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1人目

外に出ると、潮風が頬をなでた。二人が向かうのは、海に面した訓練場だ。そこでは、日の光を浴びて健康的に日焼けした男たちが、砂の上でパンクラチオンに興じていた。

彼らは笑いながら互いの肉体をぶつけ合っている。砂まみれになりながら、楽しそうに組み手を行う姿は、まるで少年時代の遊びのようだった。

「あれを見てください」
イムセンが指さした先に、特に大きな男がいた。
その男は、他の男たちを次々と投げ飛ばしていた。そのたくましい筋肉は、まるで彫刻のように美しい。そして、その男の胸には、少年が知っている紋章が刻まれていた。

2人目

「…あの紋章は」
記憶の底に沈んでいたはずの意匠が、男の分厚い胸板の上で陽光を跳ね返している。
それは、かつてこの辺りを荒らしていた山賊の象徴か、あるいは幼い頃に父が語っていた英雄の証か。
男が吼えた。最後の一人を砂の上に沈めると、彼は汗を拭うこともせず、こちらを向いた。

3人目

「…あの、蛇の紋章」
村が焼かれたあの夜、火影の中で躍っていた不吉な意匠。それが今、目の前の男の胸で勝ち誇ったように脈打っている。
男の視線が少年に留まった。野獣のような鋭い眼光に、少年は思わず一歩後ずさる。しかし、男は口の端を吊り上げると、砂を蹴ってこちらへ歩み寄ってきた。
「ほう、見慣れぬ顔だな」
地響きのような低音。男の手が少年の肩に置かれる。
「小僧、俺の胸がそんなに珍しいか?それとも…この刻印に見覚えがあるのか?」

4人目

「アペプの紋章…太陽と敵対する秩序を破壊する蛇」
「そうだ!これは試練を乗り越え偉大なる神から祝福を受けし者の証。すなわち、栄光の道を歩む資格を持つ者であると言う事だ!少年、名は何と言う…」
「…サブロだ」
それを聞いてイムセンが、ぎょっとした顔で少年の顔を見る。
「サブロか…いい名だ。俺の名はモレク。血と涙の河を生む者 モレクだ!」
サブロとモレクは固い握手を交わす。
「どうだ?パンクラチオンで俺と戦ってみないか?」
にかりっと屈託のない笑顔でモレクは誘い…
「いや、実は この前 足を捻ってね」と、すげなくサブロは断る
「それは残念だ。戦うのは次の楽しみにしておこう」
心底 残念そうに来た時と同じく砂を蹴って去って行くモレク。
「おい!サブロって何だ?お前の名は…」
「シッ!どこで誰が聞いてるか分からないんだ気を付けろ…」
イムセンの口を素早く塞ぎ辺りを見るが、またモレクがパンクラチオンを始めたため2人に注目している者はいなかった。
「…少し離れた方がいいだろうな。あっちの岩場で話そう」
辺りに気を配りながら岩場に移動し、小声で話す。
「何とか潜入は成功したが、思った以上だな…」
「ああ、どいつもこいつも俺達の国の兵士…いや、上級戦士クラスだ。特に、あのモレクと言う男…何だアレは?噂には尾ひれが付く物だからと考えていたが、噂以上の怪物じゃないか…。なあ、本当に奴を…暗殺するのか?」
「アイツの胸に、邪神アペプの印がある事が確認できた。なら、殺さない理由は無い。殺さないといけないんだ。アレは有ってはいけないモノだ…。まさか、今更 怖気づいたのか イムセン?」
「…正直、怖くてたまらないよ。でも、遺書まで書いてきたのに"恥ずかしながら怖くなって帰ってきました!"なんて言ったら、妻のクサンティッペに殺されるよ。死ぬとしても、墓に"友と共に勇敢に使命を果たそうとした戦士"って刻まれる方がいいさ」
「一応は覚悟はできてるようで何よりだよ…。じゃあ作戦だが…」
2人して頭を突き合わせて十数分の小会議をする。
「…そろそろ戻ろう。これ以上は怪しまれる」
「そうだな…。今夜から密かに情報を集めて下準備か…忙しくなるな」

5人目

数日が経過した。暗殺の機会を伺うサブロだったが、皮肉にも彼はモレクに気に入られてしまった。
「サブロ!足の具合はどうだ?今日こそはパンクラチオン出来ないか?」
「…モレク様、私はただの雑兵です。なぜ私を?」
モレクは豪快に笑い、サブロの背中を叩いた。
「お前の目は常に何かを射抜こうと研ぎ澄まされている。非凡な何かを感じたのだ!」
モレクはそう言って、巨大な干し肉をサブロに放り投げた。
「食え! 強くなりたければ、まずは獣のように食らうことだ」

数日を共に過ごすうちに、サブロは困惑していた。モレクは非道な怪物かもしれないのだが、この訓練場では、嘘のつけない快活な男だった。
(この男が、本当にあの夜の…?)
サブロは疑い始めていた。
夜、岩陰でイムセンがサブロを問い詰める。 「おい、いつまで『弟子ごっこ』を続ける気だ?何か考えがあるのか?」

6人目

「…わかっている」 サブロは短く答え、懐に隠した毒を塗った短剣を握りしめた。モレクから与えられた干し肉の味が、まだ口の中に残っている。その温かみが、かえって彼を苛立たせた。
「あの男が善人に見えるか? ならば、あの夜焼かれた村の者たちは、悪人だったというのか?」
自らに言い聞かせるように呟くと、サブロは闇に紛れてモレクの天幕へと忍び込んだ。
そこには、無防備に大の字で眠る怪物の姿があった。月光が、あの忌まわしき蛇の紋章を照らし出す。
サブロは迷いを断ち切り、短剣を振り上げた。 その時、眠っているはずのモレクの口が、微かに動いた。
「…サブロ、強くなれよ…」
寝言だった。だが、その声には偽りのない慈愛が混じっていた。サブロの腕が、一瞬止まる。

7人目

サブロの振り上げた短剣が、震える。その刃先がモレクの喉元に届く寸前、モレクがゆっくりと目を開けた。そこには殺意も驚きもなく、ただ深い悲しみと包容力があった。
「…やはり、あの日、あそこで生き残った少年だったか」
モレクは動じず、寝そべったまま呟いた。サブロは息を呑む。
「なぜ、それを…!貴様が、俺の村を焼いたんだろう!」
「逆だ、サブロ」
モレクは起き上がり、胸の蛇の紋章を指さした。
「この紋章は『破壊』ではない。『再生』の脱皮を意味する救護団の印だ。あの日、山賊に襲われていたお前の村に、俺は駆けつけた。だが間に合わなかった。俺はこの手で、お前の父を…せめて苦しまぬようにと介錯したのだ」
モレクは枕元から古びた首飾りを取り出した。それはサブロの父の遺品だった。
「お前が俺を殺すことで救われるなら、それもいい。だが、本当の仇は別にいる。この紋章を悪用し、略奪を繰り返している『黒い蛇』の一団がな。俺は、お前をその戦いに耐えうる戦士に育てたかった」
短剣が床に落ち、乾いた音を立てる。サブロは膝をつき、己の憎しみの拠り所が崩れ去るのを感じていた。
サブロは震える手でモレクの分厚い胸板に触れた。父を介錯したというその手は、冷酷な人殺しの手ではなく、あまりにも熱く、生気に満ちている。憎しみが消えた空白を埋めるように、サブロはモレクの首に縋り付いた。
「俺は…あんたを殺そうとした…」
「構わん。その烈火のような瞳に、俺は惚れたのだ」
モレクはサブロの細い腰を引き寄せ、耳元で低く囁いた。
「償いたいか? ならば、お前の全てを俺に捧げろ。心も、その若き肉体も、俺の所有物となれ」