に思われているのかさっぱり理解っていなかった。
彼は、五年前の年末の掃除の際、遊び心のまま、何を描くでも、何の模様でもなく、ただ子供のころ物を墨で汚して怒られた経験を動機に、板切れを汚してみたのだった。彼にとっては一時の衝動の産物に過ぎなかったその汚れた板切れが、どういう経緯でか、商人の三衛門なる人物に拾われ、大坂で高値で売買されているらしいと知ったのが翌年の二月であった。
その三衛門が吉次郎の元を訪ね、あの木切れはまだないかと言ってきたのである。吉次郎は昨年末のゴミのことなどとうに忘れていたから、何のことかわからぬと答えたのだが、三衛門がどうしてもと言うので、そこで板切れに墨を付けると、それを渡して帰らせたのであった。
「妙な物を欲しがる御仁だ」
としきりに不思議がる吉次郎。これが露鵬の最初期の「作品」となった。それから露鵬は、自分でも何が良いのかさっぱりわからぬ「作品」を作り続け、自分には不釣り合いだと内心感じている御殿を建てた。