触手
茂みが裂け、現れたのは淫らな触手の塊だった。
少年と男は一瞬、目の前の怪物に目を奪われた。
だが、触手の塊は二人を無視し、まるで別の何かを追うように森の奥へ動き始めた。
「…動きが妙だ」
男が呟き、少年もその動きに違和感を覚えた。触手の塊は攻撃的ではなく、まるで怯えているかのように素早く移動している。
少年は槍を握り、男と視線を交わす。
「追うか?」
少年は頷き、二人は触手の後を追った。森の奥深く、触手の塊が立ち止まった場所には、巨大な亀裂が地面に走っていた。亀裂からは赤黒い光が漏れ、異様な熱気が立ち昇る。触手の塊は亀裂の前に立ち、触手を震わせながら低いうなり声を上げていた。
「地面の下に、何かあるんだろうか?」
「わかりません。ですが、動きからして、地面の下の物に、恐怖に近い何かを感じているんでしょうか……」
二人は、触手の塊が襲ってこないように警戒しながら、着実に地面の下を調べようと近づいていく。
「やはり、触手の塊は、今のところ俺たちを襲うという気はないらしいな。ただ、急に変わるかもしれないから、気をつけていかないと……」
「ボウズ、俺が触手の塊の気を引いているうちに、お前が亀裂に近づいて調べるんだ。いいな?」
「でも……」
少年は、槍を持ちながらも脚は震えてしまっていた。
「お前は、小さくて身軽だ。何かあっても、素早く動けるはずだ。だから、頼んだぞ」
「わ……わかりました」
少年は、小さく頷いていた。
少年は震える足を無理やり動かし、亀裂へと向かった。その間も、男は触手の塊の注意を引きつけるため、挑発的な言葉を投げかけ続けている。
「このイカ野郎、俺たちを舐めるなよ」
男の言葉が響く中、少年は亀裂の縁にたどり着いた。亀裂から立ち上る熱気は肌を焦がすほどで、赤黒い光が少年の顔を不気味に照らし出す。
「どうするか…」
少年は思案し、亀裂の中に手を入れてみることにした。手のひらに熱さが伝わるが火傷をするほどではない、少年は耐えて周囲を探った。
すると、突然熱さとは別の何かが手に当たる感触があった。
「なんだ…?何か掴めそうだ…!」
ゆっくりと…しかし確実に、少年はそれを引き上げる。
亀裂から現れたのは、濃い菫色の楕円形をした結晶体だった。熱を帯びたその表面は滑らかで、光を反射して怪しく輝いている。
それがただの鉱物ではないことは、少年にも分かった。
きっと宇宙人由来か、人工的な装飾品だと思い、少年の好奇心もまた、熱を帯びている。
「綺麗だ」
その口から溢れた賛辞の言葉は、あの触手の怪物に対して真反対の印象。
少年は体を捩り、後方に進むようにして、亀裂を後にした。
「誰か、誰かいませんか」
かつての混沌の場は、今や彼一人の静けさだ。
しかし少年は腰のポーチに仕舞い込んだ、あの得物がどうも気掛かりで仕様がない。
男もあの怪物も、誰も何もいない場を下り、少年は帰宅した。
どうも変だろう。
少年の足取りは重く、歩き続けたことにより、上がった代謝の発汗は、奇妙な焦りを与えた。
「一本道だ、一本道なのに帰れない!」
少年たちの帰路は単純な一本道、両脇を三本杉で固めた道だ。
彼の体感時間にして、凡そ3時間、実際には20分にも達ない筈。
「前に進んでも、どれだけ進んでも、前に進めない!森の奥、森の奥から出られないい!!」
直感的に少年は、あの結晶体の影響だと感じた。
「このクソ石、クソ石のせいだ!そしてあの怪物はクソ石を守っていたんだ」
「これを返さなければならない、でももう…」
少年は森の奥の、あの亀裂には戻れなかった。