僕の夏はキツネ色
斎藤 一夫(さいとう・かずお)、小学六年生。
とにかく やんちゃで向こう見ず。思いついたら最後、誰が止めようと構わず突っ走るような性格で、クラスメイトからは『暴走トラック』と不名誉なあだ名が付けられてしまう始末だった。
夏休み。田舎の祖父母の家で過ごす数日間。
ある日、一夫は一人 家で留守番を任される事になった。
「よっしゃー!誰にも文句言われねえ!天国だ!」
縁側に寝転がってスイカをかじりながら、一夫は伸びをした。
けれど2、3時間もすれば やっぱり田舎の夏は退屈だ。
外は蝉の声が響くばかりで、テレビも つまらない。
そんな彼の脳裏に浮かんできたのは祖父母の家の裏手にある“蔵”の存在だった。
代々の一夫の家に所縁(ゆかり)がある品々が入れられて来た場所だ。
「入るなって言われてるけど……だから こそ行くっきゃねぇ!」
一夫はサンダルを引っかけて縁側を飛び出し、蔵へ駆けていく。
幸い蔵の鍵は壊れてから直されておらず、
一夫が意気揚々と取っ手を握って押すと”キィィ……”と軋む音を立てて扉が開いていく。
ひんやりとした空気と埃の匂いが、一夫の鼻をくすぐる。
蔵の中は、まさに宝の山だった。
日本刀、琵琶、仏像、セーラー服。
蛇の目傘に、綺麗な かんざし――ぎっしりと古道具やガラクタが詰め込まれている。
「うわっ、なんだ これ……面白れぇ!」
目を輝かせて次々と棚を漁る一夫。
手当たり次第に掛けられている布をめくり、箱を開けては中身を確かめていく。
そんな中――奥の棚にある木箱の1つから目が離せなくなる。
他のどれよりも古びた雰囲気をまとった【その箱】には、見た事の無い文字が彫り込まれていて、まるで一夫を呼んでいるかのような気がするのだ。
「読めねぇけど……。なんか凄い物が入ってるっぽくねぇ?」
興奮しながら蓋を開けた一夫の目に飛び込んできたのは…尻尾だった。
今まさに切り落とされたばかりのような、ふわふわとして綺麗な橙色の艶を持った狐の尻尾。
「うひょーっ、なんだこれ! ふっわふわじゃん!」
頬にすりすりと押し当ててから、尻尾を掴んだまま蔵の隅に立てかけてあった姿見の前に立つ。
「狐だコンコン♪お稲荷様の化身だぞ!」
おどけながらお尻の辺りに尻尾を押し当て、キツネのマネして腰を振って ふざけていると…。
「……ん?何だ?」
お尻の辺りがムズムズっとしたかと思うと尻尾が取れなくなる。
「うおっ!何だ!?く、くっついた!?なんだよ!イテ!は、外れねぇ!」
焦って尻尾を引っ張ると痛みが走って手を放す。
尻尾は生まれた時から一夫の お尻に生えていたかのように”ふさり ふさり”と動いてみせる。
「ど、どうなってるんだ!?うひぃ!」
ぞわり、と背筋に電流のような感覚が走る。
次の瞬間、一夫の頭の上から”ぴょこんっ!”と狐の耳が飛び出す。
「うわっ!?な、なにこれ!?なんだ これ!」
変わっていく…変わっていく…姿見に写る一夫の姿が みるみる内に変わっていく!
骨が軋むような感覚と共に身長がぐんぐんと伸び、腕や脚が すらりと長くなる。
胸や尻が空気を入れられているかのように膨らんでいき女らしい曲線が生み出され…。
「あっ!待って!たんま!ちょっ!」
一夫の叫びも空しく、グッっと押し上げられて【大事な物】は お腹の中へと消えてしまう。
やがて…変化が止まった…。
「は、はぁ……はぁ……」
荒くなった息を整えながら一夫は姿見に写る自分の姿を改めて観察する。
そこに映っているのは、見慣れた”日に焼けた わんぱくな少年”の自分ではなく、
見慣れない”狐耳と尻尾を持ち、金色の髪が肩にかかる15、6に見える妖艶な美少女”。
「こ、これが……オレ…なのか?本当に?」
現実感が、まるで追いついてこない。やっぱり夢ではないかと上から下まで確認して行く。
長い睫毛に大きくてキラキラと輝く瞳、鼻筋は通っていて、触れた唇はぷっくりとして柔らかい…。
日に焼けた褐色の肌は、きめ細かく すべすべしていて、胸は触ってみると”ぷにっ”と柔らかな感触があってマシュマロのようだった。
そして…恐る恐る足の付け根に触れてみるが…やっぱり無かった。
「オレ……オレ、本当に女の子になっちゃったのか…?」
ヘナヘナと体に力が入らなくなって、その場にへたり込んでしまう。
”どうして、こんな事になったのか?”という問いが頭の中で渦巻き…
「ほんっと、アンタって子は!少しは自分の行動が、どんな結果を招くか考えなさい!後悔してからじゃ遅いんだからね!」という母から耳にタコができるほど言われて来た言葉で殴り飛ばされ、泣きそうになっていた気持ちに活が入れられる。
(そうだ!泣いても、どうにもならない!オレは男だ!泣くもんか!)
立ち上がり”今、自分に何ができるのか?何をすべきか?”を考える。
「……服。随分と小っさくなっちゃたな……」
小学生6年生から女子高生のような姿になったからだろう。
一夫が着ていたTシャツは風船のように大きく膨らんだ胸によって内側から押し上げられ、お腹が丸見えになっていて。
短パンも丸く張りのある お尻によってパツンパツンで破けてしまいそうで、しかも尻尾のせいで半分 見えていた。
自分の姿が、どれほど破廉恥かは小学生の一夫にも一目瞭然だった。
「と、とりあえず、着替えないとな……。もう、これ以上のトラブルは ごめんだ…」
蔵を飛び出し、母屋へと向かう。
まだ、一夫は知らなかった…
この“狐の姿”には深い秘密と運命が隠されているという事を…。
蔵から飛び出した一夫は、母屋へと急いだ。しかし、そこに母屋はなかった。あるのは、草木が生い茂り、蔦が絡まる巨大な屋敷の残骸だけ。その光景に、一夫は言葉を失う。
「なんだ…これ……」
見覚えのあるはずの景色が、まるで別の場所のように荒れ果てている。呆然と立ち尽くす一夫の耳に、がさがさと草を踏み分ける音が聞こえてきた。
振り返ると、そこにいたのは屈強な体つきをした男たちの集団。腰には刀や鉈をぶら下げ、皆が異様な獣臭を漂わせている。
どの男も粗末な格好で、褌姿の者も居る。
「おっ、いい獲物じゃねぇか。おいおい、こんなところに女がいるぞ」
「しかも、狐の耳と尻尾だ。こいつぁ、とんだお宝だぜ」
男たちの下卑た笑い声が響く。彼らの視線は、一夫の肌を舐めるように這い、いやらしい光を宿していた。恐怖で足がすくみ、逃げ出そうにも体が動かない。その時、一人の男がニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「おい、あんた。その耳と尻尾、本物か?」
一夫は冷静になろうと、必死に頭を回転させた。泣いても、暴れても、状況は悪くなるだけだ。
(そうだ、泣くもんか!オレは男だ!こんな奴らに負けてたまるか!)
一夫は、かすれた声で男に話しかけた。
「お、おい!俺を誰だと思ってるんだ!」
男たちは顔を見合わせ、けらけらと笑う。
「誰だっていいんだよ。お前はこれから、俺たちの…」
男の言葉を遮り、一夫は声を張り上げた。
「俺は妖怪だ!この姿は、俺の仮の姿にすぎない。もし俺に手を出せばおぞましいことになるぞ!」
一夫のハッタリに、男たちは笑いをやめ、ざわつき始めた。妖怪という言葉が、彼らの心を揺さぶったようだ。